気の向くままに

山、花、人生を讃える

地球にやさしい

2020年12月21日 | 社会

先日テレビで「食が地球を救う」という番組があり、それを録画して見たのですが、是非、多くの人に見てもらいたいと思うようなとても良い番組でした。

 

その中で、2019年のIPCC(国連気候変動に関する政府間パネル)の発表によると、人間の活動によって吐き出される温室効果ガスのうち21~37%が食に由来するとのことでした。

 

そして日本国内に於ける食品ロスのうち、事業者からは54%で、家庭からは46%とのことでした。
また、最近は家庭よりも企業の方が環境意識が高まって来ているとのことで、その企業努力についても紹介されていました。

 

また、生ごみについてですが、その多くはリサイクルされず焼却されるのですが、それを燃やす燃料や助燃剤等の費用は国民の税金であること、生ごみの殆どは水分で燃えにくいこと、そこから排出される二酸化炭素の量が馬鹿にならないことなどから、コーンポストを利用することが如何に地球にやさしいかの話が詳しく紹介されていました。

 

わが家でもコーンポストを利用していますが、これは家内がしていることで私は詳しくは知らないが、とにかく生ごみが微生物によって分解され、畑に利用される有機肥料となり、やがては無農薬野菜となって食卓に還元されてきます。

 

そして都会に住む人でも利用できる段ボールコーンポストとか、バッグ式のコーンポストなどが紹介され、少しでも多くの人に利用してもらうよう普及させていきたいという話が紹介されていました。

 

これによってゴミの焼却量が減り、有機肥料となって、やがては無農薬野菜となって還元されることになれば、こんな地球にやさしいことはないと思ったことでした。

 

写真は我が家のコーンポストです。   

  

 

○我々は人生の行路に於いて、時々は予想外の出来事にぶっつかり、失望や、困難や見せかけの損失に出会うことがあるであろう。併しながらこれは決してその人の魂の進歩にとって悪ではないのである。何故ならば、唯一の善は、魂の進歩のみであるからである。  谷口雅春著『愛と光の生活』より 

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シルエット

2020年12月15日 | その他

  ≪ シルエット ① ≫

  

 

  ≪ シルエット ② ≫

    

 

        家の近くの川沿いの細長い公園に数本のユリノキが並んでいる

 

    葉っぱをつけているときも、葉を落として裸になったときも

 

        そのシルエットが美しい。

 

 

夢を描く:人間は希望を失い、夢を描かなくなったとき進歩は止まり、向上しなくなり、「老い」は始まる。空中の楼閣だと笑われてもかまわない。たといそれが現実化しない空想であっても、常に前方に夢を描くことは、人間の精神を常に若々しくし、それにつれて肉体を若返らせる功徳がある。.(以下略)     谷口雅春著『生活の智慧365章』より

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変な爺さん

2020年12月15日 | 人生

以下は私が40代後半ごろの話です。

 

それは岐阜県美濃地方の山に登り、その帰りに喫茶店に入ったときのことです。
店に入ると、中は煤けたように薄汚れていて、客はわたし以外には誰もいませんでした。とは言え、私は気にもしないでコーヒーを飲みながら山の地図を広げ、今登って来た山を思い出しながら登山の余韻を楽しんでいました。

すると、そこへ一人の老人が店に入ってきました。手拭いを首に巻き、さも畑仕事から帰ってきたような姿でした。
私はとっさに「薄汚れた店に、薄汚れた老人が入ってきた」と思いました。
一瞬視線があったかと思うと、やけに親しそうにニコニコしながら近づいてきて、「何かな?」と思いながら見ていると、
私のところまで寄って来て、その向かいの席に座ったのでした。まるで友達と待ち合わせでもしていたかのように。
私は「他に席はいくらでも空いているのに、何よこの爺さんは!」と呆れながら爺さんの顔を見ました。

 

しかし、お爺さんはニコニコとさも親し気に私を見ています。

それは、まるで少し前の記事でアップした幼児の笑顔とそっくりです。

 

