ローマの美術の続きを書きます。
実は、ローマの美術を書きたいと思っても、特徴的なものをあげて行くと、すぐに息詰まってしまいます。なぜなら、遺跡は多いのでしょうが、当時のもので目立つものが少ない気がするのです。
だから、コロッセオを説明して、フォロロマーノを説明して、凱旋門を説明したら、あとなんだろうなあと、足踏みしてしまいました。
(そうか、パンテオンと聖天使城もあったね)
後は、それぞれの皇帝の彫像になってしまうのかな?と思いました。
また、いま、特徴的なものは、ローマ時代より後から作られたものが多いのです。
サンピエトロは、ルネッサンスの時期ですし、その他の教会も当然ミラノ勅令以降のもので、中世より後のロマネスク、ゴシックが多いです。
ーーーーー
そうなると、後は、
1、トラヤヌスの記念柱
2、ポンペイの遺跡
3、カラカラ帝の大浴場
4、水道橋
5、道(アッピア街道)
でしょうか。
ーーーーー
1、トラヤヌスの記念柱
トラヤヌスの記念柱は、石の柱で、円柱です。高さ20メートルくらいで、ベネチア広場に立っています。周りにレリーフが施されていて、トラヤヌスの戦いの記録が刻まれています。もし延ばすことができれば、200メートルくらいの長さになるそうです。
2、ポンペイの遺跡
「ナポリを見てから死ね」ということわざがあるそうです。
そのくらい素晴らしい街ということかな?
私は、行ってきました。ナポリは、すごい傾斜のある山の面に作られた町です。
その街を山の上から見下ろしながら、ナポリ湾を見ます。
ナポリ湾の一部をサンタルチアというらしいです。あの歌のサンタールーチーーアーと歌うサンタルチアです。
音楽の先生と一緒に行ったので、その先生が丘の上でその歌を気持ちよさそうに歌ってくれました。なんだか、ここだとよく声が伸びると言いながら歌いました。
へええ、そうなのかあと思いました。
そこから、ベスビオス火山が良く見えます。その下で埋まってしまったのが、ポンペイです。
紀元79年でしたか。
まるまる埋まってしまったために、ローマ時代がそっくりそのままタイムボックスのように残ったのですね。
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よく整備された、縦横に走る道、車道と歩道の区別があって、歩行者が渡る飛び石まであった。町は繁盛していたらしく、多くのお店が立ち並んでいた。
道の途中には、水飲み場がある。トイレは水洗だった。??
いろいろな豪邸もあり、娼婦の家もあった。壁画には、秘画もたくさんある。
フレスコ画で描かれていた。
風呂らしき場所から、湯気を送って、セントラルヒーティングのように暖房を使っていたらしいことも分かった。部屋と部屋の間に隙間があり、その隙間に暖かい空気が流れ込んで部屋を暖める仕組みになっていた。
ポンペイの町は、一瞬にして埋まってしまった訳ではなく、徐々に火山灰や石が降り積もって、埋まった。だから逃げた人もたくさんいた。
逃げなかった人は、まさかこんなことになるとは思わなかった人や、逃げるには石が降ってくるので、危険だから、少し待って様子を見てからにしようと思っていた人たちなど、様々だ。
発見されたのは、1599年ですが、発掘は18世紀から行われた。
火山灰を取り除いていくと、ときどきぽっかり穴が開くので、そこに石膏を流し込むと、人型が出てくる。人々がどのようにして死んでいたかが分かるそうだ。
日本でも、九州の雲仙普賢岳の噴火で、火砕流というものがしきりに放送されたけれど、あんな高熱の火山灰が時速100キロで襲ってきたら、どうにもならないことは、お分かりでしょう。当時はそんな知識はないから、甘く見た人もいたんですね。
ーーーーー
3、カラカラ帝の大浴場
コロッセオから、チルコマッシモを通り過ぎて、そのまま車を走らせて行くと、ローマから出てすこし行ったところに、カラカラ浴場がある。
一部劇場の舞台が見えた。何か劇や歌などを見せたのだろう。
とにかく、大きなものだった。中に入らなかったので、中の様子はわからない。
カラカラ帝は、石膏像になっていて、美大受験生にもなじみが深いので、印象に残る存在である。また、その息子がゲタという。このゲタも受験生は良く知っている。
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4、水道橋
この水道橋は、とんでもない発想ですよね。どんなところも高い橋を作ってでも真っすぐにローマまで、水を運ぶんでしょ?
