河合隼雄という名は、初めて耳にする名前でしたが、心理療法の仕事をしている人らしい。
河合隼雄さんによれば、
医療科学は、患者を客観的に観察し、病気の原因を探り、除去する。しかし、その観察対象は肉体的症状までで、意識は観察外とされている。
しかし、心理療法に来る患者に対しては、そのような治療方法ではうまくはいかないことのほうが多い。
観察するだけでなく、患者と共にいながら、患者の意識の底にたまっている感情を自由に放出させるように、誘導し見守るとのこと。
「宗教と科学の接点」という本の題名は、
科学的な客観的観察にとどまらず、さらに奥へと進んで、意識や魂の領域にまで患者と共に入り込む、というところからきているようです。
著者自身の言葉を借りれば
○治療者は自分の自我の判断によって患者を助けようとすることを放棄し、「たましい」の世界に患者と共に踏み込むことを決意するのである。
そして、治療者はほとんど何もしないのであるが、ぜんぜん何もしないのではなく、
○このような治療者の態度に支えられてこそ、患者の自己治癒の力が活性され、治癒の道が開かれる。
と、書かれていました。
さて、この本の中で、特に印象に残った話が2つありました。
そのひとつ目。
著者が、日本人の宗教心に関するシンポジウムに出席した時のこと。
そのシンポジウムで宗像巌という人の水俣病についての発表があり、それについて、次のように紹介されいました。
○宗像巌は水俣病や水俣の人々を「客観的対象」として研究する態度ではなく、水俣の人々の中に入り込んでゆくことによって、水俣問題の中心点に触れたのである。
○彼は「漁民の日常生活に参加していくと、これらの人々の心の中では自然の存在が極めて重要な意味を持つものであることが次第に分かってくる。・・・・それは人々の魂に深い感動を与える宗教的意味をおびた対象である。・・・・美しい絵画的構成をもった風景は、この地に生まれ、長年月にわたり海を身近に感じて生活してきた漁民の心の奥に、不思議な安定感と永遠性を感じさせる世界を構成してきているのである」と述べている。
引用は以上ですが、
むかし、わたしは公害訴訟のニュースを聞くたび、「何でも国家に保証させようとする」という観点でしか見ていなかったことを思い出して、大いに恥じ入るとともに、「水俣病や水俣の人々を客観的対象として研究する態度ではなく、水俣の人々の中に入り込んでゆくことによって、水俣問題の中心点に触れたのである」というところに感銘させられました。
また、「この地に生まれ、長年月にわたり海を身近に感じて生活してきた漁民の心の奥に、不思議な安定感と永遠性を感じさせる世界を構成してきているのである」というところには、水俣病以前のもっと大きな問題が隠されていたことを知って、なんでそんなところに気付かなかったのかと、自分の無知さを改めて知らされるとともに、遅まきながら、知ることができて良かったと思いました。
話は変わって、
初心者様のコメントの中で、『情島物語』という歌のことが書かれていたので、検索すると、次のような歌詞でてきました。
「3番の歌詞」
ポストのような灯台に
カモメが運ぶラブレター
そんな日暮の風景に
汚さないで残っている
情けあふれる情島
忘れられない情島
素晴らしい歌詞ですね。わたしもこの歌が聴きたくなりました。
これがわたしのもとに舞い込んだ神様からのラブレターだといいのですが・・・。
実は、そんな気がしてとてもうれしい。
カモメさん、いや、初心者様ありがとう。