猛暑のおかげで早起きになりました
一つ前の記事に
「私にくっついていた息苦しさ」と書いたけど
正確には「私が息苦しさ」なんだった。
私あるところに息苦しさがあるのは当然なのだ。
自我は「私がいる」ということを保つために
常に私を監視している。
私がこう思ったのだ
私が決めて
私が行動しているのだ
私が、私が、・・・
常に常に自分に言い聞かせている。
そして
私は間違っていないか
これでよかったのかと
常に監視して
判断して
裁いている。
(自分のみならず他人まで)
だから息苦しくなるのは当然のこと。
「私」とは架空の檻
「私」とは息苦しさ
「私」が剥がれ落ちるとき
それを解放と呼ぶ。
「開放する者」はいない。
勘違い(私)から見ると
開放したと言うけど
ほんとは
"開放"しかない。
勘違いが解けたとき
「私」 は開放に溶けて
そこには誰もいない。
今まで私とか私の心と思ってたものは
私でも私の心でもなかった。
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