気の向くままに

山、花、人生を讃える

宗教と科学の接点

2009年07月10日 | 読書
あゆみさんに紹介された、河合隼雄著「宗教と科学の接点」を、先ほど読み終えました。

河合隼雄という名は、初めて耳にする名前でしたが、心理療法の仕事をしている人らしい。

河合隼雄さんによれば、
医療科学は、患者を客観的に観察し、病気の原因を探り、除去する。しかし、その観察対象は肉体的症状までで、意識は観察外とされている。
しかし、心理療法に来る患者に対しては、そのような治療方法ではうまくはいかないことのほうが多い。
観察するだけでなく、患者と共にいながら、患者の意識の底にたまっている感情を自由に放出させるように、誘導し見守るとのこと。

「宗教と科学の接点」という本の題名は、
科学的な客観的観察にとどまらず、さらに奥へと進んで、意識や魂の領域にまで患者と共に入り込む、というところからきているようです。

著者自身の言葉を借りれば
○治療者は自分の自我の判断によって患者を助けようとすることを放棄し、「たましい」の世界に患者と共に踏み込むことを決意するのである。

そして、治療者はほとんど何もしないのであるが、ぜんぜん何もしないのではなく、
○このような治療者の態度に支えられてこそ、患者の自己治癒の力が活性され、治癒の道が開かれる。

と、書かれていました。
さて、この本の中で、特に印象に残った話が2つありました。
そのひとつ目。

著者が、日本人の宗教心に関するシンポジウムに出席した時のこと。
そのシンポジウムで宗像巌という人の水俣病についての発表があり、それについて、次のように紹介されいました。

○宗像巌は水俣病や水俣の人々を「客観的対象」として研究する態度ではなく、水俣の人々の中に入り込んでゆくことによって、水俣問題の中心点に触れたのである。

○彼は「漁民の日常生活に参加していくと、これらの人々の心の中では自然の存在が極めて重要な意味を持つものであることが次第に分かってくる。・・・・それは人々の魂に深い感動を与える宗教的意味をおびた対象である。・・・・美しい絵画的構成をもった風景は、この地に生まれ、長年月にわたり海を身近に感じて生活してきた漁民の心の奥に、不思議な安定感と永遠性を感じさせる世界を構成してきているのである」と述べている。

引用は以上ですが、
むかし、わたしは公害訴訟のニュースを聞くたび、「何でも国家に保証させようとする」という観点でしか見ていなかったことを思い出して、大いに恥じ入るとともに、「水俣病や水俣の人々を客観的対象として研究する態度ではなく、水俣の人々の中に入り込んでゆくことによって、水俣問題の中心点に触れたのである」というところに感銘させられました。

また、「この地に生まれ、長年月にわたり海を身近に感じて生活してきた漁民の心の奥に、不思議な安定感と永遠性を感じさせる世界を構成してきているのである」というところには、水俣病以前のもっと大きな問題が隠されていたことを知って、なんでそんなところに気付かなかったのかと、自分の無知さを改めて知らされるとともに、遅まきながら、知ることができて良かったと思いました。

話は変わって、
初心者様のコメントの中で、『情島物語』という歌のことが書かれていたので、検索すると、次のような歌詞でてきました。
「3番の歌詞」

  ポストのような灯台に
  カモメが運ぶラブレター
  そんな日暮の風景に
  汚さないで残っている
  情けあふれる情島
  忘れられない情島

素晴らしい歌詞ですね。わたしもこの歌が聴きたくなりました。
これがわたしのもとに舞い込んだ神様からのラブレターだといいのですが・・・。
実は、そんな気がしてとてもうれしい。
カモメさん、いや、初心者様ありがとう。
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「10代のための神との対話」から

2009年06月23日 | 読書

今日は家内のアッシー役の後、ついでに久しぶりに本屋さんへ寄りました。
目的のテイラー博士の「奇跡の脳」はなかったので取り寄せてもらうことにし、精神世界のコーナーを見ていたら、「10代のための神との対話」という本を見つけたので購入し、読み始めました。


「神との対話」の著者が、ある読者から「どうしてティーンエージャーのための神との対話はないのか」と質問され、「若い人の質問はわたしにはわからないから」と答えたところ、「若い人に聞いてみればいいじゃないか」と言われて、さっそく若い人から質問を募集したとのこと。そして、たくさんの質問が寄せられました。