それでも私は「楽しみな時間を邪魔されてはかなわない」と思い、無視を決め込んで視線を地図に戻します。

しかし、「それにしても、きれいな目をした爺さんだなあ」とその目が気になります。
「いやいや、余韻を楽しむために店に入ったんだから、楽しみな時間を邪魔されてはかなわない。無視、無視」
と、地図に神経を集中しようとします。――お爺さんが話しかけたそうにしているその視線を感じていたので。



しばらくすると、案の定「どこかへ行ってきたんですか?」と、ニコニコ話しかけてきました。
本当に親しげで、幼児のような柔らかで澄んだ目でした。
しかし、その時は邪魔をされたくない一心ですから、これ以上話しかけられたくないというように、
「はあ、山へ行った帰りです」と、そっけなく答えました。

そして視線を地図に落とし、集中しようとしたのですが、お爺さんの目が気になって集中できませんでした。



仕方がないとあきらめて、残っていたコーヒーを飲みほし、席を立ちました。
そうしたら、なんと、なんと、そのお爺さんも私と同じようにコーヒーを飲みほして席を立ちました。
わたしは驚きながら「なに?この爺さんは」と、思いました。
「変な爺さんだ」と思いつつ勘定を済ませ、外へ出て50CCのスクーターにまたがりました。



ヘルメットを頭にかぶっていると、少し遅れて出てきた爺さんも、またまた、ニコニコと楽しげに隣の50CCにまたがるではありませんか。まるで、それはお茶目をしているようでした。そして、また同じようにヘルメットをかぶりました。
私もついお可笑しくなり、ついに「お爺さん、元気で良いですねえ」と私から話しかけました。

爺さん:わしゃー、これでも83になるわね。いまゲートボールをやってきた帰りだわ。
わたし:へぇ~、83ですか。とてもそんな年には見えませんねえ。よくゲートボールをするんですか?
爺さん:毎週2回やるんだけど、これがわしの楽しみだわ」と、ちょっと照れたように言いました。
わたし:そうですか。・・・・・じゃあ、どうぞ元気でやってください。
爺さん:ありがとう、あんたも気をつけて帰りなさいよ。
わたし:はい。さようなら。

というわけで、そのおじいさんと別れました。

これだけの話で、まるで夢の中の一齣のようですが、是非またいつの世でかお逢いしたいと思っています。

と、言うわけで、この日のことが無性に懐かしいという話でした。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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我が「あこがれの人」

2020年12月12日 | 人生

6、7年前のことですが、生長の家の勉強会で或る信徒の家を訪問し、そこの主人に「生長の家」を信仰し始めたきっかけについて尋ねたことがありました。するとその主人は、まだ小学生の時の戦後間もない頃の話だといってこんな話を聞かせてくれました。

 

その頃、お母さんは病気で臥せっていた。どんどん痩せて行き、おばあさんがもう助からないだろうといっていたのを覚えているという。

 

そんなある日、見知らぬ一人の男がやって来て、「少しでいいから話を聞いて欲しい」と言う。父親が忙しいからと再三断るが、その男はしつこく「少しでいいから聞いてくれ」と言うので、玄関先で少しだけ話を聞いた。どんな話をしたかは知らないが、最後に男は「今の話が分かったら、大分気分もよくなっている筈だ」と言って帰って行ったという。

 

父親が臥せっている母の元に戻ると、母が「何だか今、急に気分がよくなった」と言う。それで父親が先ほどの男の話をすると、母は「その人の話を聞きたい」と言うので、父親はすぐその男の人を探しに行った。が、見つからないので近所の人に、「こんな話をしていった男がいるが知らないか」と尋ね歩いたが、誰も知らないという。

 

それ以後も心当たりを探し、やがて戦後東京の方から疎開してきた若林という隣村にいる人だとわかった。
それで若林さんの家を訪ねて、事情を話して再び自宅まで来てもらい、話をしてもらうことになった。
おばあさんは、「こんな病人にどんな話をするのだろう」と心配そうだったという。

 

若林さんが来ると、臥せっている母親の近くに寄り、最初「ありがとうございます」は言えるかと聞いた。
母親は「それ位なら言えます」と答えた。
若林さんは「それは良かった」と言い、次のように話した。
「これから毎日、目がさめている間、ご先祖様やお父さん、お母さん、それからお世話になったすべての人々を思い出しながら、ありがとうございますと言いなさい。それが出来たら、今度は障子や柱、畳や天井、目に見えるもの凡てに「ありがとうございます」と唱えながら感謝しなさい。きっとよくなりますよ」と、およそこんな話をしていった。母は言われた通り、「ありがとうございます」口で、疲れれば心で唱え続けた。

