すべてのみちはここに

もう追いかけないよ 
宝物は 
いつもここにある

「ラブ、安堵、ピース」

2017-02-22 | 心で生きる
黒澤 一樹 著
「ラブ、安堵、ピース」
を読んだ。

2500年前に書かれたと言われている「老子道徳経」の超訳です。

清流の水が
疲れた心身にコクコクとしみわたるように、読めた。
わかり易く、世界ー社会ー人間ー存在 というものを
解説してくれます。


てゆうか、2500年前から人間て、ずーっと同じようなコトで悩んで
ぐるぐると同じように争ってきたんだねぇ。。

そんでここにきてこの時代で
なんかぁ、いままでの常識ややり方って、ほんとにいいの?!
そもそもその前提、誰が決めたん?
ということを発信される方がすごく増えてきてる気がします。

日常の中で、そういうことに1個気がついたら
連鎖して芋ずる式にアレもコレも、って常識のゲシュタルト崩壊おこしてですね、
新聞とかニュースがなんでもあべこべに見えてきて、、。
ニュースが言ってることや、正義を振りかざすスローガンに
「そうですかぁ?」とツッコミを入れたくなる今日このごろです。



二十数年前に思ってたことが
起こりはじめてるきがします。

その頃、大手企業の関連会社に勤めていた私は
陶芸というやりたいことを見つけ
会社を辞めてバイトを始め、未知の世界にダイブした。


会社の仕事は嫌いじゃなかったし
みんないい人ばかりで、面白いキャラの人ばかりだった。
だけど、終わらない仕事に朝早くから残業残業の毎日で
みんないつも疲れてた。
(あ、私は朝遅く来て残業もあんまりしませんでしたがw)
それを見てるのが辛かったのを覚えてる。

その頃付き合ってた同じ会社の男性とも
だんだん価値観の違いを感じるようになり、別れたんだけど
別れ話の時だったと思うけど
「世の中の人間がみんな お前みたいな考えだったら
この世の中は立ち行かなくなる!」と言われた。

私は「それでいいんだよ!
それで立ち行かなくなるんだったら、それでいいの!
そうなってはじめて変わっていくんだから!
みんなが、世の中そういうもんだ、仕方ないんだ、って我慢するから
いつまでもこういう世の中なんでしょ!」

なんて、お互いヒートアップして言い合って
どこかのカフェ(当時は喫茶店か)の店内だったけど
周りのお客さんがキョトンとしてた。


で、そう思いながらも
やっぱりいつも自信がなくて
その時々 いろんな小さな社会に属してる中で
周りの顔色を伺ったり
自分を見失ったり
いろいろ回り道してきてからの
今、また21歳くらいの私の言葉がなんか、思い出されるのでした。

うん、わしもそうおもう。って言ってやりたい。(*´∀`*)





「ラブ、安堵、ピース」 より一部抜粋

・・・

「もしもタオの道を歩み、本来の洞察力をとりもどしたなら、
世間と逆の世界が見えてくるだろう。

明るい道ほど暗く見え、行けば行くほど後退する。

そしてまた、平坦な道ほど険しく感じられるだろう。

高い徳ほど俗っぽく感じられ、純白は汚れて見える。

世間に広まるモラルは何かが欠けているように、健全さは一時のかりそめのように、
純真さはうつろいやすく見える。



・・・





言葉の前に、言葉では表せない存在の本質がある。
事象の前に、それらが形作られる仕組みがある。


人々は、それがわからないから、僕の話を理解できないんだ。

言葉の前を見ずに、言葉ばかりに目を向ける。仕組みを見ずに、
事象ばかりに関心を向ける。






・・・






自分が「何も知らない」と自覚してる人は健全だ。

(中略)

病んでいることを、病んでいると自覚しているからこそ、健全でいられるんだ。




・・・




(前略) 人々が本当に真心を持って生きたなら、そこに「取引(見返り)」は生まれない。

教育やモラルも「社会における円滑な取引」を教えているにすぎない。

でも、それは違うよ。

人は、その取引から自由になり、取引を超えた関係の中にこそ愛を見いだせるのだから。

「そんな話はしょせん綺麗事だ」と笑うかい?

ああ、世間の人はそうやって、わざわざ「不浄事」の世界に生きるのさ。



・・・



抜粋終わり




素敵な本です。

(装丁もすごく素敵☆ ページをめくる感触が好きです)

何回でも読もうと思います。

何遍でも此処に帰ってこれます。


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