飲兵衛の酔写アルバムPartⅡ

毎週1回月曜日に更新します

雄踏歌舞伎(その3・恋飛脚大和往来~新口村の場)

2020-01-30 00:00:01 | 田舎歌舞伎

三百両の為替金の封印を切って梅川を身請けした忠兵衛は
梅川と二人、雪の降る中を追っ手の目を逃れて、
忠兵衛の実父・孫衛門の住むを新口村へとたどり着く。

 

 

 

 

 

 

寒さに凍える梅川。

 

 

二人は近くの小屋に身を潜めます。

 

 

二人が小屋に身を潜めていると、雪の中を忠兵衛の実父・孫衛門
がやって来る。
下駄の緒が切れ転んだ孫衛門を見て思わず梅川が走り出て助け起こす。

 

 

 

 

下駄の緒を繕う梅川。
梅川は孫衛門に迷惑がかかってはと名乗る事もできないが、
孫衛門はこの女が倅の嫁だと気づく。

 

 

小屋から見守る忠兵衛。

 

 

何とか忠兵衛を実父・孫衛門に会わせたいと苦悩する梅川。

 

 

白い雪景色に黒留袖、裾の割れ目からのぞく赤襦袢。
いや~艶やかですね。

飲兵衛もうゾクゾクしてしまいました。

 

 

梅川はついに「面無い千鳥」というお座敷遊びと同じ様に目隠を
して
忠兵衛に会わせる。
父の手が息子の身体を撫で、息子が父の手を握るのでした。

 

 

罪人と知って匿ったとあれは父にも罪が及ぶ。
父との別れを惜しみつつも、雪の降り積もった竹薮の道を二人は
逃げていく。

 

 

逃げていく二人を見守る孫衛門の嘆き!
現世では幸せになれない二人が、来世で幸せになることを願う。

近松門左衛門の一貫した世界観・人生観が見事に表現されていました。

 

 


雄踏歌舞伎(その2・恋飛脚大和往来~封印切りの場)

2020-01-27 00:00:01 | 田舎歌舞伎

雄踏歌舞伎より「恋飛脚大和往来」を、今回の「封印切りの場」と
次回の「新口村の場」との2回に渡ってご紹介いたします。

大阪の飛脚屋亀屋妙閑の養子忠兵衛は、新町井筒屋の遊女梅川と深い中に
なっている。
既に身請けの50両を渡してあるが後金ができない。

 

 

今日も堂島の武家屋敷に届ける三百両を懐に梅川のもとへ来てしまいました。

 

 

そこへ忠兵衛が居るとは知らずに丹波屋八衛門が来て忠兵衛の悪口雑言。
実は八衛門は梅川に惚れて身請けをしようとしていた。

 

 

 

 

八衛門の悪口雑言にいたたまれず、忠兵衛は奥の部屋から飛び出してくる。

 

 

忠兵衛は八衛門の挑発に乗り、お屋敷の三百両の封印を切ってしまう。
飛脚屋がお客の金の封印を切れば横領と見なされ、死罪は免れない。

 

 

死を覚悟したした忠兵衛はその金で梅川を身請けする。

 

 

誰も居なくなった座敷で、忠兵衛は今の金はお客の金だと打ち明け、
共に逃げようと告げる。

 

 

 

 

共に逃げる覚悟を決めた忠兵衛と梅川は養父や親方に身の不孝を詫びる。

 

 

梅川は井筒屋に別れを告げ、
目立たぬ様に一人ひそかに落ち合う約束の場所へと向かう。

 

 

 

 

梅川の後を忠兵衛また落ち合う場所へと向かうのでした。

大量に投げ込まれた「おひねり」(投げ銭)がこの場をを寄り一層盛り上げていました。

 

次回(1月30日・木)は「新口村の場」です。
雪の降り積もる中、追っ手の目を逃れながら忠兵衛の実父の住む新口村にたどり着い
た二人、
まさに近松門左衛門の世界が繰り広げられます。
是非見てくださいね。

 

 


雄踏歌舞伎(その1・寿式三番叟)

