「大君の通貨」(佐藤雅美著)を読む
佐藤雅美(さとうまさよし)の著作。
佐藤雅美(さとうまさよし)氏は1941年兵庫県生まれ。早稲田大学法学部卒業。
会社勤務を経て、43年よりフリーに。60年、「大君の通貨」で新田次郎文学賞を受賞。
平成6年、「恵比寿屋喜兵衛手控え」で直木賞を受賞する。
この本は、幕末「円ドル」戦争と副題にあるように、幕末の開国に絡む物語である。
通常の幕末維新ものにあるような幕府と薩長軍の対決の物語ではない。志士も新選組も出てこない。
ペリー来航後の日本が諸外国と開国交渉をしていく過程の物語であり、登場するのは、開国に当たり
外国から来た外交官と幕府の老中や外務官僚との交渉の物語であり、幕末の経済的側面を対象とした
珍しいものである。しかし、著者のわかりやすい著述により、幕末開国期の裏事情が非常にわかり
やすくなっていると思う。
中心に描かれるのは、イギリスの初代駐日外交代表ラザフォード・オールコックと米国の外交官
タウンゼント・ハリスであり、幕府側は外務官僚水野筑後守忠徳(みずのちくごのかみただのり)、
老中間部下総守詮勝(まなべしもうさのかみあきかつ)らである。
開国時、外国と日本の貨幣の交換は、同一硬貨は同一重量で交換が決められた。これが国際的
共通事項であった。
その取り決めによると、1ドル銀貨は日本の一分銀3枚との交換が適当であった。しかし、幕府の
水野筑後守は、1ドル銀貨は1分銀1枚と同等であり、別に2朱銀をつくりこれの2枚との交換を
外国側に主張していた。
オールコックとハリスら外国交渉者はこの主張に不信を持ち、頑なに自己の主張を通し外交官特権
を得ていた。
しかし、この交換比率が金貨小判との交換において外国側の有利になり、多くの銀貨が金貨に交換され
日本の金貨、小判が外国に流失するという騒動そして損失が発生した。
ハリスはこのことを事前に知っており、銀貨と金貨の交換で蓄財をしていた。オールコックは後で気づいて
日本側に対処を進めたが、日本側はそれに従わなかった。
実は日本の銀貨は粗悪な品質に改鋳されており、銀の実質重量は本物の三分の一であった。
そして一分銀4枚が日本では金貨小判1枚と交換できた。したがって、1ドル銀貨1枚と1分銀で小判1枚
と交換できるので、1ドル銀貨が4枚あれば、金貨の小判が3枚得られるわけである。
このことが後々物価の上昇を招き、庶民の反発を買い、また幕府財政の悪化にもつながり、反幕府勢力
に優位に働いて、幕府の崩壊を招くことになったということである。
オールコックは後に「大君の都」という著作を書き上げ、その中でこれらの事情の詳細を記している。
もう少し裏事情を明かすと、幕府による貨幣の改悪は11代将軍徳川家斉の時代に行われたようである。
家斉には子供がたくさんいて、それぞれを他の藩に出したり嫁にやったりしたときにお金がかかり、それを
補うために、家来のものが殿の意を受けて考え出したもののようである。そのことは、幕府にも余剰の
資金を生み出し、幕府財政も潤ったようである。このことが、孤立した日本だけの世界であればまだよか
ったが、開国をしてグローバルな国際世界と交流する時代になって、不具合が出てきたのである。
今の時代にも似たようなことがあるのではないだろうか。黒田日銀の低金利政策は大丈夫だろうか?
ジャブジャブの金余りはどこに行って、この結末はどうなるのか、非常に心配である。
佐藤雅美(さとうまさよし)の著作。
佐藤雅美(さとうまさよし)氏は1941年兵庫県生まれ。早稲田大学法学部卒業。
会社勤務を経て、43年よりフリーに。60年、「大君の通貨」で新田次郎文学賞を受賞。
平成6年、「恵比寿屋喜兵衛手控え」で直木賞を受賞する。
この本は、幕末「円ドル」戦争と副題にあるように、幕末の開国に絡む物語である。
通常の幕末維新ものにあるような幕府と薩長軍の対決の物語ではない。志士も新選組も出てこない。
ペリー来航後の日本が諸外国と開国交渉をしていく過程の物語であり、登場するのは、開国に当たり
外国から来た外交官と幕府の老中や外務官僚との交渉の物語であり、幕末の経済的側面を対象とした
珍しいものである。しかし、著者のわかりやすい著述により、幕末開国期の裏事情が非常にわかり
やすくなっていると思う。
中心に描かれるのは、イギリスの初代駐日外交代表ラザフォード・オールコックと米国の外交官
タウンゼント・ハリスであり、幕府側は外務官僚水野筑後守忠徳(みずのちくごのかみただのり)、
老中間部下総守詮勝(まなべしもうさのかみあきかつ)らである。
開国時、外国と日本の貨幣の交換は、同一硬貨は同一重量で交換が決められた。これが国際的
共通事項であった。
その取り決めによると、1ドル銀貨は日本の一分銀3枚との交換が適当であった。しかし、幕府の
水野筑後守は、1ドル銀貨は1分銀1枚と同等であり、別に2朱銀をつくりこれの2枚との交換を
外国側に主張していた。
オールコックとハリスら外国交渉者はこの主張に不信を持ち、頑なに自己の主張を通し外交官特権
を得ていた。
しかし、この交換比率が金貨小判との交換において外国側の有利になり、多くの銀貨が金貨に交換され
日本の金貨、小判が外国に流失するという騒動そして損失が発生した。
ハリスはこのことを事前に知っており、銀貨と金貨の交換で蓄財をしていた。オールコックは後で気づいて
日本側に対処を進めたが、日本側はそれに従わなかった。
実は日本の銀貨は粗悪な品質に改鋳されており、銀の実質重量は本物の三分の一であった。
そして一分銀4枚が日本では金貨小判1枚と交換できた。したがって、1ドル銀貨1枚と1分銀で小判1枚
と交換できるので、1ドル銀貨が4枚あれば、金貨の小判が3枚得られるわけである。
このことが後々物価の上昇を招き、庶民の反発を買い、また幕府財政の悪化にもつながり、反幕府勢力
に優位に働いて、幕府の崩壊を招くことになったということである。
オールコックは後に「大君の都」という著作を書き上げ、その中でこれらの事情の詳細を記している。
もう少し裏事情を明かすと、幕府による貨幣の改悪は11代将軍徳川家斉の時代に行われたようである。
家斉には子供がたくさんいて、それぞれを他の藩に出したり嫁にやったりしたときにお金がかかり、それを
補うために、家来のものが殿の意を受けて考え出したもののようである。そのことは、幕府にも余剰の
資金を生み出し、幕府財政も潤ったようである。このことが、孤立した日本だけの世界であればまだよか
ったが、開国をしてグローバルな国際世界と交流する時代になって、不具合が出てきたのである。
今の時代にも似たようなことがあるのではないだろうか。黒田日銀の低金利政策は大丈夫だろうか?
ジャブジャブの金余りはどこに行って、この結末はどうなるのか、非常に心配である。