 

そして、3日後、それはお彼岸の日だった。見ると仏壇にお供えしてあったお彼岸団子が目に留まり、それを食べたいと言い出した。家のものが心配して、もう少し良くなってからという者もいたが、結局、その団子をうまいと言いながら食べた。その後急速に回復に向かい、やがて買い物にも出かけるようになった。

 

村の人たちが良かったねと言ってくれるので、お母さんはその経緯を話す。すると、村人たちも若林さんの話を聞きたいと言い出し、それでまた若林さんを呼んで話をしてもらった。その時集まった人の数は80人だったという。その時の話を父は次のようにメモしている。

①大自然、太陽系、宇宙の創り主は誰か?
太陽、地球、そして夜空の星は一定の法則によって精確に運行されている。

②地球上の「人間を頂点とする凡ての生き物」は誰が創造したのか?

③いのちある生き物は神によって創られている。特に人間は神の最高の自己顕現であり、「神の子」である。

④だから私たちは一切の人々に感謝し、天地の万物に感謝し、心からありがとうございますと合掌すれば、そこに神の愛が顕われ、病は消える。神様は病気を創り給わず、病気は本来ナイからだ。

⑤人間は神の子・仏の子であり、大自然・大宇宙を創造した大生命を頂いている。
天地すべてのものと和解した時、そこに神――神の愛が――顕れる。

 

今まで感動させられた話はたくさんありますが、この話ほど深い感銘を受けたことはありません。
若林さんは有名人ではなく、言ってみれば名もなき人であるが、世の中には、こんな人もいると知ったことはとても大きく、それ以来、若林さんは遥か遠いながら、私の「あこがれ」の人になりました。自分の名前を「若林」と変えたいぐらいに。(笑)

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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身近な景色

2020年12月10日 | その他

昨日に続いて今日も穏やかな晴天である。
先日は11月半ばにまとめて買った「ギンナン」がなくなりかけたので、また道の駅まで買いに行った。
11月中旬に買った300g×4袋のうち1袋は、娘に分けたから、3袋900gを1ヶ月しないうちに食したことになる。

 

娘がギンナンを持ち帰って3日位の後、電話で「お父さん、ギンナンいくつ食べてる?」と聞くので「「12個づつ食べているがどうして?」と聞くと、「おいしいのでもっと食べたいんだけど、いくつ迄位ならいいのかなと思って」などと言っていたから、娘も気に入ったのだろうと思う。それで、今回も娘の分も含めて4袋買った。ついでに柿もこの地区の特産品なので買い、家内は庭に植えるパンシーをたくさん買っていた。この道の駅はいつ来ても、広い駐車場がほぼ満杯に近い。

 

話は変わって、以下の写真は. 比較的最近の写真から、「身近にある眺め」という観点で3つ選んだものだが、こうして見るとコロナ禍の中にありつつも、一方にはこのような美しい恵みのあることに気付かされる。そんなことで、過ぎ去っていくものを心に留めるため、これからも身近な眺めを写真に撮っておきたいと思う。

 

≪ 虹 ≫ 11月4日  我が家の前の道路から撮影
 久しぶりに虹を見て嬉しくなりました。「虹」という言葉には幸せイメージがあるけれど、誰が、いつ、「虹」と名づけたのだろうと不思議に思いました。

   

 

≪日の出≫ 11月16日、我が家の庭の隅から撮影
秋も深まって来ると、家の中から日の出が見えるようになります。日の出とともにブラインドから朝の光が射してくると、「今日もいい天気だ!」と嬉しくなります。

  

.

