私の好きな話に、こんな話があります。
ある寺の小僧が毎日熱心に仏さまを拝んでいました。
そんなある日。お師匠さんがその小僧に尋ねました。
お師匠さん:毎日熱心に仏を拝んで感心なことだが、何か願い事でもあるのかな?
小僧:はい、お師匠様、わたしは早く悟りを開いて仏になりたいんです。それでこうして毎日仏さまを拝んでいるのです。
と、小僧は答えました。
それを聞いたお師匠さんは何も言わず、黙ってその場を立ち去りました。
それから、しばらくした或る日のこと、今度はお師匠さんが一生懸命に瓦を磨いていました。
それを見かけた小僧が、お師匠さんに聞きました。
小僧:お師匠様、瓦を磨いてどうされるんですか?
お師匠:うん、実はな、瓦も磨けばダイヤモンドになるんじゃないかと思っての、こうやって磨いておるんじゃよ。
お師匠さんがこう答えると、小僧はつい可笑しくなって言いました。
小僧:お師匠様、瓦をいくら磨いたって、瓦は瓦ですよ。ダイヤモンドにはなりません。
そう答えた瞬間、小僧はハッと気づいたそうです。
自分は今まで凡夫が修行して仏になると思っていたが、そうではなかった。
人間は本来仏だから、仏になることができるのだ。本来仏である自分に気づく、それが悟りだったのだ、と。
これは禅宗の中にある教えですが、禅宗にかぎらず、「人間の中には本来仏性、または神性と称される素晴らしいものがある、それを認め、尊び、そしてその美しい花を咲かせましょう」というのが、各宗教に共通した教えのようです。
若い人たちには、このような尊いものが自分の中にあることを知って、自分や他の人に幻滅せず、自暴自棄にならず、ぜひ自分を大切にしてもらいたいと思います。
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