今日、ある人が絵を見てもらえますかと言って、私を訪ねて来た。
先日、さわらび展で出会って話をしていたら、今絵が車に積んであるので、見てもらってもいいですかという話になって、会場ではまずいから、外で見ましょうと、会場の外でアドバイスをさせていただいた、その方だった。
もし、良かったら私はデッサン会をやっているので、見学に来ませんかと誘い、今日のデッサン会を紹介しておいたのである。
しかし、絵を見てほしいというので、それでは、デッサン会では駄目だから、午前中お会いしましょうということで、なかまちで会うことにした。
ーーーーーーーーーー
その方は、前回見ているので、絵の力はある程度わかっている。
透視図法は分かっているが、色の遠近がわかっていない。だから、形は段々遠いものほど、小さく描いているが、本当の遠さが出ないのある。
ーーーーーーーーーー
構図については、ほとんど素人で、私の話を聞きながら、初めて聞いたということがたくさんあった。だから、ある意味で、初めて絵を教えてもらったという感じである。
しかし、いろいろ話をしていたら、どうも絵のグループがあるらしい。
そして、そこで、いろいろなことを言われるということも、お聞きした。
ーーーーーーーーーー
その中に、こんな話があった。
「何でもいいから、100枚描きなよ。そうすれば、なんとかなるよ」
だった。
ーーーーーーーーーーー
私も似たようなことを言うことがあるが、何とも無責任な話である。
私は、いきなり、そんなことは言わない。
毎朝、クロッキーを3枚描くというメニューを高校生にやらせてきたが、その場合でも、なんでもいいから100枚とは言わない。描く度に、先輩と比べて、先輩と自分のクロッキーを比べ、何が負けているかを考えさせ、次はこう描いてみようという課題を持たせて、一枚づつテーマを持って、描かせる。
そういうやり方の100枚なら、かなりの効果がある。むやみにただ、100枚描いても進歩はしない。どうせやるなら、上手くなりたいだろう。それなら、やり方があるのである。
それを、水泳を教えずに、いきなり水の中に落とせば、必死で泳ぐだろう。という感じだろうか。
どうも、絵はでたらめでもいいと思う人がいるようだ。
ーーーーーーーーーーー
「自己流」という言葉がある。
「絵は、自己流でいいんだ」と。「構わないよ」と私も答える。
そのかわり、「それでいいんなら」が、必ず付く。
ーーーーーーーーーーー
今日来た方は、息詰まって、どうしていいかわからずに、答えを求めてやってきた。
なぜなら、もう4年で180枚も描いたのだという。
そして、どうにも、納得がいかなくてという感じだった。
自己流の限界を感じたのだろうか。
私は、かなりひどいことを言った。「これを見て駄目だと言ってくれる人がいませんでしたか?」と「これは、風呂屋のペンキ絵ですよ。」とにかく、つまらない絵だと。本当にかわいそうになったからである。そう言ってやる方が親切だと思った。
そして、なんとかしてやりたくなったので、私は、「私に、騙されたと思ってやってみませんか?」と尋ねた。
すると、「やってみたい」という反応があった。
ーーーーーーーーーーー
絵は自己流でいいかもしれない。
しかし、このまま、200枚近くも描いて、全然進歩しないでいるのは、いかにもかわいそうな気がした。
足踏みというのかなあ。よくまあ、進歩もなくそれだけの枚数を描いたものだと、感心した。
どうだろうか?
老後の楽しみで、暇つぶしに楽しんで描くなら、それでいいよね。
しかし、この方は、81歳になって、180枚も描いたのである。
私に言わせれば、そんなに描くなら、いくらかは上手くなりたいという気持ちもあるだろうにと。
いままで、なぜ、基本を学ぼうとしなかったのかな?