そして、ローマ市民にきれいな水を届ける。
出口は、トレビの泉だったり、ナボナ広場の噴水だったり、いろいろなところの噴水ですよね。
サイホンという方法で、深い谷底があっても、水を上に押し上げる技術をもっていたというのは、知っておくと良いでしょう。水の圧力を使って、押し上げる方法です。その技術がきちんと使われるようになったのは、その後18世紀だそうです。
5、道(アッピア街道)
全ての道は、ローマに通じると言われるほど、ローマからの道が張り巡らされていました。すごいことです。これは、兵隊を遊ばせないための対策でもあったそうです。戦いのないときは、兵隊はすることがないのです。兵隊が暇だと、暴動が起きる可能性があります。そこで、仕事を与えたのです。
この道は、凄い道です。構造を百科事典などで調べてください。私は説明ができません。とにかく、今の道を作ることなどは比べ物にならないくらいの構造になっています。
有名な道は、アッピア街道です。ペテロが逃げようとして、キリストに出会う道としても有名ですね。そのため、ペテロはローマに逆戻りして、逆さ磔になるのですね。
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実は、ローマの美術を書きたいと思っても、特徴的なものをあげて行くと、すぐに息詰まってしまいます。なぜなら、遺跡は多いのでしょうが、当時のもので目立つものが少ない気がするのです。
だから、コロッセオを説明して、フォロロマーノを説明して、凱旋門を説明したら、あとなんだろうなあと、足踏みしてしまいました。
(そうか、パンテオンと聖天使城もあったね)
後は、それぞれの皇帝の彫像になってしまうのかな?と思いました。
また、いま、特徴的なものは、ローマ時代より後から作られたものが多いのです。
サンピエトロは、ルネッサンスの時期ですし、その他の教会も当然ミラノ勅令以降のもので、中世より後のロマネスク、ゴシックが多いです。
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そうなると、後は、
1、トラヤヌスの記念柱
2、ポンペイの遺跡
3、カラカラ帝の大浴場
4、水道橋
5、道(アッピア街道)
でしょうか。
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1、トラヤヌスの記念柱
トラヤヌスの記念柱は、石の柱で、円柱です。高さ20メートルくらいで、ベネチア広場に立っています。周りにレリーフが施されていて、トラヤヌスの戦いの記録が刻まれています。もし延ばすことができれば、200メートルくらいの長さになるそうです。
2、ポンペイの遺跡
「ナポリを見てから死ね」ということわざがあるそうです。
そのくらい素晴らしい街ということかな?
私は、行ってきました。ナポリは、すごい傾斜のある山の面に作られた町です。
その街を山の上から見下ろしながら、ナポリ湾を見ます。
ナポリ湾の一部をサンタルチアというらしいです。あの歌のサンタールーチーーアーと歌うサンタルチアです。
音楽の先生と一緒に行ったので、その先生が丘の上でその歌を気持ちよさそうに歌ってくれました。なんだか、ここだとよく声が伸びると言いながら歌いました。
へええ、そうなのかあと思いました。
そこから、ベスビオス火山が良く見えます。その下で埋まってしまったのが、ポンペイです。
紀元79年でしたか。
まるまる埋まってしまったために、ローマ時代がそっくりそのままタイムボックスのように残ったのですね。
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よく整備された、縦横に走る道、車道と歩道の区別があって、歩行者が渡る飛び石まであった。町は繁盛していたらしく、多くのお店が立ち並んでいた。
道の途中には、水飲み場がある。トイレは水洗だった。??
いろいろな豪邸もあり、娼婦の家もあった。壁画には、秘画もたくさんある。
フレスコ画で描かれていた。
風呂らしき場所から、湯気を送って、セントラルヒーティングのように暖房を使っていたらしいことも分かった。部屋と部屋の間に隙間があり、その隙間に暖かい空気が流れ込んで部屋を暖める仕組みになっていた。
ポンペイの町は、一瞬にして埋まってしまった訳ではなく、徐々に火山灰や石が降り積もって、埋まった。だから逃げた人もたくさんいた。
逃げなかった人は、まさかこんなことになるとは思わなかった人や、逃げるには石が降ってくるので、危険だから、少し待って様子を見てからにしようと思っていた人たちなど、様々だ。
発見されたのは、1599年ですが、発掘は18世紀から行われた。
火山灰を取り除いていくと、ときどきぽっかり穴が開くので、そこに石膏を流し込むと、人型が出てくる。人々がどのようにして死んでいたかが分かるそうだ。
日本でも、九州の雲仙普賢岳の噴火で、火砕流というものがしきりに放送されたけれど、あんな高熱の火山灰が時速100キロで襲ってきたら、どうにもならないことは、お分かりでしょう。当時はそんな知識はないから、甘く見た人もいたんですね。
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3、カラカラ帝の大浴場
コロッセオから、チルコマッシモを通り過ぎて、そのまま車を走らせて行くと、ローマから出てすこし行ったところに、カラカラ浴場がある。
一部劇場の舞台が見えた。何か劇や歌などを見せたのだろう。
とにかく、大きなものだった。中に入らなかったので、中の様子はわからない。
カラカラ帝は、石膏像になっていて、美大受験生にもなじみが深いので、印象に残る存在である。また、その息子がゲタという。このゲタも受験生は良く知っている。
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4、水道橋
この水道橋は、とんでもない発想ですよね。どんなところも高い橋を作ってでも真っすぐにローマまで、水を運ぶんでしょ?
そして、ローマ市民にきれいな水を届ける。
出口は、トレビの泉だったり、ナボナ広場の噴水だったり、いろいろなところの噴水ですよね。
サイホンという方法で、深い谷底があっても、水を上に押し上げる技術をもっていたというのは、知っておくと良いでしょう。水の圧力を使って、押し上げる方法です。その技術がきちんと使われるようになったのは、その後18世紀だそうです。
5、道(アッピア街道)
全ての道は、ローマに通じると言われるほど、ローマからの道が張り巡らされていました。すごいことです。これは、兵隊を遊ばせないための対策でもあったそうです。戦いのないときは、兵隊はすることがないのです。兵隊が暇だと、暴動が起きる可能性があります。そこで、仕事を与えたのです。
この道は、凄い道です。構造を百科事典などで調べてください。私は説明ができません。とにかく、今の道を作ることなどは比べ物にならないくらいの構造になっています。
有名な道は、アッピア街道です。ペテロが逃げようとして、キリストに出会う道としても有名ですね。そのため、ペテロはローマに逆戻りして、逆さ磔になるのですね。
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