浜松市西区引佐町井伊谷、神宮寺川が井伊谷川と合流する袂に渭伊(いい)神社
があります。
その境内、本殿の裏に高さ10mほどの山(丘)があり、その頂上に三体の巨石
が祀られ、天白磐座(てんぱくいわくら)遺跡と呼ばれています。
現在天白磐座遺跡は渭伊神社に付属していますが、
この両者は全くの無関係で、16世紀に龍潭寺にあった渭伊神社がこの地
へ遷座したと考えられています。
1988年(平成元年)に天白磐座遺跡発掘調査が行われ、主として奈良時代の
祭祀跡と認定されました。
しかし飲兵衛は弥生時代から続く祭祀の場ではないかと考えています。
弥生時代、未だ大和国に侵略・征服されていない時代を想像してみてください。
ここ井伊谷の地では日本最多の銅鐸が出土しています。
神宮寺川と井伊谷川、都田川の豊かな水源に恵まれ、早くから稲作が盛んに行われ
日本有数の銅鐸文明が花開きました。
仮にこの銅鐸文明圏を「井伊谷国」と名づけましょう。
おそらく「井伊谷国」は邪馬台国同様呪術的な巫女の女王が統治する女王国
であったと考えられます。
その領土は、三遠式銅鐸の分布からみて、愛知県東部~静岡県西部に広がって
いたと考えられます。
井伊谷国の女王が春・秋の2回、天白磐座にて水神(農業神)を盛大に祀り、
米の収穫の祈願と感謝を行った光景が目に浮かびます。
いや~まさに古代のロマンですね~。
ちなみに丘の形状、巨石の配置からみて、天白磐座は自然にできた物では無く、
井伊谷国の人々によって築かれた人造物であると思われます。
左に西岩(岩A)、右に東岩(岩B)、中央奥に北岩(岩C)が配置されています。
アップで。
西岩(岩A)の西側、神宮寺川に面した所からは祭祀に使われた思われる
多数の土器等が発掘されました。
こちらは東岩(岩B)です。
中央奥の北岩(岩C)です。
三巨石を裏側右手より見たところです。
右が西岩(岩A)、左にみえるのが北岩(岩C)、中央奥に見えるのが東岩(岩B)
です。
続いて天白磐座遺跡の横を流れる神宮寺川です。
この川の水神(農業神)を祀る祭祀場が天白磐座だと考えられています。
女房殿に「古代井伊谷女王国」説について薀蓄を傾けたところ、
「そんな馬鹿なこと考える暇に庭の掃除でもしたらどうなの?」
と一蹴されてしまいました。
女房殿相手に、古代のロマンを語った飲兵衛が馬鹿でした。
もうトホホホです。
(涙・・・)
水面に写った世界が奥行きがあってステキですね~。
さらにそれより「女房殿」との会話の如実な感じ?が微笑ましいです。
岩から生えてる木が凄いですね~
まさに古代のロマンですね~
女性はロマンより現実でしょうか?
現実は厳し~
卑弥呼様は奥様だったようですね~?(笑)
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予約投稿をしています。
「早寝早起き良い爺さん」の飲兵衛、勿論その時間
は寝てますよ~。
水神様が住んでいるされる神宮寺川はとても神秘的な川でした。
まあ女房殿は飲兵衛のする事全てを馬鹿にしていますので。
2千年前に、神宮寺川の袂に盛り土をして、その上に三巨石
を配置して築かれた天白天白磐座も年月と共に樹木で覆われ、
岩の中からも樹木が生えてくるようになりました。
女房殿には古代のロマンは理解不能の様で、
飲兵衛のする事全てを馬鹿にしてます。
もうトホホホ難です。
(涙・・・)
天白磐座遺跡は、「てんぱくいわくらいせき」と読むのですね。
覚えておきます。
冒頭の、飲兵衛様の、「弥生時代から続く祭祀の場ではないか」「女王が統治する女王国」・・・等の、古代ロマンなお話~、興味深く拝読し、もう少し聞きたいような気がしました~(^-^)♫
力強い3体の大きな岩の存在感は、すごみがありますね~。
そして、周辺の大木も、地に力強く、根が張り巡らされ、岩も、大木も、ものすごいパワーを感じます。
最後のフォトの、水辺に向かって生えている木も、インパクトあります。
かなりなパワースポットな気がしますが、実際に行かれてみて、いかがな感じだったでしょうか~♪
ここ井伊谷の地は日本で最多の銅鐸が出土した所です。
その銅鐸文明を支えたのが豊かな資源に育まれた米作だと
考えられます。
農業にとって最も重要な水、その水をつかさどる神様を
祀ったのがここ天白磐座です。
丘(山)の頂上に配置された三巨石の前で祈りを捧げたのでしょうね。
今は樹木が生い茂りその生命力に驚かされます。
無心論者の飲兵衛にも、神宮寺川に住むといわれる水の神様が感じられる様な、
ひっそりと静まり返った所でした。
遺跡を見て古代を想像してその時の人々の
生活を感じる 素晴らしいことだとおもいます。
其の蘊蓄を奥様に話す・・・やはり飲兵衛さんは奥様が大好き。
だって撮ってきたお写真もいつも通りおみせになったでしょう? 大好きな奥様だからこそ見せたりお話をなさるんだと思います。いつも読んでいて奥様有ればこその飲兵衛さん?かなと思っています。
やはり飲兵衛、新しいカメラやレンズが欲しいので、女房殿には
上手く撮れたと思うような写真はいつも見せてますよ~。
でも鬼瓦殿もそのことは十分承知で、なまじ褒めたりすれば
即カメラをねだられると思い、無視している様です。
まあこの前返してもらった特別給付金の10万がありますので
新しいカメラは焦らずゆっくりと行こうかと。
とオヤジギャグを思い付きました。
卑弥呼のような女王が出てきて、磐座で祈りを捧げる。その時は飲兵衛様のカメラで貴重な女王様の御影をお願い?します。
縄文、弥生時代や平安初期には、富士山が噴火しており、時折、噴火轟音と地震、噴火雷が鳴り響き、不安になった村人が集い、ヒメミコ女王が祈りを捧げる。そういう遺跡では?
又駄文をコメントいたします。御容赦を。
拙句
畏れ多く地震雷家事の梅
東三河から遠江にかけて出土する銅鐸が三遠式銅鐸と呼ばれ、
その三遠式銅鐸が集中して出土しているのが井伊谷の地になります。
弥生時代、井伊谷の地には日本有数の銅鐸文化が花開いていた事が
推測されるわけです。
土中から出土する銅鐸は酸化して色がくすんでいますが、当時の
銅鐸は眩いばかりの黄金色に輝き(青銅では無く真鍮のため)
農業神を祀る祭壇の中心的存在だったと考えられます。
天白磐座でそのような光景が目に浮かんできました。