すべてのみちはここに

もう追いかけないよ 
宝物は 
いつもここにある

誰でもない自分

2019-02-25 | サンガ
これでもか
これでもか というくらい
自分のこだわりが
ひとつ捨てたら
また ひとつ
出てくる出てくるw


こだわり、
思い込み、執着ですな




抵抗すればするほど苦しいけど
放してしまえば
なんてことない
それだけ自由になる

なんだけど毎度毎度
自分内大騒ぎなのだ 

ウケる




*******




数日前の夕暮れ時

薄暗い廊下で
ストーブの灯油をひとりシュポシュポ入れてたら


入れてたら



(これは言葉であらわせないこと承知の上で書くけど)




ただ

それだけがあった




それっていうのはその景色、私も含めたその景色で、

そこには「私」が抜けていた


灯油を入れている私、
いつも私が私と呼んでいる私がいなかった・・・


「あれ、、、?」

「あ、、、、、」
「これ、、、、、、」


それで
いちばんの最初に出てきた思いは

「あぁー

よかったぁぁぁーーーーー」



だったんだ



深い
ふか~~~い
安堵感




「私」がやってるんじゃなかったんだ・・・

ただ
そのように
起きている・・・



「私」が実体のないものなら
誰も実体がないのだった


私とか誰かとかない

(あ~、言葉に書くとオカシイよね(^▽^;))







半年前のあの海でも
同じの経験があったけど
あの時はなんでそうなったかわからなかった

「私」が落っこちたからだったんだ





いつも禅のメッセージを聞いたり読んだりしてるから
それがガイドになってくれた
(そのおかげでこれが起きたっていう意味じゃないよ
起こったことの説明になったってこと)

これが

ほんとのリアル



その上に
人はそれぞれ「解釈」を持ち込む


解釈がつながって
人生というストーリーになる





誰でもない自分は


安心していて

生を享受していて

楽しんでいる・・!

とてもエネルギッシュなんだ




これは「私」がそう「しよう」としてできることではなく

「私」が落っこちたときに訪れる
というかもともとそうであるのが現れる 




おかしなことと思われるかもしれないけれど
なんか引っかかる・・という人に読んでもらえたらいいな



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