図書館から借りてきた本を読んでいる。
著者は山形県出身の元明治大学教授、自分の研究との関連やふるさとを外から見た感想から、書いてきた文章を集めている。
私も就職当時、始めの約5年間を山形県で過ごしたので、少し地名や土地柄はわかる。
そのなかで、新聞の「日曜随想」に載せたという「西行が眺めた山形の桜」という文章に関心を持った。
西行とは、平安時代から鎌倉時代にかけて生きた、もと武士であり歌人である。鳥羽院の北面に仕えた佐藤義清(のりきよ)は23歳の時に突然出家して西行を名乗った。30歳の頃にみちのくに歌の修行の旅にでた。そのときの歌集が「山家集」(さんかしゅう)という。
そのなかに、桜をよんだ歌があり、平泉の束稲山で読んだ、
聞きもせず 束稲山の 桜花 吉野の外に かかるべしとは
そのあとに、出羽国滝の山という山寺で読んだ
類ひなき 思い出羽の 桜かな 薄紅の 花の匂ひは
この滝の山の山寺というのは、山形市の南東方面にある滝山という山の中腹の西蔵王高原にあるということに驚いたのである。
山形市に住んでいた私は、よく東の蔵王山方面を眺めていたが、見えるのはこの滝山であった。蔵王山はその陰になっているのでみえないのだ。
その滝山の麓に、桜の木があったのだ。そして今でも西蔵王放牧場にはオオヤマザクラというのがあるようである。
駐車場側には、西行の歌碑もあるという。
東北にも知らないところがあり、いろんな方の行跡が残っているものである。
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