2020-01-23 00:00:01 | 田舎歌舞伎

1月19日(日)に浜松市雄踏町で行われました「雄踏歌舞伎」より
まず最初に「寿式三番叟」(ことぶきしきさんばそう)をご紹介いたします。

「寿式三番叟」は昔は正月の事始や歌舞伎の顔見世興行、新築開場などの目出度い
儀式として演じられました。

大歌舞伎では演じられなくなりましたが、田舎歌舞伎ではこの「寿式三番叟」
から始まるのが慣例となっています。


翁(天照大神)、千歳(八幡大菩薩)、三番叟(春日明神)が登場、
まずは千歳(八幡大菩薩)の舞からご覧ください。





続いて翁(天照大神)です。



そして三番叟(春日明神)の舞と続きました。



千歳や翁の優雅な舞と異なり、駆けたり跳ねたり舞台狭ましと動き回りました。





疲れて座り込んだところを、相方が蹴飛ばすというコミカルな場面もありました。






この「寿式三番叟」は各地域により伝承内容が異なります。
浜松市細江町の「横尾歌舞伎」では「千歳」や「翁」は登場せず、
三番叟のみ三人が登場しました。
こちらが「横尾歌舞伎」で演じられている「寿式三番叟」です。

 

 

 



おまけです。
(レタッチで東京カメラ部風?の画像に変えてみました)



 


阿寺の七滝&豊川稲荷

2020-01-20 00:00:01 | その他

1月12日(日)に初詣を兼ねて奥三河を小旅行しました。
最初に向かったのが愛知県新城市の「阿寺の七滝」です。

車一台がやっと通れるような細い山道を、若し対向車が
来たら
どうしようと、ヒヤヒヤしながら半時間ほど進みました。
幸いな事に対向車に出くわす事も無く、「阿寺の七滝」の駐車場
にたどり着きました。

いまいちマイナーな所なので観光客はほんの数組ていどしか
いません。
そこから渓流沿いに歩いて阿寺の七滝へ向かいます。



ゴーという滝の音、阿寺の七滝が見えて来ました。



滝が七つに連なっている事から「七滝」と呼ばれるようになりました。



阿寺七滝を後にして湯谷温泉の「はづ別館」へ向かいました。
ここで温泉に入り、昼食を取りました。



あまごの朴葉味噌焼き。



牛肉の豆乳しゃぶしゃぶ。
牛肉がちょっと少ない?様な。

 

昨年の2月に来た時には豪華な食事に感激したのですが、
今回はいまいちで少しがっかりでした。

食事のあとに、もう一風呂浴びて豊川稲荷へと向かいました。
豊川稲荷は正式には「円福山 豊川閣 妙厳寺」と呼ぶ曹洞宗のお寺です。

このお寺の守護神「豊川吒枳尼真天(だきにしんてん)」が白狐の背に
乗り、
稲束をかついで宝珠を持って空を飛ぶ仏教の女神様であること
から、日本古来の
稲荷信仰と重なり、豊川稲荷と呼ばれるようになりました。

伏見稲荷に代表される神社系のお稲荷様とは全く系統を別にしています。








本堂横の零狐廟には多数のお稲荷様が奉納され、独特の雰囲気を
醸し出していました。






 

 


浜松市消防出初式

2020-01-16 00:00:01 | その他

今日は先週の土曜日(1月11日)に浜松市駅前アクト横で行われました
浜松市消防出初式をご紹介
いたします。

まず最初にとび職による梯子乗りをご覧ください。











 


近年は梯子乗りを行うとび職の方が少なくなり、
以前の様に二人乗りや三人乗りの技が見られず、すこし寂しくなりました。

梯子乗りの次は消防団によるパレードが行われました。



消防団の次は消防車のパレードが続きました。
最初に登場したのがこの可愛らしい消防車です。

 

 

パレードの後にはいよいよ出初式のハイライト「一斉放水」が始まりました。



一斉放水により虹が発生!



一斉放水の後の片付けです。
銀色に輝く消防服がカッコいいですね。



出初式を終えて帰る途中、浜松市のマスコットキャラクター「家康くん」
のマンホールを見つけました。
早速パチリしたところ、通りがかりの女子高生から、物好きな爺さんもいる
ものだ、と呆れ顔されてしまいました。
飲兵衛赤面、もうトホホホです(涙・・・)。

 

 


石垣島

2020-01-13 00:00:01 | 2015年 八重山諸島

前回に引き続き八重山諸島より今日は石垣島をご紹介いたします。

まず最初に訪れたのが石垣市公設市場です。
地元の産物を豊富に扱っていて三階には食堂もあり、
ここで土産物と昼食をと思っていたのですが、なんと年末年始は休業の
店ばかりで、
八百屋と魚屋が各一軒だけ店を開いているだけでした。