世界中から寄せられたたくさんの質問のうちの一部を適当に抜き書きしてみました。

○なんで頭の良い子と悪い子がいるの?
○親たちも学校も、みんなどうしてあんなにプレッシャーをかけてくるんだ?
○なんで大人は変な規則ばかりつくるの?
○慈悲深いはずの神様が、なんでそんなに偏狭で、ほかの人たちの考え方を受け入れようとしないの?
○恵みの神って言うけど、あなたがくれるのは罰ばかりじゃない?
○大人って自分は尊敬されたがるけど、子供のことは軽く見ているよね?
○人気のあるいい子ちゃんグループと付き合うべきか、それとも見捨てられてる落ちこぼれの子たちと付き合うべきなのか、どうしたらいいかわからない。なんでみんな、そうやってグループにわかれちゃうのかな?
○神様ってどんな感じ?どういう気持ちがするの?
○神はどこからきたの?
○ねえ、神様、聞いてる?わたしがお祈りしたら「ちゃんと聞いてるよ」ってサインくらいくれてもいいんじゃない?
○聖書には「あなたの敵を愛しなさい」と書いてあるけど、普通の人にそんなことできる?
聖人ならともかく、わたしみたいな普通の人間には、そんなこと無理だと思う。
○神様が幸せに出来るんだったら、なんでこんなにたくさんの人々が苦しまなければならないの?
○人生なんて意味がない。ボクにとってはぜんぜん無意味だ。なんか言うことある?
○何故黒人と白人がいるのですか?

これらの素朴で素直な質問に対しての対話を読んでいくと、ワクワクしてきて、神と10代の子供たちの対話の生き生きしさに、青春に戻っていくような気がしてきました。

それで、「もし、神様が質問に本当に答えてくださるなら、自分なら何を聞きたいだろう?」と、いくつかの質問を書いてみました。すると、なんと、これらのティーンエージャーたちの質問より低レベルの質問ばかりが出てきて、実は若返ったのではなく、精神年齢は10代と一つも変わっていないことが分かって、苦笑い。
恥ずかしくなって、書いた質問をクシャクシャと丸めて捨ててしまいました。


水田が、もうこんなに青々としてきました。

6月2日


6月23日

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読書と抜き書き

2009年06月18日 | 読書
今日は図書館で借りていた増山たづ子さんの写真集の返却日。
わが町の蔵書ではなく、他の市町村から借りたものなので、もう見る機会もないだろうと、返却前に「まえがき」や「あとがき」を全文抜き書きさせてもらいました。
パソコンはこういう点は非常に便利だと思う。手書きではとてもそんな気は起こらないに違いない。
それを思うと、昔の人は実にえらいものだと感心させられます。

勝海舟などは貧乏旗本で、正月の餅も買えないぐらいだったそうで、若かりし頃、せっせと本屋へ通い立ち読みしていると、その熱心さに心打たれた店の主が、「貸してあげるから好きな本を持って行きなさい」と声をかけてくれた。

勝海舟は喜んで持って帰り、そのオランダ語辞書を、なんと二冊分を紙に写し取り、それを綴じて本にし、一冊は自分のもの、後一冊は人に売り、その得た金をまた本代にしたとのこと。
日本海軍の礎がここに始まっていることを思うと、ひとしお、その偉大さに心打たれます。

吉田松陰は、読書の1/3だったか半分だったか、その数字ははっきり覚えていないが、抜き書きに費やすべしと教えています。

それを見習って、わたしも抜き書きするように心がけているのですが、なかなか思うようには進みません。以前、ずいぶん抜き書きしていたのに、パーにしてしまった時には、本当にがかっかりしました。

さて、増山たづ子さんの故郷 わたしの徳山村写真日記  (発行1983年9月23日)≪あとがき≫からの抜き書き。

○生まれ育った大事な故郷が水の中に沈んでしまうと思うと、写しても写しても限りない愛情が沸いて来まして言葉では表現できませんが、また写しまた写しする中に、今は2万枚を超えるほどになりました。これからも足腰が動く限り大事な故郷のお葬式を最後まで見届けて死にたいと思います。

○わたしたちの大事な故郷の山や川、皆共同体の生活で仲の良かった人々、また不思議なご縁でそれぞれ遠くから徳山村に来て下さった心優しい人たち。たとえ、もうその人たちとお逢い出来ることがなくとも、その人その人の面影が故郷と共に心から消えることはありません。本当によき人たちとめぐり逢えましてわたしの人生は幸せで有難うございます。皆様のお幸せをお祈りいたします。本当にありがとうございます。

