郷が杜備忘録

旅行や読書と日々の行動の記録。
日常のできごとや思い出の写真が中心。 たまに旅行の記事も投稿します!

花落ちる 智将・明智光秀(笹沢左保著)

2021-01-16 | 読書

明智光秀の本を読んだ。

NHK大河ドラマでは「麒麟がくる」をやっているが、それがどのような最終回になるかはわからない。

この小説は、昭和45年に「山崎の電撃戦」として刊行されたものである。

作者は笹沢佐保さんで、「木枯し紋次郎」の作家として有名である。

 

もちろんこの小説も、本能寺の変で信長を自刃させた光秀の三日天下の非運を扱っている。

そしてその動機と実行までの経過を、光秀と虚構の名倉助四郎という人物を配して、光秀のこころの内面を探っている。

 

光秀は本能寺の変の数日前に、京都の愛宕山に参詣し、連歌百韻の催しを行っている。

その際の読んだ連歌

 時は今あめが下しる五月哉     光秀

 水上まさる庭の夏山        西坊

 花落つるながれの末をせきとめて  紹巴

この連歌については、本能寺の変をほのめかしているということが、あとから言われているようであるが、

作者はそのようには考えていなかった。

 

変への遠因として、光秀の周りで起こった信長によるショッキングな事件が取り上げられている。

それは、「佐久間信盛、正勝父子追放事件」と「家臣林通勝追放事件」である。

佐久間父子は本願寺攻めの不首尾の責任と数年も前の朝倉攻めの時の信長への反抗を持ち出して、高野山へ追放している。

林通勝は24年も前の信長の家督相続問題に際して、弟信行を立てようとしたことへの追及であった。

その時に、信長は光秀の軍功をたたえて、佐久間らを叱責しているのである。

このことが「明日はわが身」と光秀にはとらえられたという。

 

というのも、信行の遺児・織田信澄に二女を嫁がせていた。

そして、もう一つが光秀が信長と足利義昭との仲介者であり、信長は将軍義昭を追放し足利幕府を倒したが、

義昭は備後に匿われていて、信長に反抗しているからである。

そしてその後は重要な役を与えられず、家康のご馳走役などを任され、さらに秀吉の毛利攻めに加わって義昭討ち取りを命ぜられ、

できなければ自分も切腹か追放されるとギリギリの選択に迫られ、反旗をひるがえしたのではないか、と作者は解釈している。

 

それにしても、本能寺の変で信長、そして嫡男の信忠を滅ぼした後のことについて、光秀はその後の構想をいくつも考えていたが、

すべてにおいて思う通りには行かなかったということも、三日天下の要因であった。

1つはもちろん、秀吉など遠隔地に遠征しているものは戻ってこれないので、その間に畿内を固めようとしたことが、秀吉が予想を

越えた速さで戻ってきたことである。

2つは、力になってくれると思っていた細川父子や畿内近辺の武将、高山や中川、筒井順慶などが、味方にならなかった。

3つは、後継者と思っていた織田信澄が応援に駆け付ける前に大阪で討たれてしまったことも大きかったという。

4つめは、脅威と考えていた徳川家康が当時大阪や堺の周辺に少数の供を連れていたので、その場で討ち取ってしまいたかったのが、

逃げられたこともあった。このことは家康にとって最大の脅威だったようであるが、そこを脱出できたことが、その後の成功(徳川幕府

の創設)につながっていったよう気がする。

 

この本能寺の変は、天才信長の敗北により、秀吉が躍り出て、最後に信長の同盟者家康が天下を治めるというように、16世紀から17世紀に

変わる時点で、大きな転換期を作ったように思われる。

これを書いていて、大河ドラマの「麒麟」とは、「家康」ではなかったのか?と思えてきた。

 

 

 

 

 

 

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八州廻り桑山十兵衛「江戸からの恋飛脚」(佐藤雅美著)

2021-01-10 | 読書・佐藤雅美著

桑山十兵衛の第4作である。

 

