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下関の覚苑寺と老の山公園

2020-07-12 16:51:33 | 西日本に梅を訪ねて

 

 2月24日に奈良の梅林を巡った後、広島から山口県の防府、山口、萩を経て下関へと旅を続けました。


 2月28日に下関から長崎へ移動し、29日のフェリーで長崎港から五島列島に渡った旅は「五島列島の世界遺産と椿」と題するブログに記した通りです。


 3月2日の夜に五島の中通島から長崎港へ戻りましたが、実はこのとき私は、中通島のレンタカー会社に旅の行程表を置き忘れていました。


 そのことを、長崎港の駐車場の自車に戻って気付きました。


 かなり入念に作成した行程表がなければ、旅を続けることは殆ど不可能です。


 そこで博多のネットカフェで、自分のホームページなどを参考に、もう一度旅程を組み立て直すことにしました。


 長崎でネットカフェを探すより、博多に行くほうが早いと判断したのです。


 これが、3月2日の夜に博多の屋台で寝酒を飲むことになった経緯です。

 

旅の行程表の一部

 

 
 ネタ晴らしは以上ですが、3月3日の10時半ごろ私は、下関の覚苑寺(かくおんじ)の境内で梅を探していました。


 覚苑寺は毛利家の菩提寺の一つで、1698年(元禄11年)に毛利綱元が建立しています。

 


 
 境内に、日露戦争で難攻不落の旅順要塞を陥落させた乃木希典(のぎまれすけ)の銅像を見かけました。


 この像は、乃木将軍を敬愛する住職が、昭和14年に托鉢で基金を募り建立しましたが、戦時中の金属不足で供出された後、昭和30年に、全国からの寄付で再建されたそうです。

 

 そう言えばふと、子供の頃に「だるまさんがころんだ」の遊びで、意味も分からずに「乃木さんは偉い人」と唱えたことを思い出しました。

 

 

 境内の一画に梅園を見つけました。約50本の梅が花を咲かせるそうです。

 


 覚苑寺が建つ場所は、明治から大正にかけての発掘踏査で、奈良時代に日本で最初に流通した貨幣「和同開珎」が鋳造された長門国鋳銭所跡であることが分り、出土遺物は国の重要文化財として、長府博物館に所蔵されているそうです。

 


 次に、彦島の老の山公園に向かいました。


 この時私は初めて、下関の先端部が島であることを知りましたが、今筆を走らせつつここを「本州最南端」と書こうとしましたが、ふと気付き、地図で本州最南端は和歌山県潮岬であることを再確認しました。

 

 フー 危うく嘘を書くところでした。

 

 

 老の山公園は老の山の頂上一帯を整備した公園ですが、駐車場に車を停めて、芝生広場を高見へ進むと、眼下の響灘に幾つかの島々が見えてきました。

 


 更に園路が伸びる先へ進むと、目の前にゴルフ場のような景色が広がり、この公園がとてつもなく広いことが分りました。


 老の山公園は当初の予定になかったのですが、昨晩、博多のネットカフェで新に加えた場所なので、私は此処へ何しにきたのかが分からなくなっていました。
 

 

 致し方なく目に付いた椿を撮影してお茶を濁しましたが、今調べ直すと、この公園のどこかで、80本の梅が香を放つようです。

 

 
   

 

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