絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

ナポレオンの戴冠

2009-08-31 | 美術
この絵は、ダビッドが描きました。

ルーブル美術館にある絵では、二番目に大きい絵です。
一番大きいのは、カナの婚礼という絵だと聞きました。
カナの婚礼は、以前、モナリザと同じ部屋にあった絵です。

ナポレオンの戴冠は、私は絵の前を歩いてみましたが、普通の歩幅で16歩でした。よく授業で大きさを伝えるために黒板の前を歩いて見せましたが、窓際から歩いて黒板の前を通過して、教室から出て、廊下の中央くらいまで行ってしまいます。廊下に出てから、「ここまで」と私が言うと生徒たちは笑いました。しかし、何メートルと口で言うより、実感できますね。

この絵は、ナポレオンに頼まれてダビッドが描きましたが、同じ絵を二枚描いています。一枚はルーブル美術館ですが、もう一枚はベルサイユ宮殿にあります。
大きさも構図も全く同じですが、一か所違うところがあります。よく、間違い探しのクイズで出されるので、ご存知の方も多いと思いますが、いかがでしょうか。

左に5人の女性が立っていますが、その一人だけ衣装の色が違います。その女性はナポレオンの妹ではないかと言われていますが、どうなのでしょうか。
私は、詳しく知りません。

この絵は、ナポレオンが戴冠をした後、奥さんのジョセフィーヌに冠を被せるところを描きました。
実は、ヨーロッパのチャンピオンの印は、昔のローマ帝国の皇帝がそれに当たります。ナポレオンは、ヨーロッパを征服したので、ローマ帝国の皇帝と同じだとみなされました。そして、その意味では、西暦800年にカール大帝がローマ法王から戴冠を受けたように、法王から冠を与えられるとみんなが認める皇帝になれるのです。

しかし、ナポレオンはとんでもないことをしました。
それは、法王を呼んで置きながら、目の前で、自分で自分に冠を被せたのです。
まるで、あなたの権威は要らないよと言っているかのようです。

そして、もし、自分に何かがあったときには、その権威はジョセフィーヌにあるということを示すために、冠を与えたのです。

これは、王様が戦いに出るときに、そのようなことをしました。有名なのは、アンリ4世が奥さんのマリードメディシスに戴冠したことです。

ルーベンスのマリードメディシスの生涯という絵のシリーズで出て来ます。

ーーーーーーーーー
ということで、ジョセフィーヌに戴冠をしたのです。
それをダビッドが描きました。

ナポレオンの時期ですから、フランス革命の後、19世紀初めですね。
フランス革命のときは、ナポレオンは20歳でした。覚えて置くといいですよ。

フランス革命は、1789年です。
私は、自分の学校の住所と同じなので、忘れなくなりました。

このような数字は、自分の身近なもので、関連があるものと結び付けて覚えると忘れませんね。

ーーーーーーーー
この絵には、実際はいなかった人が描かれています。
それは、ナポレオンのお母さんです。中央の上の方に座っています。
実際はいませんでしたが、お母さんを描いた方がよいと考えたダビッドがサービスで描いたそうです。
ーーーーーーーー
絵が仕上がってから、ナポレオンに見せると、ナポレオンは30分くらい無言で見ていて、その後で、ダビッドに対して最敬礼をしたというエピソードが語り継がれています。
本当にうれしかったのでしょうね。
ーーーーーーーー
ダビッドは、新古典主義の画家と言われます。(アングルもその一人です。)
テーマは、ローマ帝国の歴史画などを描いて有名です。
サビニの女、息子を死刑にしたブルータスの絵を紹介しましたよね。

ナポレオンの台頭と共に有名になって、ナポレオンの失脚と共に消えていきました。

いま、外出中なので、絵の写真は帰宅したら載せます。すこし、お待ちください。

ーーーーー
この絵の、舞台はパリのノートルダム寺院です。

ノートルダムとは、「我らの母」という意味です。

ヨーロッパで我らの母と言ったら誰ですか?
といえば、わかりますよね。

そうです。マリア様です。

だから、ノートルダム寺院というのは、たくさんありますが、それらは全てマリア様が祀ってあるのです。それを知っておくといいですよ。

それから、もっと、へええええーーーというのは、

ノートルダムというのは、言いかえるとノストラダムスなのです。
あの、ノストラダムスの大予言として有名なあの方は、我らの母と言われていたのですね。

ノストラダムスとは、お医者さんなのですよ。
ペストが流行ったときに、献身的に治療に当たった人です。自分の家族がペストにかかっても、他の人のために治療に当たったのです。

その人が、いろいろと予感したことが当たってしまって、その内、大予言を残して世を去ったのです。

ノートルダム寺院は、パリのセーヌ川の中州(シテ島)にあります。ゴシック建築の代表的なものです。また、後で、触れます。

ーーーーーーーーー
















コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私の誕生日

2009-08-31 | 日記
今日は、私の誕生日です。
55歳になりました。

22歳で大病をして、もう生きられないかなと思ってから、33年経ちました。
あの頃から、考えたらいまの状態は、嘘のようです。

埼玉県立がんセンターに通算で、9回の入院、二度の大手術。小さな手術は5回。
抗がん剤、丸山ワクチン、放射線治療。

私は何のために生まれてきたのだろうと、嫌でも考えさせられました。

このまま、死んでなるものかと思っても、自分ではどうにもなりません。

ただ、運を祈るのみかな?

そう考えると、「もし神様がいるなら、私をもう少し生きさせてください」と祈るだけでした。
もし、後10年生きられたなら、少しは、世の中のためになることができるんじゃないかな。
一つくらいは、人のために役に立つことができるんじゃないだろうか。

何かしたい。何もしないで死にたくない。まるで、黒沢映画「生きる」の渡辺寛治さんの心境でしたね。

そう思って、自分の人生を後10年と決めて、生きて来ました。
あと、10年生きられたなら、何をしようと思いながら。

その積み重ねが、本庄第一高校の美術部を作りました。

ーーーーーーーーーーーーーーー
最近も、甲状腺と糖尿の病気をかかえ、足は車いす状態ですが、気持だけは元気でいきてます。
この状態で、自分のできることをしていきたいと考えています。

このブログは、世界に向けて、美術に興味がある人に、いろいろなことを知ってもらえたらいいなあと思って、書いています。

喜んで、くださる人がいたら、嬉しいです。

今年の私の夢は、桜が二度咲く夢でした。
一本の桜の木が花が咲いて、散って、また咲いたのです。
これは、もうひと花咲かせよという何かのお告げかなと勝手に解釈しています。



コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする