流れる時間の速度が どう考えても違うようです。
「小さい方の人時間」というのが あるんだな。
朝は起きてから ご飯に手を付けるまでに40分くらいかかる。
ぼーっとしてるのです。
食事もゆっくり。
60分はかかります。
朝はそれだととても困るので、自然と「うどん」になりました。
ごはんより 早く食べ終わるし、食べるのもラクそうなんです。
本人が「うどんにして」ってことが多いです。
夜はゆっくりで全然OK
2時間近くかけて食べてます。
着替えをするのに 40分。
洋服が体にしっくりこないので、馴染むまでずーっとモソモソしてるからです。
靴下に10分。
締め付けられる感じが苦手なので、靴下は難関らしいです。
重ね着がたいそう苦手で、下の服と上に羽織る服の重なり具合が苦しくて?
うまくいくまでずっとモソモソ。
冬は なかなか出かけられず 本当に大変です。
着られる服も とても少ない。
だから毎日ほぼ同じ服を着ています。
夏の方が 断然ラクです。
1年中気候が変わらない温暖な地域に住むのが幸せかもね。
でも異常なほど汗をかかないので、暑過ぎNG。
気圧の変化にも反応します。
「体調が悪くなるときは 気圧が変化してる時みたい。」
と教えてくれた。
台風の時とか。
それから雨の日よりも どんよりした曇りの日の方が なんだか体が辛いそうです。
なので、社会のペースにはあいません。
小学校では 5時間目が始まるまでひとりで給食を食べていたようです。
集団行動についていくために無理をしすぎると ・・・崩壊しそうです。
どう考えても 得手不得手の幅が大きい。
得意を伸ばせというけれど 「伸ばせ」ってのがこれまた重い。
義務、みたいで。
ま、これは私の受け取り方の問題だね。私が間違ってる。
家族でも ペースを合わせて行動するのが大変です。
みんなそれぞれが頑張っているのに 違い過ぎるので わかっていてもストレスなのです。
小さい人が自分や周りと折り合いを付けながら 安心して生活できるのか、
将来 自分も好きで需要もある仕事につけるのか。
困ったことにならないか。
そう、私はいつも小さい人の将来のことを心配し過ぎています。
うぜーよ、自分の心配してろよと自分に言ってやりたいです。
人から心配されると
「私は全然心配してないよ~」「将来の事ばかり心配しても仕方ないよ」
「今を大事にしていくことの積み重ねで きっと道が出来ていくんだよ」みたいに言っていますが
一皮むけば そこには「心配」の闇が。
あゝ これだから これだから
なので、まず、心配をやめたい。
やめよう。
心配の量を減らして 小さい人の負担を減らしてあげよう。
減るかわからないけど 私はラクになる。
私がラクになれば 小さい人もラクになる、多分。
いいのいいの、まずは自分。
ラクになった私にはきっと余裕がでてきて そのバタフライ効果で何かが変わるでしょう。
小さい人も自分なりに歩いているんだから 少し距離をとってみよう。
私に出来るのは 私のことだけなんだよな。
と、原点に帰る私。
何度も帰ってるはずなのに、気づくといつもどこか行っちゃうんだな。
人間だもの。