文章から、故郷を追われる悲しみを超えた、深い思いがにじみ出ていて、ジーンとさせられます。
増山たづ子さんのことを多少なりともを知ることができ、またこのような心情に触れることができて有難く思います。

図書館へ返却に行くと、うれしいことに、頼んであったもう1冊、同じく増山たづ子さんの娘時代のこと、かつての村の生活、風習、当事者からみたダム問題、自然を愛する気持ちなどについて書かれた本、「ふるさとの転居通知」届いていました。楽しみです。


昨日は伊吹山へ行きました。写真はその時の花たちです。

   イブキフウロ                      キバナノレンリソウ
 

   コバノミミナグサ                    クサフジ
 

   ハルジオン                       キバナハタザオ
 

   クサタチバナ            
 

   グンナイフウロ                    イブキトラノオ
 

   カノコソウ                      ヒヨクソウ
 

   ニッコウキスゲ                    クルマバソウ
 

   シモツケソウ                     キイチゴ属
 


雨上がりの昨日は比較的視界も良く、琵琶湖も対岸までのぞめ、気ままにのんびりと山頂の花畑の中を散策させてもらいました。


   それぞれの山に向かいし梅雨晴れ間

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初心者様のコメントへの返信

2009年06月10日 | 読書
初心者様からいただいたコメントへの返信ですが、長くなりすぎたことと、「小さな魂と太陽の話」の補足の部分もあるので、本欄へ書かせてもらうことにしました。


初心者様、うれしいコメントをいただきありがとうございます。

>今回のテーマは、人が信仰を続けるうえでもっとも大切なことではないかと、わたくし、個人的には思っているわけですが、意外と関心はもたれていないようですね。

>なぜこの現象世界は存在するのか。そこのところを明らかにすることからすべては始まると考えている・・・

いやあ、うれしいですねえ。同感です。
わたしと初心者様はよく似ているようですね。同じように考えている共感者がいてくれてとてもうれしいです。


楽園追放を「実は人類最初の祝福だった」という点についてですが、「神との対話」の中では、ざっと、次のように書かれていました。

「人間は、楽園に住んでいた。すべてが完璧で、文字通りパラダイスに住んでいた。
しかし、そこがパラダイスであることもわからなかっただろう。何故なら、あなたがたはパラダイス以外には何も知らなかったのだから。」

パラダイスをパラダイスと認識できるのは、パラダイスでない状態を経験することによって、何がパラダイスで何がパラダイスでないかを、はじめて経験的に知ることができるわけですね。
そのような意味で、最初の祝福だったということが書かれていました。

これは、初心者様が掲示板に書かれ始めた頃の「アインシュタインは宇宙定食が嫌い?」の中で書かれている、「自分が何者であるかということを知るのは、たとえ神様でも簡単ではありません。自分が何者であるかを知るためには自分以外の存在が必要だからです。」と、全く同じですね。

なぜ、自分がこの世に生まれてきているのか?
実相を顕現するため。

これだけではどうも腑に落ちなかったことが、「小さな魂」などの例え話によって、よく理解できた気持ちになりました。
と、同時に、「神真理を告げ給う」を初めて読んだ時と同じように、「知らせてあげたい」という神様の愛が感じられて、感動しました。

だから、初心者様の冒頭に引用させてもらった部分、とてもよく理解できます。
ああ、自分と同じだなあと思いました。

さて、
アダムとイブの楽園追放について、「あれは人類の最初の祝福だった」というとらえ方と、
初心者様の下記のとらえ方とは「同じと考えることはできないでしょうか?」とのこと。

「アダムとイヴのエデンの楽園追放の話は、実相が出てきたことよって人類の苦難がはじまった、といことを象徴的にあらわしたものだと私はにらんでいる。実相が出てくる前の旧来の秩序はそれなりの平衡状態にあって、アダムとイヴも旧秩序の中でそこそこしあわせに暮らしていたはずだ。そこへ実相があらわれてきて旧秩序とのあいだに戦いがはじまり、平衡状態は破壊されてしまった。これがエデンの楽園追放の真相なのだ、と私は考えている

それについて述べさせていただく前に、「霊魂進化の神示」から、その要点を以下に引用させてもらいます。

○「神の子」なる人間の実相を現象世界に実現するのが人生の目的である。  (1)

○神の子なる実相人間も、その投影を現象界に完成するには、大体一定の時間を要し、植物が日光に逢い、雨露に逢うが如く、或いは幸福に恵まれ、或いは虐運と戦うことによって、ついに実相人間の現象界への投影を完成するのである。  (2)

