気の向くままに

山、花、人生を讃える

「有難さ」に目覚める言葉

2025年02月09日 | 人生

夏目漱石は小説『草枕』のなかで「智に働けば角が立つ、情に棹させば流される」と書いている。人間には智の勝った人と、情に優った人がいるようだが、わたしはどちらかと言えば、知のまさったというか、情のうすい性質で、批判力が旺盛であり、この「他を裁く」性質をできるだけうすめ、優しい角の立たない人間になりたいというのがわたしの以前からの念願であった

下記は、少しでもよくなりたいとの思いで、尊敬する「生長の家」創始者、谷口雅春先生のたくさんの著作から抜き書きしたものだが、自分一人だけのものにしておくのも惜しい気がするので、これから少しづつここにアップしていきたいと思う。訪れてくださる方にとっても参考になるものがあれば、ありがたいと思う。

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遺伝が良くないといって失望するな。胎教を過(あやま)ったといって失望するな。人間はその最も深いところに実に根強く、神の子としての神性の遺伝をもっているのである。神性の根強い遺伝に比ぶれば、数代前十数代前位からの遺伝の力は太陽の前の星でしかないのである。このことを強く信ずる者は幸いなるかな。われらはこの「神性の遺伝」に敬礼し、感謝し、日夜この神性に対して讃嘆の声を雨降らさなくてはならないのである。 

○心の修養はやはり生涯の修行であって、常に柔らかく、温かい感情を持ち、誰にでも深切にし、常に楽しい嬉しい、悪いことは一つも考えないで、人を拝み、感謝する心を起こすようにしていますと、ますます表情がよくなるばかりです。 

○皆さんは自分というものを本当にもっと尊敬していただきたいのであります。自分は何しに生まれているのであるか、なんのために生きているのかという根本問題からもっと深く反省していただきたいのであります。皆さんは自分自身を尊び、自分のいのちを尊び、一分間でも自分のいのちを無駄にしないようにしなければならないのです。自分のいのちが地上に顕わされているその意義をありがたく思い、自分のいのちを尊敬して、たとい一分間の間といえども無駄に自身の生命を軽んずるということはいけないのです。一分間でも自分が向上することを考えなければならないのです。 (花嫁学校の生徒への講話から)                          

○毎朝、顔を洗って「顔を洗った、ああ、ありがたい」と分かるのが悟りであります。空気を吸うた、ああ、ありがたいと感謝できるのが悟りであります。

○われわれの心が麻痺していませんでしたら、いつも顔を洗って嬉しい、いつも空気を吸って嬉しい、いつもご飯を食べて嬉しい、というように、ありがたさは天地の間に満ちているのです。このあたりまえのことに天地の恵みを自覚してありがたいと分かるのが悟りであります。 

○物質を物質として観るかぎり本当のありがたさは湧いてこないのであります。それはただ、化学方程式の世界であって、あるべきものがあるべきように動いているのですから、ありがたさは湧いてこないのです。ところが物質を見ても「物質は無い」と知り、そこに神仏の愛、兄弟の愛が現われているのであると知ると初めてありがたさが湧いてくるのであります。

 

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