気の向くままに

山、花、人生を讃える

生命みずからで起つこと

2009年12月16日 | 信仰
先日、『生命の実相』2巻を読んでいたら、

○神の知恵をいただく場合には医療を用いてもそれは「神癒」でありますし、神の知恵をいただかない場合には医療を用いないで、ただ「心」にたよっていても、その「心」は「迷いの心」なのでありますから、それは迷信となるのであります。 (78頁)

と、ありました。
わたしはここを読んだとき、「あれ、『医療を用いても神癒』なんて書いてある」と、ちょっとびっくりしました。

私はもちろん、生長の家が医療や薬を排斥するものではないことは知っていました。しかし、ここを読んで「あれ、こんなことが書いてある」と驚いたということは、頭では「生長の家は決して薬や医療を排斥しているのではない」と知っていても、自分の心の中ではなんとなく排斥するような感じをもっていたのだと思いました。

第2巻の他のところにも、はっきりと「かく申したからと言って、私は決して薬剤を排斥するものではありません。ただ生命それみずからで起て、と言いたいのであります」(ここは記憶です)ということが書かれていて、ここを読んだときにも、「ああ、そうだったのか。薬や医療を排斥しているのではなく、松葉づえや薬などの外の物に頼らず、生命で起て!」ということを教えておられるのだと思いましたが、この「神の知恵をいただく場合には医療を用いても神癒」とあるのを読んで、さらにはっきり医療や薬を排斥しているのではないと知ることができました。

こんな初歩の初歩の小さなことでも、はっきりわかって嬉しくなりました。

思いだしましたが、徳久先生の講話テープの中に、
「医者は病気を治す。これは当たり前のことです。しかし、医者が病気を治すということと、病気は医者しか治せないということとは違いますよ。医者は病気を治すというのは当たり前の事実ですが、医者しか病気を治せないとなったら、それは迷信です」ということを言っておられました。

私は、これと似た間違いを犯していたんだなと思いました。
谷口先生が、薬そのものが病気を治すのではない(ペニシリンなどの特効薬は別として)という話をされているからといって――多くの名医もそれは認めているが――そのことが、薬を排斥しているのだと考えたら、それは迷信と言わなければならない。生命力を振起し、生命それ自身で起たしめるために、そういう話をされているということが、お恥ずかしい話ですが、今回よくわからせてもらいました。

そうですね。肝心なのは生命力の振起であり、生命自らで起つこと。神からいただいているいのちを信ずることでした。

ここまで書いてまた思い出しましたが、今度はちょっと違う話。
その日、何となく嬉しい気分になって、10日ぶりぐらいにゴミ拾いに行ったら、なんと、燃えるごみ用、ビニール&プラスティック用、不燃物用と三つの袋が、1キロにも満たない距離なのに、それぞれ満杯になってしまって、拾い残すほどでした。
そして、その内には、珍しいものがありました。
ビニール袋に入った化粧品らしきものでした。
そのまま不燃物用に入れて持ち帰り、仕訳のために袋から出すと、化粧瓶、口紅、カミソリなどがそれぞれいくつか入っていて、これは若い女性だなと思いました。
「こんなものを捨てて!」と思いましたが、出てくる品々を仕分けしながら、きれいにするために結構努力しているんだなと思うと、自分も高校生の頃、ヘア・ドライヤーをよく使っていたのを思いだし、その気持ちが甦ってきてその女性がいじらしくなりました。そして、ゴミを捨てた姿ではなく、滴のようにキラリと輝くものが感じられて、どうぞ、ますます美しく輝いてくださいと思いました。
(数本の剃刀は、紙の箱に入れられていました。きっと、誰かが怪我をしてはいけないというやさしい心づかいだったのだろうと思います)
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「庭に出よう!」 「はい、出ました」

2009年12月12日 | その他
しじみさんのブログを見たら、
http://blog.livedoor.jp/kirari10hikaru/

さあ!庭に出よう!
そこには、雨の滴に彩られた光の世界が!

とあった。

ハッとするが早いか、「雨の滴に彩られた光の世界」のイメージが脳裏に浮かぶが早いか、はたまた、美しい写真が目に飛び込むが早いか、あたふたとカメラをもって庭に出ていました。
そして写真を撮り終え、我に返ったあと、思わず苦笑い。

いやあ、実にお見事!
しじみさんのコトバのマジック炸裂に、すっかり、自動遠隔操縦されてしまっていました。

以下は、その自動遠隔操縦されている間に撮った写真です。


ドウダンツツジ。  日当たりで、滴はすでに蒸発。惜しい!






モクレン。さすがに残りの葉もわずかになりました。


ここで下手な一句。

           大きな葉少し残して冬うらら


昨日の雨で落ちたモクレンの葉。散らばる様も、なかなか芸術的です。



こんなに大きいです。物差しは17センチのもの。



寒椿。 北側の日影なのでまだ滴が残っていました。良かった!


