2月24日に奈良の梅林を巡った後、広島から山口県の防府、山口、萩を経て下関へと旅を続けました。
2月28日に下関から長崎へ移動し、29日のフェリーで長崎港から五島列島に渡った旅は「五島列島の世界遺産と椿」と題するブログに記した通りです。
3月2日の夜に五島の中通島から長崎港へ戻りましたが、実はこのとき私は、中通島のレンタカー会社に旅の行程表を置き忘れていました。
そのことを、長崎港の駐車場の自車に戻って気付きました。
かなり入念に作成した行程表がなければ、旅を続けることは殆ど不可能です。
そこで博多のネットカフェで、自分のホームページなどを参考に、もう一度旅程を組み立て直すことにしました。
長崎でネットカフェを探すより、博多に行くほうが早いと判断したのです。
これが、3月2日の夜に博多の屋台で寝酒を飲むことになった経緯です。
旅の行程表の一部
ネタ晴らしは以上ですが、3月3日の10時半ごろ私は、下関の覚苑寺(かくおんじ)の境内で梅を探していました。
覚苑寺は毛利家の菩提寺の一つで、1698年(元禄11年)に毛利綱元が建立しています。
境内に、日露戦争で難攻不落の旅順要塞を陥落させた乃木希典(のぎまれすけ)の銅像を見かけました。
この像は、乃木将軍を敬愛する住職が、昭和14年に托鉢で基金を募り建立しましたが、戦時中の金属不足で供出された後、昭和30年に、全国からの寄付で再建されたそうです。
そう言えばふと、子供の頃に「だるまさんがころんだ」の遊びで、意味も分からずに「乃木さんは偉い人」と唱えたことを思い出しました。
境内の一画に梅園を見つけました。約50本の梅が花を咲かせるそうです。
覚苑寺が建つ場所は、明治から大正にかけての発掘踏査で、奈良時代に日本で最初に流通した貨幣「和同開珎」が鋳造された長門国鋳銭所跡であることが分り、出土遺物は国の重要文化財として、長府博物館に所蔵されているそうです。
次に、彦島の老の山公園に向かいました。
この時私は初めて、下関の先端部が島であることを知りましたが、今筆を走らせつつここを「本州最南端」と書こうとしましたが、ふと気付き、地図で本州最南端は和歌山県潮岬であることを再確認しました。
フー 危うく嘘を書くところでした。
老の山公園は老の山の頂上一帯を整備した公園ですが、駐車場に車を停めて、芝生広場を高見へ進むと、眼下の響灘に幾つかの島々が見えてきました。
更に園路が伸びる先へ進むと、目の前にゴルフ場のような景色が広がり、この公園がとてつもなく広いことが分りました。
老の山公園は当初の予定になかったのですが、昨晩、博多のネットカフェで新に加えた場所なので、私は此処へ何しにきたのかが分からなくなっていました。
致し方なく目に付いた椿を撮影してお茶を濁しましたが、今調べ直すと、この公園のどこかで、80本の梅が香を放つようです。
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