魚屋さんでパチリ。
赤い魚はヒメフエダイ、青緑とオレンジの模様の魚はイロブダイだと思います。



この鼻が伸びた奇妙な顔の魚はヒメテングハギです。
この晩居酒屋でこのヒメテングハギの刺身を食べました。
なかなかに美味でしたよ。



公設市場の近くにこんな店がありました。
この店の「雪塩ソフトクリーム」はなかなかの人気らしいですが、
飲兵衛は遠慮しました。



浜松では見かけないコンビニがありましたのでパチリ。
この「Coco!」はその後ファミリーマートに吸収合併され、店名もファミリーマートに
代わっているようです。



その後フェリー乗り場近くのバスターミナルからバスに乗り川平湾(ガビラ湾)
へ向かいました。
こちらが沖縄・八重山諸島の中でも最も美しいと言われている川平湾(ガビラ湾)
です。







とても綺麗で穏やかな海岸。
時間のたつのを忘れそうになりました。



海岸に猫ちゃんたちが日向ぼっこ。
観光客慣れしているらしく飲兵衛が近寄っても逃げませんでした。



近くに祠がありましたので初詣を兼ねてお参りをしました。




 


竹富島

2020-01-09 00:00:01 | 2015年 八重山諸島

皆様はこの年末年始、如何お過ごしでしたか?
怠け者の飲兵衛、今年は何処にも行かず、朝寝・朝酒・朝湯で
テレビを
見ながらゴロ寝で過ごしました。

普段ですと、テレビを見ながらゴロ寝をしていると、
女房殿が嫌がらせに掃除を始めるか、ヒステリーを起こすかして、
家から追い出されてしまうのですが、
さすがに正月休みだけは追い出される事も無く、
無事にゴロ寝で
過ごす事ができました。

とまあ、ここまでは良かったのですが、おかげでブログのネタが
無くなってしまいました。
そこで今日は外付けハードディスクにしまっておいた写真の中から
5年間に訪れました八重山諸島・竹富島をご紹介いたします。


ちなみに地面の白い砂は珊瑚礁が風化してできたそうです。





水牛車は観光客に大人気です。



颯爽と自転車を走らせているハンサムボーイ!
何を隠そう私・浜松屋飲兵衛その人であります。
この写真、女房殿にパチリしてもらったのですが、
女房殿、私をヘボ呼ばわりしているくせに、ご自身は超の字が
つくほどの下手くそで、
この写真のために何度も撮り直しをしました。



星砂で有名なカイジ浜(皆冶浜)です。
八重山の海はとても綺麗でした。







赤枠で囲ったのが星砂です。
この星砂、有孔虫の殻だそうです。



こちらが生徒数約30名の竹富町立竹富小中学校です。
とても明るく開放的、この様に素敵な学校で学ぶのは楽しいでしょうね。



こちらは図書館でしょうか?
看板には「こぼし文庫 竹富小中学校PTA」と書かれていました。



ところで竹富町の町役場は竹富町(竹富島)ではなく、なんと石垣市
(石垣島)にあります。
これには飲兵衛もびっくり。
驚き!桃の木!山椒の木!とはまさにこのことです。


 

 


名古屋城本丸御殿

2020-01-06 00:00:01 | その他

新年明けましておめでとうございます。
今年もどうぞ宜しくお願い致します。

今日は新春にふさわしく豪華絢爛、書院造の贅を尽くした
名古屋城本丸御殿を紹介いたします。

「尾張名古屋は城でもつ」と唄にまで歌われた名古屋城は
徳川家康の命により、尾張徳川家の城として建てられました。
その一角をしめる本丸御殿は、尾張藩主の住居かつ藩の政庁
として1615年(慶長20)に完成しました。
御殿の内部は障壁画や飾金具などで絢爛豪華に飾られ、
江戸時代の先端技術を注いだ近世城郭御殿の最高傑作と讃え
られました。

太平洋戦争の空襲により残念ながら焼失。
幸いなことに、江戸時代の図面や記録、昭和戦前期に作成された
実測図、古写真などが残されていたため、
2009年から復元工事を開始。
第一級の史料をもとに、他では類を見ない正確さで忠実に復元を
進め2018年にほぼ完成しその優美な姿を公開しています。

まずは玄関車寄せから外観を。











続いて室内を紹介いたします。
まず最初に「玄関・虎之間」
本丸御殿を訪れた人がまず通され、対面を待つ場所です。



「表書院」
初代尾張藩主・徳川義直が客と公式に対面する際に使用されました。





「対面所」
身内や家臣との私的な対面・宴席に使用されました。
障壁画は、京都などの「風俗図」がおだやかな筆致で描かれています。



「上洛殿」
第三代江戸幕府将軍・徳川家光が宿泊するために造られました。



「梅の間」
将軍をもてなす上級家臣たちの控え場所であったとされている広間です。



「黒木書院」
清須城から移築されたと伝わる「黒木書院」です。
襖絵もぐっと色味を落とし風格のある水墨画が配されていました。