以前に買っておいて読んでいなかった本。
本を整理していて出てきたので読んでみたら、なるほどとうなづけるところがたくさんあった本。
表紙カバーの裏にある説明より、
日本人とは辺境人であるー 「日本人とは何ものか」という問いに、著者は正面から答える。
常にどこかに「世界の中心」を必要とする辺境の民、それが日本人なのだ、と。
日露戦争から太平洋戦争までは、辺境人が自らの特性を忘れた特異な時期だった。
1.日本人は辺境人である
2.辺境人の「学び」は効率がいい
3.「機」の思想
4.辺境人は日本語と共に
と、4章に分かれて書かれているが、第1章がいちばん納得したところであった。
その中に、梅棹忠夫の「文明の生態史観」からの引用がある。
「日本人にも自尊心はあるけれど、その反面、ある種の文化的劣等感がつねにつきまとっている。」
「おそらくこれは、初めから自分自身を中心にしてひとつの文明を展開することのできた民族と、
その一大文明の辺境諸民族のひとつとしてスタートした民族との違いであろうと思う。」
「辺境」とは「中華」の対概念です。
「辺境」は華夷秩序のコスモロジーの中においてはじめて意味を持つ概念です。
世界の中心に「中華皇帝」が存在する。そこから「王化」の光があまねく四方に広がる。
日本列島は「東夷」の最遠地にあります。日本列島は朝貢国と見なされていた。
中華思想は中国人が単独で抱いていた宇宙観ではない。周辺のものが自ら進んでその宇宙観を共有し、
自らを「辺境」に位置付けて理解する習慣をもって、その秩序が機能する。
日本列島の住民は今から1800年ほど前の卑弥呼の時に魏帝から正式に冊封を受けている。
その後の大陸との交渉史は、自分たちを辺境民としての理解していたという政治意識の深化と熟成を示すエピソード
が見られる。
華夷秩序における「東夷」というポジションを受け入れたことで列島住民は政治的・文化的なフリーハンドを獲得した。
この「コスモロジカルな劣位」を逆手にとって自己利益の追求に専心するという生存戦略は、1945年の敗戦の後に
日本人が採択して成功を収めたものである。
日本人には「辺境人メンタリティ」が内包されている。
しかし、明治時代は少し違った。明治人にとって「日本は中華」だった。
国力の充実した中華王朝が四囲の蛮族を討伐するような歴史作ってしまった。
「とにかく生き延びること」が最優先の国家目標であったことが、国際社会のために何ができるのかを
自分に問いかけたことはなかった。
「世界標準に準拠してふるまうことはできるが、世界標準を新たに設定することはできない」それが辺境の限界です。
外部に、「正しさ」を包括的に保証する誰かがいるというのは「弟子」の発想であり、「辺境人」の発想です。それはもう、
私たちの血肉となっている。どうすることもできない。
私は、こうなったらとことん辺境で行こうではないか、ということを提案したい。
以上は、「第1章.日本人は辺境人である」の主なところの抜粋です。
この論説は、内田氏の大雑把な日本論ということですが、概ねいい得ていると思いました。
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