郷が杜備忘録

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「逆軍の旗」藤沢周平著

2019-08-25 | 読書
  逆軍の旗
  文春文庫  1985年3月25日第1刷、1997年5月10日第16刷

  著者 藤沢周平(ふじさわ しゅうへい)
      1927年鶴岡市に生まれる。山形師範学校卒。昭和48年「暗殺の年輪」で第69回直木賞を受賞。  1997年1月歿。


  古い小説を読んでみた。最近は戦国時代から江戸時代初期の頃を中心に歴史小説を読んでいるので
  たまたま古本屋でこの本を見つけ、「逆軍の旗」が明智光秀に関わる小説ということで読み始めた。

  この文庫本は4編の小説が入ってる。
  1、「逆軍の旗」
  2、「上意改まる」
  3、「二人の失踪人」
  4、「幻にあらず」

  「逆軍の旗」は明智光秀が本能寺の変を起こす数日前から、変後、奈良の筒井順慶の参陣を待つまでの

  光秀の行動と心の動きを追っていた。

  変の数日前、光秀は京都の北方愛宕神社で、愛宕百韻という連歌の会を催した。その会に参加した
  連歌師里村紹巴の目で見た、光秀の動作の観察から始まっている。
  この連歌の会は、光秀の発句「時は今あめが下しる五月哉」から始まっている。
  この発句に、紹巴は「この句は強すぎる」と思った。光秀は、志を述べたのではないか、と紹巴は思った。
  紹巴は京の一部でささやかれている、右府どの、惟任どの不仲の噂を感じた。

  変後、光秀は細川氏など有力武将に協力を求めるがいい返事はなかった。
  光秀は、天正10年6月10日、洞ヶ峠に、筒井順慶の参陣を待っている。
  すでに羽柴軍の動向が耳に入っていた。

  光秀は名分が欲しかった。筒井が参陣すれば名分が立ち、秀吉との一戦は天下を分ける戦いになる。
  しかし、大和郡山の空は青いばかりで、順慶の参陣は期待できなかった。
  樹間から見えた明智軍の旗幟は、風がないためうなだれ、葬列の旗でもあるかのように、異様に映った。

  「上意改まる」は史実を基に小説にした。参考にしたのは「新庄古老覚書」ということである。
  新庄にあった戸沢藩の藩主と藩政を仕切る重職間の争いを、それぞれの家の男女の思いを絡ませながら
  小説に描いている。

  しかし、登場人物の関係や名前が昔の名前で覚えにくく、関係を理解するのに手間取った。
  そして、上意が改まった後の、藩主側、藩首脳部の行動がすさまじく、凄惨で、刀での切りあいを言葉で
  表現したものを読むのも嫌なものである。


  「二人の失踪人」も盛岡、雫石でのできごとを基に小説にしたものである。
  この小説を読んで驚いたのは、江戸時代には犯罪が起こっても、管轄の藩ごとに、きちんと捜索して
  儀式というか手続きを踏んで、犯人や死人の引き渡しを行っているということである。そのために結構な
  時間というか、期日がかかっていることである。

  この小説は、岩手の雫石で起こった宿屋の主人で、目明しも兼ねていた孫之丞が殺され、その犯人を
  孫之丞の息子、丑太が水戸藩の宿場で犯人を見つけ、仇討ちをしたこと、そしてその丑太を引き取りに
  同じ村の庄助と叔父が、水戸に向かい、江戸とを行き来して、やっと故郷雫石に帰ってくるところを描いていた。



  「幻にあらず」は上杉鷹山の米沢藩の藩政改革への始まりを、竹俣当綱を中心に描いたものである。
  江戸時代に米沢藩は15万石まで領地を削られながら、鷹山の藩政改革により幕末まで存続している。
  そして今の時代にまで、その精神を受け継いでいるが、そこまでにはかなりの苦労があったことが
  描かれており、暗くなる部分もあるが、藩主としてのリーダーの心構えの在り方をこれからも模範としな
  ければいけないと思う。
コメント
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