我が浜松は江戸時代より田舎歌舞伎の盛んな地です。
毎年一月末には雄踏文化会館で雄踏歌舞伎・万人講が開催
されてきました。
時代の流れで、成人男子の担い手がいなくなり、その大多数が
女子中高生になり、いわば少女歌舞伎の様相を呈してきました。
女の子が大好きな飲兵衛にとってこれは誠に喜ばしい事で、
ほぼ毎年の様に出かけていましたが、残念な事に今年はコロナ
で中止になってしまいました。
そこで過去のブログから、今まで一番印象に残った「傾城阿波
の鳴門・順礼歌の段」を再アップいたします。
十郎兵衛・お弓の夫婦は、徳島の玉木家の家宝国次の刀を探すため、
大阪の玉造に住み、今では盗賊の仲間に入っていました。
お弓が留守番をしているところに、順礼の少女がやってきます。
「おひねり」(投げ銭)が投げ込まれ場面を盛り上げます。
「巡礼にご報謝~」
戸口に聞こえた愛らしい声。
お弓が外へ出てみると見ると、巡礼装束を身にまとった可愛らしい少女が
戸口に立っています。
国許に残してきた自分の娘と同じ年頃なので、話を聞いてみると娘の名前は「おつる」、
両親を探して徳島からはるばる旅をしてきたという身の上を語ります。
「そうかい。それで、親の名は何というんだい」
「あい、とと様の名は十郎兵衛、かか様はお弓と申します」
間違いなく自分の娘であることがわかりました。
娘の「おつる」も「お弓」に母親の面影を感じ、はここにおいて欲しいと頼むのでした。
今すぐに抱きしめ母と名乗りたい思いを抑え、盗賊の罪が娘に及ぶことを恐れて、
国へ帰るように諭します。
そしてこのままここにおいて欲しいと頼むおつるを、お弓は泣く泣く追い返します。
悲歎にくれるおつる。
(どっと投げ込まれた「おひねり」が場面を更に盛り立てます)
やがておつるは哀しそうに順礼歌を口ずさみながら立ち去ります。
「♪ちちははの恵みも深き粉河寺~ 仏の誓いたのもしの身や~」
おつるの歌う順礼歌が遠のくと、お弓はこらえきれずにおつるの後を追いかけるのでした。
元々この手のお涙頂戴話には弱い飲兵衛、
歳と共に涙腺も益々弱り、あまりの名演技につい涙ウルウル
となったのであります。