高原新田笹ノ沢の霊風

白旗村への誘い

五つで売られた飯盛女

江戸からの恋飛脚

十と一つの花嫁の涙

隠すより現る

勢至堂宿の馬泥棒

思い立ったが吉日

 

8編の物語だが、関八州を巡回している間に起こった事件から、物語が次々とつながってゆく。

最初は、日光の先、会津西街道、今の鬼怒川温泉の奥の方、高原新田での事件

 

次は、熱海での話。

甲州街道を八王子へ向かった十兵衛は、八王子で事件を起こした悪党者が甲州へ向かったので追いかけたが、

その後駿州へ逃げたので、三島まで追いかけた。しかし、甲州も駿州も八州廻りの管轄外なので、あきらめて

熱海に向かうことにした。熱海には大湯と言って、間歇泉があったという。

ここでの事件が、その後の展開の始まりとなり、独身の八州廻り桑山十兵衛の再婚へつながる。

 

この八州廻りの物語は、桑山十兵衛が関東の各地を廻村と言って、巡回して事件を解決していく物語である。

今回も日光街道を皮切りに、甲州街道から熱海へ、銚子へ向かうのに、成田方面への木下街道や鮮魚街道、

ついでは、大山街道の矢倉沢往還・厚木の宿などとにかく、各地を巡回する。

その間に、作者は各地の名所や名跡、由緒などを盛り込んで案内してくれる。

とにかく地図を手元に見ながら、小説を読まないといられなくなるものである。

 

そして、巡回の間に江戸時代の各地の事件やできごと、十兵衛の生活などが盛り込まれて、話は進展してゆく。

今回は、姫君を連れた五人組の話と十兵衛の再婚の話が織り込んである。

 

特に興味を持ったのが、公事方勘定奉行・石川主水守(もんどのかみ)に指示された、将軍・家斉からの

探索依頼で、会津若松・松平家へ旅の絵師になりすまして出張することであった。

会津若松での捜索後、勢至堂峠を越えて江戸へ帰ろうとするが、後を追ってきた会津藩士と思われるものたちに

襲われ、窮地に一生を得たところなどは、十兵衛の活躍に感心したものである。

 

最後に、姫君を連れた五人組の正体が明かされ、会津松平肥後守の出生の秘密までつながってくるような話であった。

とにかく、いろんな資料を読み込んで物語が組み立てられていると思う。史実との相違はどうなのかとも思われるが、

江戸末期の社会の動きも知れる面白い小説である。

 

 

 

 

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初プールに行ってきました。

2021-01-07 | 日記

私の行っているプールは、昨日から始まりましたので、今日、初プールに行ってきました。

一昨年からはじめた水泳も、ほぼ週2回のペースで続けてきました。

上達もぼちぼちですが、身体の調子も良いので、今年も続けていきます。

トップに載せた本を参考に、自己流で練習中です。

 

タイトルと関係はないですが、今年の初詣に行った竹駒神社の絵馬も載せます。

神社の様子

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新年おめでとうございます。

2021-01-02 | 日記

新年おめでとうございます。

 

元旦は雪降りで初日の出は拝めませんでした。

今朝の日の出を見に、仙台空港の東にある千年希望の丘にでかけました。

 

2号丘の上から東の空を見ました。

手前の1号丘の上に、朝日が出てきました。

 

真ん中に慰霊塔、南の方の空です。

 

 

2021年、年が変わってもコロナの影響は変わりません。

withコロナであっても、まず感染の収束と、ワクチン接種ができるように

対策をお願いしたいものです。

安心できれば、どんどんいろんなところに行ってみたい気持ちです。

 

ブログの投稿も5年目になりましたが、内容ももう少しまとまったものにしていきたいと感じています。

昨年末で69名の方にフォローしていただくことになりました。ありがとうございます。

自分の記録で始めましたが、できれば全国の方に地元や地域のことをもっと知っていただければと思います。

私も他の方のブログからいろんな情報をいただき、参考にさせていただいています。

今年も情報発信しますので、よろしくお願いします。

 

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