夏もはや残月の夢の別れかな
という芭蕉の句があった気がします。わたしの今の気持ちを俳句にすると、こんな感じかなあという気もちで思い出したのだが、記憶が確かでないので調べてみた。しかし探しても見当たらないので、記憶違いかもしれない。
今月中旬に「辞任願い」を提出したが、それが認められことを2日前に知った。そして9月いっぱいをもって、わたしは副会長を退くことになった。1年前、その大役を務めることになったということを書いたので、今回辞任することになったことも書かなければと思う。要はわたしには荷が重かったということだ。そして今、映画「フーテンの寅さん」シリーズの中にあった、一コマが思い出されてくる。
それは、こんなシーンだった。マドンナ役が寅さんの店で働くことになったが、その彼女が働き始めてしばらくしたある日、役所に離婚届を提出する。そしてその足で、寅さんの店の団子屋さんに来て、エプロンをかけ、さあ、働こうとしたとき、思わず悲しみがこみあげてきて、手で顔を覆い、「すみません、今日は帰らせて下さい」というシーンがあった。自分から望んで離婚届を出したものの、きっと予期しなかった悲しさ、寂しさに襲われたのだろう。
離婚と辞任とは比較にならないが、今そのシーンを思い出しながら、その時の彼女の気持ちが少しは分かる気がするのである。
わたしの友達に、自分が浮気して50歳ごろに離婚させられた者がいるが、久しぶりに会った彼はなんとなく刺々しいような、とっつきにくさがあった。噂で離婚したとは聞いていたが、その当時、わたしは単純に「離婚したからと言って、傷つく必要なんかないのに」と思っていた。
だが、今私は自分で出した辞任願いが認められて、良かったと思う一方、寂しさ、悲しさを感じている。ほっとして喜べると思っていたのに。傷ついたというわけではない。ただ、「辞任願い」を出すような結果になったことが、なんとなく淋しく、悲しいのだ。
その友達とは、今年の春、彼の畑の「桃」の木と、「キウイ」が伸び放題になっていて、困っていたところ、わたしを思い出してくれて剪定を頼まれ、それから、この夏には近くのカラオケ喫茶に誘われて2回行き、昨日はわたしの方から彼を誘ってカラオケをしてきた。私は古い歌しか知らず、あまり行きたくはないが、こんな時にはやはり歌でも歌って気を紛らわしたくなるのだ。ちなみに私が好きな曲は小林 旭の「熱き心に」である。ただし、ところどころ伴奏に合わない。
蛤のふたみにわかれ行く秋ぞ (芭蕉)
淋しさにまた銅鑼打つや鹿火屋守 (芭蕉)
寂しさに「熱き心に」を歌う秋