○現象世界に実相人間を顕現する過程を心次第で縮めることも長くすることもできるのである。
霊魂進化の過程を短縮するのは、念の浄化による。
念の浄化には、実相を悟ることが第一であり、物質欲にとらわれざるが第二である。  (3)

以上、(1)、 (2) 、(3)と、分けましたが、
(1)は、初心者様の言う「なぜこの現象世界は存在するのか」ということに、関係することですね。
「楽園追放は祝福」ということも、「小さな魂」の話もこの部分での話で、人間がこの世に生きていく上で、とても大切なところだと思います。

(2)は、実相が現象界へ投影していく過程の話。
また、なぜ苦しみや、虐運があったりするのかという話で、これを理解することも生きていく上で、やはり大切ですね。

初心者様の「実相が出てきたことよって人類の苦難がはじまった」というのは、(1)と言うより、以下に続く文章から考えるに、この(2)部分での話のように受け取れましたが、どうでしょうか。

「真理があらわれるとき、人生には風雪の季節がやってくる。これを避けて通ることはできないかも知れない。しかしたとえ風雪の季節であったとしても、それは実相が出てくるためのプロセスなのであるから、いさぎよく受けるよりほかはあるまい。」

これは、初心者様に「どうか?」と、聞かれたから答えているだけで、(1)であろうが(2)であろうが、どうでもいいことだと思います。ただ、(1)、(2)、(3)のうち、どの部分で話をしているかは、はっきりさせておいた方が、話が紛らわしくならなくていいと思うので書かせてもらっています。

(3)は、実相を速やかに現象界へ現し出すにはどうすればよいかという話。
「現象なし、実相のみがある」という話をされる時は、この部分で話をされているわけですね。

どれも、これも抜くことが出来ない大切なことばかりですが、個人個人によって、また、その時々によって、どの部分の話が、より救いをもたらしてくれるかは変わってくるかもしれませんね。

いずれにしても、いま、わたしと初心者様が感じていることは、似ている気がして、うれしくコメントを読ませてもらいました。ありがとうございます。
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小さな魂と太陽の話

2009年06月08日 | 読書
≪本からの引用≫

かつて、自らが光であることを知っている魂があった。
「わたしは光だ」とそれは言った。「わたしは光だ!」。

だが、いくら知っていても、いくら口に出してみても体験にかえることはできない。この魂が生まれた領域では、光しかなかった。どの魂も偉大で、どの魂もすばらしく、どの魂もわたしの神々しい光を受けて輝いていた。

そこでは、その小さな魂は、まるで太陽の前のロウソクのようだった。
偉大な光の中では、その光の一部である魂は自らを見ることができないし、自分が何者であるかも体験できない(表現できない)。

その小さな魂は自分自身を知りたくてたまらなくなった。あまりに知りたがるので、或る日、わたしは言った。
「小さいものよ、その望みをかなえるにはどうすればいいか、わかるか」
「どうすればいいのですか、神様? わたしは何でもします!」
「お前は、わたしたちから離れなければならない」とわたしは言った。
「そうして、闇を求めなければならない」
「闇というのはなんですか、聖なる方?」と小さな魂は尋ねた。
「それはお前ではないものだ」とわたしは答え、小さな魂は理解した。

そこで、小さな魂は全体から離れ、別の領域に行った。
その領域ではあらゆる闇を体験することができた。そして、闇を体験した。

その闇のさなかで、魂は叫んだ。
「父よ、父よ、どうしてあなたは私を見捨てたのですか?」
例えば、あなたがたが暗闇にいるときのように。

だが、わたしは一度もあなた方を見捨てたことはない。常にそばにいて、本当は何者であるかを思い出させようとしているし、いつも、我が家に呼び戻そうとしている。

だから、闇の中の光になりなさい。そして、闇の中にいることを呪ってはいけない。また、自分が何者であるかを忘れてはいけない。もっとも大きな試練が、もっとも偉大な勝利になる可能性がある。

このたとえ話をしたのは、どうして今のような世界になったのかを理解させるため、そして、誰もが現実の奥に秘められた神聖な真理を思い出せば、その瞬間に世界が変わりうることを、もっとよく理解させるためだ。


以上は、非常に感動させられた話なので、ニール・ドナルド・ウオッシュ著「神との対話(1)」から、ほぼそのまま抜粋させてもらったものです。

わたしたちがなぜ現象世界に生まれてきているのかということが、「神真理を告げ給う」の中で語られていることと、好一対をなしていて、非常に面白いと思う。

この本の中では、アダムとイブが蛇の知恵に騙されてリンゴの木の実を食し、楽園追放されたことを、「あれは、人類最初の祝福だった」ということになっているのですが、「神真理を告げ給う」でも、地上天国建設という神の計画に入っていることになっており、「迷いと見えるものは、実は悟りの道程である(煩悩即菩提)」と書かれているのを思い出します。