挙句の果てに、「自分には、審美眼がないのでしょうか?」と言われた。私は、「そんなことはないですよ」と言い、「一度、きちんとしたことを学ぶ機会を作れば、そんな考えはすぐに変わりますよ」と励ました。
だから、騙されたつもりで一回だけ、言われるままやってみませんかと話した。
やってみると言われた。
ーーーーーーーーー
この方が、どうなるか、みなさん期待してください。
先日、さわらび展で出会って話をしていたら、今絵が車に積んであるので、見てもらってもいいですかという話になって、会場ではまずいから、外で見ましょうと、会場の外でアドバイスをさせていただいた、その方だった。
もし、良かったら私はデッサン会をやっているので、見学に来ませんかと誘い、今日のデッサン会を紹介しておいたのである。
しかし、絵を見てほしいというので、それでは、デッサン会では駄目だから、午前中お会いしましょうということで、なかまちで会うことにした。
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その方は、前回見ているので、絵の力はある程度わかっている。
透視図法は分かっているが、色の遠近がわかっていない。だから、形は段々遠いものほど、小さく描いているが、本当の遠さが出ないのある。
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構図については、ほとんど素人で、私の話を聞きながら、初めて聞いたということがたくさんあった。だから、ある意味で、初めて絵を教えてもらったという感じである。
しかし、いろいろ話をしていたら、どうも絵のグループがあるらしい。
そして、そこで、いろいろなことを言われるということも、お聞きした。
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その中に、こんな話があった。
「何でもいいから、100枚描きなよ。そうすれば、なんとかなるよ」
だった。
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私も似たようなことを言うことがあるが、何とも無責任な話である。
私は、いきなり、そんなことは言わない。
毎朝、クロッキーを3枚描くというメニューを高校生にやらせてきたが、その場合でも、なんでもいいから100枚とは言わない。描く度に、先輩と比べて、先輩と自分のクロッキーを比べ、何が負けているかを考えさせ、次はこう描いてみようという課題を持たせて、一枚づつテーマを持って、描かせる。
そういうやり方の100枚なら、かなりの効果がある。むやみにただ、100枚描いても進歩はしない。どうせやるなら、上手くなりたいだろう。それなら、やり方があるのである。
それを、水泳を教えずに、いきなり水の中に落とせば、必死で泳ぐだろう。という感じだろうか。
どうも、絵はでたらめでもいいと思う人がいるようだ。
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「自己流」という言葉がある。
「絵は、自己流でいいんだ」と。「構わないよ」と私も答える。
そのかわり、「それでいいんなら」が、必ず付く。
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今日来た方は、息詰まって、どうしていいかわからずに、答えを求めてやってきた。
なぜなら、もう4年で180枚も描いたのだという。
そして、どうにも、納得がいかなくてという感じだった。
自己流の限界を感じたのだろうか。
私は、かなりひどいことを言った。「これを見て駄目だと言ってくれる人がいませんでしたか?」と「これは、風呂屋のペンキ絵ですよ。」とにかく、つまらない絵だと。本当にかわいそうになったからである。そう言ってやる方が親切だと思った。
そして、なんとかしてやりたくなったので、私は、「私に、騙されたと思ってやってみませんか?」と尋ねた。
すると、「やってみたい」という反応があった。
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絵は自己流でいいかもしれない。
しかし、このまま、200枚近くも描いて、全然進歩しないでいるのは、いかにもかわいそうな気がした。
足踏みというのかなあ。よくまあ、進歩もなくそれだけの枚数を描いたものだと、感心した。
どうだろうか?
老後の楽しみで、暇つぶしに楽しんで描くなら、それでいいよね。
しかし、この方は、81歳になって、180枚も描いたのである。
私に言わせれば、そんなに描くなら、いくらかは上手くなりたいという気持ちもあるだろうにと。
いままで、なぜ、基本を学ぼうとしなかったのかな?
挙句の果てに、「自分には、審美眼がないのでしょうか?」と言われた。私は、「そんなことはないですよ」と言い、「一度、きちんとしたことを学ぶ機会を作れば、そんな考えはすぐに変わりますよ」と励ました。
だから、騙されたつもりで一回だけ、言われるままやってみませんかと話した。
やってみると言われた。
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この方が、どうなるか、みなさん期待してください。