ここで、また下手の一句

            ほの咲いて滴光るや寒椿



同じく寒椿。



門の上にこんな鉢植えが・・・。今の今まで気づかずにいたので、お詫びのシルシに記念の一枚。



おかげで、撮っても楽しい時間でした。
あ、これは変換間違いの偶然のシャレ。
近頃は、パソコンまで粋な計らいをしてくれるようで・・・。(笑)


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ひと足早く、サンタかな

2009年12月11日 | その他
1週間ほど前、兄から電話があり、「チラシの裏を見たか?」と言うので、「見たよ」と言うと、「金は○○○○○○から、行かんか?」と言うのでした。
(○○は、二人だけの秘密・・・ということで。(^O^))

そのチラシとは、町会議員をしている従兄が配ってきた、ある市会議員の「○○を囲む会」企画の初詣の案内チラシで、その裏は1週間のマレーシア方面の旅行案内募集でした。

つまり、そのマレーシア方面の旅行に行かないかという電話ですが、いくら○○と言われても、すぐに「行く」とも言えず、「考えてみる」というわけで、一旦は電話を切りましたが、チラシをよく見るとマラッカ見学もあり、なかなか魅力的な旅行のようなので、折り返し、「行くから頼む」と電話をしました。

と言う訳で、今まで海外は面倒で、なかなかその気になれなかったのですが、行き先も悪くないし、この機会にという訳で、来年の3月に初の海外旅行をすることになりました。
懐かしいマラッカ海峡を――今度は陸から――また見られるかと思うと、今から楽しみです。

もう一つ。
次は娘から。
今朝、娘から「フジ子・ヘミングのピアノ・コンサートがあるけど、行かない?」と電話があったらしいのですが、家内は「お父さんは、ピアノ・コンサートなんか行かないと思うよ」と返事をして断ったとのこと。そして、わたしに「お父さん、行かないでしょう?」と言うので、「フジ子・ヘミングなら聞きたいどころか、是非聞きたいよ」という訳で、すぐに電話し直してもらい、娘が手配してくれることになりました。

フジ子・ヘミングのピアノ演奏は、飯田史彦が激讃、激奨していたもので、自分も是非聞いてみたいと思っていましたが、このように実現するとは思っていなかったので、夢のようです。
「おお、娘よ、さすがはわが娘。よくぞ気がついた。でかした、でかした!」というところです。
これは5月末。まだ半年も先ですが、フジ子・ヘミングの生演奏を聞けると思うと、わくわくしてきます。
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心地良い疲労感

2009年12月10日 | その他
昨日は穏やかな小春日の中、休耕田の刈られた草を軽トラに積み込み、処分場へ運ぶ仕事をしました。
久し振りのフルタイムの仕事をして、心地良い疲労感に全身が喜んでいるようでした。

この日、コンビを組んだ人はシルバー9年目の72歳。働くのが如何にも楽しいという感じでした。
先にこちらがバテるほどの元気ぶりで、「あわてる必要は無いから、ゆっくりやればいいよ」と言いながら、本人はあわてもしないが、ゆっくりでもないし、「そんなにきれいにしなくてもいいからね」と言いながら、きちんときれいにしている。
「いやあ、たいしたもんだなあ」と感心させられました。
車の中では、話題が尽きないという感じで、話を聞いていると、どっちが年寄りだかわからなくなるぐらいでした。

芝草をかき集め、それを熊手でどっさりひっかけて、車に積み込む。そして、ぎゅうぎゅうと足で押さえつけて、また積み込む。満杯に積み込むまでの所要時間は30~40分、一汗かきます。
それを2往復して、3回目を積みこんだところでランチ・タイムにしましたが、一汗かいた後に、休耕田で食べる気持ち良さ。72歳の元気オジサンと並んで食べる弁当。いやあ、なんとも優雅ですねえ。

休耕田もきれいさっぱりとなり、帰る時には、いい遊び場ができたとばかりに数匹のセキレイがさっそく寄って来ていました。

家に帰ったら、急に腹がすいて、何かないかと言ったら、昨日の(残りの)お好み焼きがあるとのこと。
小さいものだけど4枚ぺろりと食べてしまい、夕飯のオムライスが、さすがに半分しか食べられませんでした。

今日は、午後から剪定された枝葉の片づけ仕事でした。
剪定作業はまだ素人ということで、お客様の手前、もう少し待ってくださいということですが、わたしは今の仕事でも一向構いませんというところです。

そうそう、前回記事に載せた、剪定講習を受けていた植木センターの風景写真の中の樹木ですが、ひょっとして、我々受講生が剪定したかのような印象を与えてしまったかもしれませんが、写真に写っていたものはすべてプロの職人さんが剪定したものですので、訂正しておきます。
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