雅宣先生もブログの中で、その楽園追放物語について、「このように解釈することもできるのである」と書いておられ、その部分をワードに保存していたつもりなので探してみましたが、見つけることができませんでした。また、探してみます。 最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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「愛と癒しのコミュニオン」

2009年05月17日 | 読書

鈴木秀子著書の「愛と癒しのコミュニュオン」という本を、昨年買って読みました。

その本には、「話を聞く」ということの大切さが書かれているのですが、元来、相手の話を聞くという気持ちが、はなはだ欠けていたわたしにとって、大いに勉強となりました。
その中に、「聞く」「傾聴する」ということの、象徴的で感動的な次のような話がありました。

それは、著者が或るキリスト教の神父さんに、どうして神父になったのですか?と質問した時に、神父が語ってくれたという話です。

神父は名門の家にうまれ、兄と二人兄弟だったのですが、兄は学業の成績が良く、その神父は成績が悪かったとのこと。

小学校5年の終業式の帰りのこと、もらった通知表を見ると落第点がたくさんあり、さらに、親の呼び出し状がついていました。家の中に入りにくくてためらっていると、かわいがっていた犬が飛び出してきたので、少年は犬と一緒に野原へ向かいました。

少年が野原の中に座ると、犬もそばに座り、全神経を集中したように、少年の顔をじっと見上げていました。少年はその犬を抱きしめ、語り始めました。

「僕はお兄ちゃんのように頭もよくないし、どんなに頑張ってもできないんだ。村で有名なうちに生まれて、将来、人のためになるんだぞと言われ続けているんだ」

「本当に辛いんだ。先生に叱られて、両親に手紙を渡しなさいと言われて。お兄ちゃんみたいになりたいんだけど、出来ないんだ。お父さんもお母さんもわかってくれない。わかってくれるのはお前だけだよね」

犬はひたすら、世の中にこの少年しかいないという目で見つめていたそうです。

少年は続けて語ります。
「やってもできないことがどんなにつらいか、わかるよね。一生懸命頑張ったのに、お母さんに叱られたり、もっと頑張りなさい、と言われるんだ」

少年は胸の内のありったけを犬に向かって話し続けました。犬は少年の顔を見ながら、じっと聞きいっていたとのこと。
そして、少年は胸の中の思いを全部吐き出し終えたとき、こんなことを思いました。

「こんなに自分のことを分かってくれるものがいる。勉強ができるとかできないに関係なく、自分に対してこんなに忠誠と愛情を注ぎ、この世の中で一番大事な存在として扱ってくれるものが・・・」と。

その瞬間、少年の心がスーと霧が晴れるように晴れていき、突然神啓を受けたような感じになったそうです。

「神様は自分を、こんなふうに見ていてくださる!」と。

そして、この時の経験から、自分と同じように悩んでいる人に、神様がこんなに愛してくれているとことを伝えたくて神父の道を選んだということでした。

著者の鈴木秀子さんは、本の中で次のように書いています。

○人は、ストレスがたまったとき、それを吐き出す必要がある。最も効果的なストレスの吐き出し方は、人に話を聞いてもらうことなのだ。誰かが、そういう状況の時は、聞く方は、ただひたすら聞くことに専念することが重要である。解釈や提案などせず、ただ「なるほど」と言って、聞いてあげるのである。

これは、自分もよく経験してきました。所謂、愚痴るというやつですが、そんな時、相手が黙って聞いてくれた時には、もうそれだけでずいぶん気持ちが軽くなりました。
だけど、自分はどれだけ人の話を黙って聞いてやったかと大いに反省させられました。

著者は次のようにも書いています。

○「傾聴」することで、話し手は自分で解決していく知恵を出すことができる。
誰もが自らの問題を解決する能力を秘めているからだ。

○愛とは全身全霊を傾けて聞くこと、受け入れることに尽きる。
つまりその人と共に存在すること、それが愛。

わたしにとっては、目から鱗でした。
それまで、わたしには人の話に耳を傾けようなどという意志はまるでありませんでした。
もちろん、そんな意志はないままに、人の話を聞くことはあったでしょうが・・・。
これからもできるとは思いませんが、大切なことだというのはよくわかりました。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

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