ミケランジェロが描いた最大の絵、システィーナ礼拝堂の天井画のお話をします。
ここは、天使と悪魔でも、出て来ましたが、ローマ法王を決める場所でもあります。それをコンクラーベといいます。決まるまで、誰も出てこられません。何日もかかることがあります。決まると白い煙が煙突から出るんでしたよね。
この礼拝堂の天井に絵を描くように、ミケランジェロは命令されました。
ミケランジェロは、彫刻家ですからできないと断りました。しかし、命令ですからやらないと命の危険さえあったのです。しかたなく始めます。
最初は、12人だけ描く予定でした。天井を全部埋め尽くすほどの絵を描くのは、不可能だと思ったのです。
一度は、挫折して逃げますが、つぎに現れた時は、この天井全部を埋める設計図を持っていました。
こんな大変な仕事を引き受けてしまったと、何度も嘆いています。
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内容は、旧約聖書の天地創造です。神が光と闇を分けた、天と地を分けた、太陽と月を誕生させた。アダムの誕生、楽園追放、ノアの洪水などが描かれています。
因みに、神は、この仕事を6日間でやりとげ、7日目に休まれた。だから、一週間は7日なんですね。
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ミケランジェロは、絵は素人でした。フレスコ画の描き方を知りませんでした。そのため、その技法を教えてもらうために、フレスコ画の専門家を5人雇っています。そして、描いたのがノアの洪水の部分です。
人間が小さめで、たくさんいるのは、共同制作だからです。
全部を共同でやれば、負担も減るのですが、ミケランジェロは、フレスコ画の技法を習得すると、その技師たちを首にしてしまいます。
下手すぎて、使えないと言っています。
ミケランジェロからすると、許せない下手さだったのです。
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だから、それ以降、一人でやることになりました。
大変なことです。
普通でさえ大変なのに、天井ですから、上を向いて描きます。それを4年間やりました。33歳から37歳までです。このとき、ラファエロが隣の建物で、アテナイの学堂を描いていました。
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ミケランジェロは、着の身着のまま、ほどんど、その場で過ごしました。パンと葡萄酒で、ろくなものを食べないで、制作に熱中しました。
そのため、あるとき、長靴を脱いだら、ごっそりと足の皮がむけてしまったといいます。足が蒸れていたのです。
完成間近のときは、首が上を向いたままの体が沿った状態で歩いていたと言います。絵具が顔に垂れるので、目に入って、目を傷めたともいわれます。
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最近、ミケランジェロが足場を組んだ状態が判明しました。
下から、建築現場のように足場を組んだと思われていましたが、それでは、教会の礼拝堂の役目が果たせません。それが、壁に穴を開けて鉄柱を差し込んで、その上に足場を組んだらしいです。
ブラマンテに相談したら、天井に穴を開けてブランコみたいに吊るしたらどうだと言われたそうですが、それでは、その開けた穴はどうするかということで、その案はだめだとなったようです。
そもそも、この仕事はブラマンテがミケランジェロを困らせようと、仕組んだとも言われています。ミケランジェロが生意気なので、無理難題を押し付けて、できなかったと言って笑ってやろうというものでした。
しかし、結果はとんでもないものでした。ミケランジェロの凄さが更にわかるものになったのです。
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近年、修復が行われて、煤が掃われて、綺麗になりました。煤で汚れている方が重みがあっていいなどという人もいますが、フレスコ画は表面の汚れを取ると、描いた時の状態に戻りますからすごいことです。
レオナルドの最後の晩餐の痛み具合から考えると、正式なブオンフレスコはすごいですね。
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私が初めて行ったのは、15年くらい前ですが、その頃は、撮影もあまりうるさいことを言われず、みんな写真やビデオを撮っていました。私もそのときはしっかり撮影をしてきました。今は、どちらもだめのようです。
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両サイドに腰掛けられる板状のものがあって、そこに座って、みんな口を開けて上を見ている状態でした。
ときどき、ざわざわして来ると、係の人が、口に人差し指をあてて「シーーッ」と言うのです。日本でもイタリアでも、静かにしてくださいというのは、同じなんだなと思いました。
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教会の礼拝堂ですから、美術館ではないのです。
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正面の祭壇画は、最後の審判です。これは、また、別の時にお話しします。
