皆様おはようございます。
今朝の東京は、涼しい曇りの朝です。
今年は、このままこんな調子で夏は終わってしまうのでしょうか。
19歳の時晴れた日が数日しかないような夏がありました。遊び盛りだったのでよく覚えています。
若い人には、関東に限っては今年の夏がこのまま終わってはかわいそうだと思います。
さて、今日は前から訪れたいと思っていた近所にある昭和の暮らし博物館をご紹介します。
都知事等の選挙の期日前投票のついでに向かいました。なんと、まさに投票所の真裏でありました。
平成8年まで住居としていて使われていた建物で、昭和26年に始まったばかりの制度、住宅金融公庫の融資で建てられた公庫住宅と呼ばれるものです。
当時は、資材不足から融資には規模や工事費の制限があって、いたって小さな作りであるとパンフレットにはあります。
入館料を払って、早速家に上がらせていただきました。
丁度先に来ていた、子供2人が二階から降りてきました。
「真っ黒くろすけでておいで~!」楽しそうな歌声でくろすけを呼び出そうとする様子は、ジブリの映画の中に入ったかと思う瞬間でした。
他の自由研究の家族づれの娘さんも「こんな家に住みたかった!」としきりに言っていて、今の子供たちのほうが魅力を感じているようでした。
2階に上がると子供部屋と企画展示室、子供部屋には勉強机の上にモンブランの万年筆インクの瓶や工業高校の製図の道具が目につきました。
今は、シャープペンやパソコンに置き換わっているのではないでしょうか。
もう一つの部屋は企画展示室、あんバタートーストなどの模型があってコメダ?と思いましたが、昭和とパンについての展示でした。
名古屋とパン食についてのつながりの説明や、食糧が乏しかったころの手作りパン焼き器などが展示してありました。
その頃は家の光協会の雑誌(農協さんの雑誌)が、パン食を盛んに推進していたようです。
現在は、全く逆の状況でありますね。「お米をもっと食べましょう」になっています。
一階は、書斎や茶の間、談話室などがあります。
茶の間は台所と一体になっていて、当時のラジオが現役で動いていました。
揚げ板(台所の床下の収納)があって、その下は、梅酒や漬物が置けるから今の住居にも欲しいと思いました。
ちゃぶ台の上には当時の食生活の模型や、大きなおはち(お米を研いだり炊きあがったものを入れる)があって、当時の食事風景が偲ばれます。
ガイドさんの話では、かつてはこのあたりまで江戸前の魚を売りに来て、カレイ等をよく食べたそうです。
貧しい言えば貧しいけれど、内容は今より新鮮で健康的な豊かな食事だったとおっしゃっていました。
そして談話室。四角いちゃぶ台があって飴やお茶をいただきながら、関連書籍を読むことができます。
建物内は写真NGでしたので、許可をもらった外の写真を紹介します。
お米は干しておやつや非常食にしたのですね。
布団もこの長い板で綿を抜いて打ち直し。粗大ごみに出したら昔の人にはもったいないといわれそう。
井戸水も出ます。これは現代でも見直されて、災害時などには活躍するかもしれません(こちらは飲用は不可とのこと。)
こういう昭和の雰囲気、特にちゃぶ台などを囲むと、なぜか知らない人とあっても会話が生まれる力があります。
5月に行った新潟やここでヒントを得て、この要素は私の惣菜屋に取り入れたいと思っています。
会話の生まれるお惣菜屋さんにできたら良いなと思っています。
この「昭和のくらし博物館」は、金、土、日、祝日の開館。(臨時休館あり)
開館は10:00~17:00、アクセスは東急池上線久が原駅または東急多摩川線下丸子駅下車、どちらからも徒歩8分です。
入館料 大人500円、小~高校生300円です。
それでは皆様良い1日を。
参考資料:昭和のくらし博物館パンフレット