絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

モーゼ像

2009-08-30 | 美術
これは、ミケランジェロが作ったモーゼ像です。

サンピエトロ イン ビンコリ教会にあります。
この教会は、ローマのコロッセオやフォロロマーのから300メートルくらい離れたところにあります。私は、生徒を連れて行ってきました。

入ってみて驚いたのは、画集などで見るほど、立派に見えなかったことです。それは、彫刻の置かれている位置に問題がありました。

教会に入って、メインの中央からはほとんど見えず、右の奥の方へ入って行った狭い所にありました。撮影したくても、全体をカメラに収めるのが難しく、最高に下がっても入りきらないくらいの狭さでした。

この像は、モーゼの両脇に、女性が二人立っています。
ラケルとレアと言います。

この人たちは、旧約聖書のヤコブの妻です。イスラエル12部族の先祖だと言われている人で、ヘブライ人がエジプトにわたるきっかけになった人です。

その時に渡ったヘブライ人が、エジプトで奴隷になり、その奴隷を解放したのがモーゼだった訳です。

それをミケランジェロが並べて作りました。

モーゼが持っているのは、十戒が書かれている石版です。
また、モーゼの頭から角が生えていますが、これは、光が差したのを角と間違えて訳したために、モーゼには角があったと勘違いされているのです。

モーゼは、奴隷を解放して、エジプトを脱出しますが、そのときに、追いかけてきたエジプトの兵隊から逃れるために、海の水を割って、海を渡ったということで有名ですね。あれは、満潮と干潮のことで、魔法を使ったというのは嘘だろうと言われています。

果たして、どうでしょうか??

ただ、これは史実として語られるようで、約束の地(カナン)を見つけるまでに、40年も旅をするのです。また、連れて移動した人の数も半端ではなく、60万人とも言われています。これもすごいですね。民族大移動ですね。

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因みに、このモーゼ像の裏に入るとお土産屋さんがあります。この像の脇に入口があって、部屋になっていて、そこで売っています。こういう話は行ったことがないと話せませんね。

しかし、この像はユリウス二世のお墓の一部として作られたはずなのに、ずいぶん扱いが悪いなあと思います。もう少し、目立つ場所に置かれていいと思うのですが、イタリア政府がなんとかしないかなあと思います。







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綺麗と美しいの違い

2009-08-30 | 美術
岡本太郎は、芸術は綺麗であってはいけないといいました。

美しいなら良い。きれいではいけないと。

その違いが分かりますか?
ーーーーー
ちょっと聞くと、屁理屈みたいですよね。

これは、ある意味では画家の常識です。実は、汚いものにも美しさがあるのです。

よく、みなさんが綺麗ねえと言っている時、私には理解できないことがあります。
見ても、綺麗だとは思わないものが多いです。
紅葉が綺麗だというとき、桜が綺麗だと言うとき、一応彩度が高くて真っ赤になっているとか、桜が満開でみごとに咲いているとかの状態でしょうか。

しかし、私はそれを造形的に見てしまうのです。他のものとの対比なども含めて、美しく見えるなら、綺麗ねえに同意しますが、なかなかそれだけで「綺麗ねえ」には同意できません。
画家と言うのは、やっかいなものですね。

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また、みんなが汚いと思うような、雑然とした路地やごみの山でも、造形的に美しさを感じると、きれいという言葉ではないですが、美しさを感じます。

バランス、リズム、ハーモニー、アクセント、インパクト、などの造形要素が満たされて、ポイントがあって、明暗の組み立ての美しさ、色の配置の美しさなどが感じられると、これは美しい(絵になる)と感じます。

主役、脇役の組み立てなども、その要素には重要です。

そういうもので、美しさを感じるものです。

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ある意味で、人がなかなか見ようとしないものの中に、美しさを見出して、こんなところにもこんな美しさがあると示すのも画家の使命かな?と思ったりします。