ここは、天使と悪魔でも、出て来ましたが、ローマ法王を決める場所でもあります。それをコンクラーベといいます。決まるまで、誰も出てこられません。何日もかかることがあります。決まると白い煙が煙突から出るんでしたよね。
この礼拝堂の天井に絵を描くように、ミケランジェロは命令されました。
ミケランジェロは、彫刻家ですからできないと断りました。しかし、命令ですからやらないと命の危険さえあったのです。しかたなく始めます。
最初は、12人だけ描く予定でした。天井を全部埋め尽くすほどの絵を描くのは、不可能だと思ったのです。
一度は、挫折して逃げますが、つぎに現れた時は、この天井全部を埋める設計図を持っていました。
こんな大変な仕事を引き受けてしまったと、何度も嘆いています。
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内容は、旧約聖書の天地創造です。神が光と闇を分けた、天と地を分けた、太陽と月を誕生させた。アダムの誕生、楽園追放、ノアの洪水などが描かれています。
因みに、神は、この仕事を6日間でやりとげ、7日目に休まれた。だから、一週間は7日なんですね。
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ミケランジェロは、絵は素人でした。フレスコ画の描き方を知りませんでした。そのため、その技法を教えてもらうために、フレスコ画の専門家を5人雇っています。そして、描いたのがノアの洪水の部分です。
人間が小さめで、たくさんいるのは、共同制作だからです。
全部を共同でやれば、負担も減るのですが、ミケランジェロは、フレスコ画の技法を習得すると、その技師たちを首にしてしまいます。
下手すぎて、使えないと言っています。
ミケランジェロからすると、許せない下手さだったのです。
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だから、それ以降、一人でやることになりました。
大変なことです。
普通でさえ大変なのに、天井ですから、上を向いて描きます。それを4年間やりました。33歳から37歳までです。このとき、ラファエロが隣の建物で、アテナイの学堂を描いていました。
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ミケランジェロは、着の身着のまま、ほどんど、その場で過ごしました。パンと葡萄酒で、ろくなものを食べないで、制作に熱中しました。
そのため、あるとき、長靴を脱いだら、ごっそりと足の皮がむけてしまったといいます。足が蒸れていたのです。
完成間近のときは、首が上を向いたままの体が沿った状態で歩いていたと言います。絵具が顔に垂れるので、目に入って、目を傷めたともいわれます。
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最近、ミケランジェロが足場を組んだ状態が判明しました。
下から、建築現場のように足場を組んだと思われていましたが、それでは、教会の礼拝堂の役目が果たせません。それが、壁に穴を開けて鉄柱を差し込んで、その上に足場を組んだらしいです。
ブラマンテに相談したら、天井に穴を開けてブランコみたいに吊るしたらどうだと言われたそうですが、それでは、その開けた穴はどうするかということで、その案はだめだとなったようです。
そもそも、この仕事はブラマンテがミケランジェロを困らせようと、仕組んだとも言われています。ミケランジェロが生意気なので、無理難題を押し付けて、できなかったと言って笑ってやろうというものでした。
しかし、結果はとんでもないものでした。ミケランジェロの凄さが更にわかるものになったのです。
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近年、修復が行われて、煤が掃われて、綺麗になりました。煤で汚れている方が重みがあっていいなどという人もいますが、フレスコ画は表面の汚れを取ると、描いた時の状態に戻りますからすごいことです。
レオナルドの最後の晩餐の痛み具合から考えると、正式なブオンフレスコはすごいですね。
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私が初めて行ったのは、15年くらい前ですが、その頃は、撮影もあまりうるさいことを言われず、みんな写真やビデオを撮っていました。私もそのときはしっかり撮影をしてきました。今は、どちらもだめのようです。
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両サイドに腰掛けられる板状のものがあって、そこに座って、みんな口を開けて上を見ている状態でした。
ときどき、ざわざわして来ると、係の人が、口に人差し指をあてて「シーーッ」と言うのです。日本でもイタリアでも、静かにしてくださいというのは、同じなんだなと思いました。
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教会の礼拝堂ですから、美術館ではないのです。
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正面の祭壇画は、最後の審判です。これは、また、別の時にお話しします。