一昨日も 昨日も
小さい方の人は ある時間 思い出したように混乱して、そして落ち着いていきます。
私は呼ばれるたびに傍に行って 包んだり 聴いたり 困ったり。
私は多分 先が見えているような安心感を
ほんのひとときでいいから 自分が感じたいと思って暮らしていて
そういう私の不安を小さい方の人に背負わせていたのかな。
例えばこの先小さい人が
元気じゃなくても ゆっくりしてても 病気になっても 悪いことしても
勉強しなくても 楽しそうじゃなくても 何もしなくても 誰かからの評判が悪くても
お母さんを一番に好きじゃなくても 汚くても 弱くても・・・
私は小さい人が大好きで 存在そのものがただただ喜びなんですよ。
いてくれるだけでいいんだよ。
今日もいてくれて ありがとう。
きれいごとにきこえると?
実はそう、私の中にまだ「幻の子ども」像が 薄ぼんやりといたりします。
安心させて欲しいと思っている私がいるので
まだ少しきれいごと・・と思います。
14年も見てきたのに
捨てても捨てても エゴばかり。
私ってヤツは この期に及んでもまだ
なんというエゴ野郎なんだ!
なんて文章を書きながら気づいたのですが、
こうしていると 心って思いのほか落ち着いてくるものなんですね。
そうか、私は心を落ち着けるためにこのブログをやっているんだわ。
心が求める事をやってきたんだなぁ。
私は私で 正直にいくか。
しばらくは吹く風に身を任せて そうだな 風に吹かれていけばいいのかな。