だから、汚いと言われているものの中にも、美しさがあるのです。

だから、「きれい = うつくしい」ではない。

みんなが、綺麗と言っているものは、場合によると、表面だけの綺麗さであって、美しくないものもたくさんあるということです。

私は、綺麗なものの中にも美しいものがあると思うので、岡本太郎さんのように綺麗であってはならないとは思いません。綺麗で美しいならいいじゃないですか。

岡本太郎さんは、芸術は上手くてもいけないと言っています。
上手が先に見えて、テクニックで見せるようなものは技術であって、芸術ではないということだろうと思いますが、私は上手でも良いと思います。

上手、下手はタイプの問題だと話しています。
良い、悪いと上手、下手の違いをよく生徒に話してきました。

上手な絵の中にも、良い絵と悪い絵があります。
上手だけれど、写真みたいでつまらない絵というものがあるのです。
これなら、写真の方かよっぽどいいじゃないかと言われてしまう絵です。
もちろん、上手で良い絵もたくさんあります。だから、上手というだけでは、良い悪いは決められません。

逆に、下手な絵でも、味があって良い絵があります。
何とも言えない味わいのある絵があるんですね。
上手いとは再現力の問題ですから、写真に近い表現になると上手いと言われます。
絵は、写真ではないというところから、絵独自の存在価値が生まれて来ました。
だから、むしろ絵である魅力は、上手いということから外れたところにあるようです。

書で言えば、楷書が上手いなら、行書から草書への移行でしょうか?

へたうまという言葉がありますね。

一休さんの書は、これに当てはまるかなと思います。
また、相田みつおさんの書もそうかもしれません。

それぞれ、味があると思いませんか?

それが、ピカソの絵などと同じような扱いかなと思います。

下手に書いてあっても、味があるという感じが
お分かりいただけましたでしょうか?

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先日、カサブランカの絵を指導した時に、背景を汚してみました。
言ってみれば、汚くすることを教えました。
背景を汚くすることで、花の美しさを引き立たせました。

その方は、汚く汚すことを知りませんでした。
「汚す事を覚えると、一歩深くなるのですよ」と教えました。

それは、その部分だけを見たら、汚いと感じるような場合でも、全体を見たら美しいに通じるというものです。

このことは、画家にとっては常識ですね。

私は、生かす殺すと言いますが、その殺すの部分です。
素人の方は、全て綺麗に描きたくなるようです。だから、主役を目立たせることができないのです。

以上、きれいと美しいについて、書いてみました。

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私の美術史勉強法

2009-08-30 | 美術
私は以前、NHKのルーブル美術館という番組を録画して、その番組で語られている言葉を全て書き写したことがあります。

録画したので、何回も巻き戻しながら記録しました。結構大変な作業でした。
しかし、書くことは覚えますね。巻き戻しながらなので、その作業も頭に入れるのに役立ちました。

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また、その後は、全てを書き写すことはやめましたが、その代り、覚えたちことをクイズにすることを思いつきました。

この方が効率的に覚えられます。

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最近は、本を読んでも、そのようにしています。
ミケランジェロの本を見ていたら、読んでもそのまま消えてしまうので、クイズにしてみたら、500問も作ってしまいました。

そして、それを見ながら、頭に入れていますが、それを全て覚えられません。
そこで、作った問題をカセットに録って、問題を言って、すぐに答えを言うというパターンにしました。
次に聞くときは、カセットの自分が答えを言う前に、正解が言えるかという勝負をしています。
それでも、500問全てを覚えることはできません。
しかし、この方法をやっていると、400問くらいは答えられるようになりますね。ミケランジェロについて、それだけ知っていたら凄いじゃないかと自分に言っています。
覚えにくいものは、後で、そこだけピックアップしたカセットを作ればいいのです。

そんな感じで、作ったカセットを車の運転をしながら、聞いています。
つまらないラジオ番組を聴いているより面白いですよ。

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私の場合は、美術史が多いですが、みなさんも、自分の好きなジャンルで覚えたいことがあったら、このようにしてみてはいかがでしょうか。

私は、エジプトから現代までの美術史をクイズにして、2000問作りました。
1000問の時に、生徒たちに丸暗記をさせました。

これを、5000問、10000問にして行こうかなと思っています。
美術についての知識が10000問になったら、結構すごいと思いませんか?


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