聖ドミニコ教会を見学した後はその横の路地を北へ、
マカオで最も有名な名所・聖ポール天主堂跡(大三巴牌坊)へ
向かいました。
路地の先に聖ポール天主堂跡が見えてきました。
聖ポール教会はイエズス会によって1602年建てられた教会で、
すぐ横にはモンテの砦があります。
1835年の火事で大部分が消失し、現在は教会の前壁と68段の階段
だけが残存となっていました。
階段の上から先ほど通った小路をパチリ。
聖ポール天主堂跡の後は再びセドナ広場に戻り、
観光客の余りいない西側の歴史地区を訪れてみました。
聖ローレンス教会は1558年から1560年に間に建立された、
マカオ三大古堂のひとつです。
昔、この教会から海が見え、帆船時代は風の善し悪しが航海の安全
につながったので、
ポルトガル人はここからよい風が吹くようにと祈っていました。
それで、この教会は「風順堂」と呼ばれるようになったそうです。
室内での撮影は禁止でしたので、
外からパチリ。
この後ドン・ペドロ5世劇場、聖ヨセフ修道院と回り、最後に
福隆新街(旧遊郭街)を訪れました。
現在はお洒落なレストランや喫茶店に改装された店が多数見受け
られますが、
かって19世紀後半(明治初期)には「唐ゆきさん」と呼ばれれた、
島原や天草などの貧しい農家の女性が人身売買で売られて来た、
哀しい歴史を秘めた街です。
この頃の賑わいは凄いですね~
良い経験できましたね~
マカオには明治頃にも人身売買がまだあったのですね~
キリシタン大名の頃の話だけだと思っていました。
秀吉はその事に気づいたようですが、
明治維新によって元の木阿弥になったようですね~
維新のものは英雄、秀吉は非道な君主
のように言われてますが。
本当は逆のような気もしますね~
マカオで一番人気なのがこちらの聖ポール天主堂跡でした。
セドナ広場からここへ行く通路は凄い人通りで、
地図が無くても人通りに従うだけで着くことができました。
秀吉がキリシタン禁止令を出した理由の一つに
カトリックと一体になったポルトガル商人たちの
海外への人身売買があげられています。
明治になり再び海外への人身売買が復活したわけで、
「唐ゆきさん」はまさに日本の汚点の歴史ともいえます。
マカオの街の全体像を知らないから、一概には言えませんが、聖ポール天主堂跡へ向かう道やその周辺は、人も多いし、道もなんだか、いびつな印象受けました・・・。
マカオで最も有名な名所と言うだけあって、ものすごいインパクトです~!
そして、旧遊郭街~、お洒落なレストラン等に改装された建物もあるんでしょうけれど、下から2枚目のフォトなんか拝見しますと、改装されて、お店になっているようでもなさそうで・・・、当時のまま現存しているかのような・・・。
建物全体から、哀しい歴史を、感じとってしまいそうです・・・。
聖ポール天主堂跡は正面の壁だけが一枚保存されていて、
良く倒れないものだと感心しました。
地震の多い日本ではまず無理でしょうね。
同じマカオでもここだけが異様な程の人混みでした。
一方、セドナ広場西側の歴史地区はそれ程観光客も多くなく、
落ち着いてゆっくりと見学できました。
福隆新街(旧遊郭街)にはそのまま保存された当時の建物が
残っていて、哀しい歴史を感じさせました。
おはようございます🤗
写真の腕🦾だけではなく、旅のご案内も
素晴らしいですね!
行った気分で拝見しました。
ありがとうございます😀
飲兵衛、薀蓄が大好きで昔は女房殿相手にあれこれ
薀蓄を傾けたものでした。
でも最近は飲兵衛の薀蓄を全く聞いてくれず、
嫌がって茶碗を投げつけてきますので、薀蓄も命がけです。
その点ブログは良いですね~。
飲兵衛思う存分薀蓄を傾けられて幸せです。
凄い!路地が狭いのですね。左右のお家?お店の2階、お互いに何かを投げても届きそう(^◇^;)
今だったら密ですよね(笑)
聖ローレンス教会、室内も写真OKだったら良かったですね。📷
福隆新街、なんだか哀しさが💦
マカオまでは、日本からどのくらい時間がかかるのですか?
次は、夜景?
もう訪れる事も無いと思いますが、
今となっては、聖ポール天主堂跡へつながるあの狭い路地
の混雑振りが懐かしいですね。
さすが世界遺産だけあってマカオの教会は皆とても綺麗に
保存されていました。
哀しい歴史を秘めた福隆新街は、飲兵衛黙祷を捧げました。
中部国際空港から香港までが4~5時間、香港からマカオ
までが高速フェリーで約1時間程度でした。
凄い活気‥人の波 綺麗な教会
飲兵衛さんのブログで歴史 景観 状況がすんなり理解できて 旅した気分です。
唐ゆきさんのこと一年生さんとのコメントのやり取りでなお一層理解出来ました。
あの混雑振りも、今となっては懐かしいマカオ旅行でした。
日本は戦前まで貧しい農村の女性が人身売買で売られるという
恥ずべき行為が行われていました。
特に明治初期の「唐行きさん」は恥じても恥じたりない日本の
歴史上の汚点として、忘れてはいけないと思い、
マカオ旅行の最後に福隆新街を訪れ、黙祷を捧げた次第です。