一昨夜のNHKの番組「復活の日~もしも死んだ人と会えるなら~」は残念ながら期待外れでした。
私の想像では・・・、
もしかしたら、出川哲朗さんが8年前に他界した母親と実際に何か話をしたという体験があって、それをドラマ風に再現するのかも・・・という期待がありました。が、そうではなく、技術を駆使して人が鏡に映るように出川さんの母親を写し出し、それと出川さんが向き合い、母親と再会している気持ちになって、いろいろ話をするという、いわば疑似体験でした。そういうわけで、残念ながらこの番組は期待外れでした。
さて、その番組とは別の話になりますが、このブログ「気の向くまま」への訪問者数は通常120ぐらいですが、一昨日の集計結果は600を超え、昨日もまた300近い数字となり驚いています。内容が単なるテレビ番組の紹介なので、訪問してくださった方は「なんだ、つまらない」と思われたことと思いますが、その点をお詫びしますとともに、アクセス数が爆発的に増えたことについて感謝申し上げます。ありがとうございます。
さて、「あの世などはない。人間は死ねばおしまい」という人がいる一方で、「いや、ひょっとしたら、あの世はあるかも・・・」と思っている人もいて、そのような人が、「死んだ人もあの世で生きているというなら、その確証が欲しい」ということで、「もしも死んだ人と会えるなら~」という文言に興味をもち、このブログに来て下さったのかと思います。
ですが、このような文言が、これほど人を呼び寄せるとは思いもよらず、アクセス数を見て、正直とても驚かされました。
私は小学5年生の時、「小学生時代」だったか何だったか、本のタイトルは覚えていませんが、ともかく小学生を対象とした月刊誌の中に、インドのある少年が過去に生きていた時のことをよく覚えていて、少年が話したことが事実であることが確認されて、生まれ変わりの一つの証左として紹介されているのを読みました。そして「本当にこんなことがあるんだ!」と、子供ながらに感銘を受けたことをよく覚えています。
つい、先日読んだ本の中には
「生まれ変わりの話を聞いて、それを信ずることができる人は、自分が生まれ変わりを体験していることを、奥底の心が知っているからだ」という意味のことが書かれていました。
その真偽はともかく、もし、「生まれ変わり」が「ない」としたら、人はなぜこのような根も葉もない出鱈目な作り話に、自分だけでなく、多くの人が関心を持ったりするだろうかという疑問が残ります。
それに、ほんとうに「死んでおしまい」なら、当然ながら、生まれて来るのも偶然であって、目的をもって生まれてくるはずもありません。そして「人生の目的如何?」などと考えるはずもない。それなのに、昔から多くの偉い人が、人生の目的を知りたがり、考えてきました。偉い人だけでなく、誰もが一度はそんな疑問を持ったはずで、その点をどう解釈すればよいのだろうか。
昨日、海の中の潮の流れの早いところへ無数の蟹が集まってきて、潮の流れを利用しながら、それらの蟹たちが脱皮してゆく様子を見ましたが、その神秘を思うと、人間が肉体という衣服から脱皮してあの世へ行き、また新しい衣服を付けてこの世に生まれてくるということがあっても、一つもおかしくないと思いました。
いずれにしても、わたし達人間にとって興味のある話であることには違いありませんね。
読んでいただきありがとうございました。