≪紅葉≫ 本日撮影 我が家の紅葉もいよいよ赤く色づいてきました。葉が大きく色あざやかです。

  

 

年末には例年、仲間と忘年会でカラオケに行くのですが、今年はコロナのために中止。
私はへたながら決まって歌いたくなるのは、小林旭の「熱き心に」や「南国土佐を後にして」だが、思い出しているだけで歌いたくなってきました。これも矢張り師走のせいなのだろうと思う。

 

あなたは全宇宙でかけがえのない存在である:誰一人、あなたと同じ個性を持った存在もなければ、誰一人あなたの代用となる存在もないのである。あなたが全宇宙に於いて為し得る“生き方”を誰も代行することは出来ないし、また宇宙に於いてあなたの貢献し得る仕事を誰も同じように貢献することはできないのである。 (生長の家の日訓より)

 

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あれから10年

2020年12月08日 | 人生

師走とは思えない暖かな日が続いています。
私のシルバーでの剪定仕事も残すは3回のみとなり、少し未練もあり、寂しさも感じているが、一応当初の目標であった10年が過ぎ、そろそろ区切りをと思い、今年いっぱいでやめさせてもらうことにした。

 

10年前はどんなことを書いていただろうかと、過去の記事を見ていたら、はじめて剪定作業に従事したときのことを、こんなふうに書いていた。

 

寒い日が続いていますが、2月3日、地元の遺族会の敷地の植木を5人で剪定しました。
わたしの記念すべき晴れの初陣でした。
天候はピンポイント予報では最高気温は5度、北風も強いとのことで心配しましたが、やりはじめたら、寒いどころか、夢中で汗ばむほど。

私が任されたのは、車の出入り口の両側にある、サザンカの生け垣でした。
昼休みをはさんで9時から16時までみっちりかかり、午後には手の握力もなくなるぐらいでしたが、それも忘れて夢中でした。ときおり時雨もきましたが、夢中になっているので、時雨も、ただ目の前を通り過ぎて行くという感じでした。
長時間、こんなに夢中になったのは久し振り。
あとの何とも言えない充足感に、夢中になっている時間のスバラシサをしみじみ感じさせられました。
寒さと時折の時雨も、終わって見れば、初陣を飾ってくれる完璧な舞台装置でした。
あの世で回想するとき、このシーンでは笑みが浮かびそうである。



と書いていて、この時のことは今もよく覚えている。
ともかく、あれから10年過ぎたわけで、早いものだと思う。
私はシルバーをやめても退屈することはないと思うが、さてこれからどうするか。
親しい友への年賀状には、

       70代 恋一筋に 生きようか              

などと書いて、思わずにんまりしたことだった。

馬鹿を言いつつ笑い合える友がいることは、実にありがたいことである。

その一方で、シルバーのそんな仲間たちと別れるのはちょっぴり寂しいのである。

 

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心配無用

2020年12月05日 | 人生

また、6年前の記事の再アップですが、読んでいただければ幸いです。

 

少し長いですが、以下は本からの抜き書きです。

○考えて見ると吾々を『肉としての人間』と自覚する限り死刑の宣告を受けた死刑囚と同じであります。・・・・・生活難も何もないのに、ただ『自分は死刑囚だ』と考えるだけで苦しいのであります。釈迦もその苦痛を脱するために家出せられた。父王の嘆きも顧みる暇がなかったのであります。それは人間を肉の方から見たらまさにその通りであります。ところが人間は肉ではないのだ。その中に宿っているところの不滅の理念こそ人間である。『内に宿るキリスト』『一切衆生悉有仏性』の其の『仏性』こそ本当の自分である。その仏性が仏性たらんとして慈悲を行ずるために此の世に生まれて来たのが出生であり、また『父と子』の理念を実現するために生まれて来たのが出生であると云うことが判るならば、はじめて親孝行の心が油然(ゆうぜん)と湧き出て来るのであります。吾々の本当の親は神様でありますが、その『親と子が一体である唯一神の理念』が現実になるためには現実の親と現実の子が地上に顕れねばならない。父母ありしがために、神のいのちが地上に神性受胎を実現するところの機縁が与えられたのであります。 『愛と光の生活』(谷口雅春著)より

 

○われわれは宇宙に満つる「神の生命そのもの」であると云っても、「仏性即自分」であると云っても、それが実現するためには陰陽の結びを必要とするのであります。父母陰陽の結びと云うものは、吾々「仏性」なる自分が神聖受胎する神聖なる機縁を与えて下さったのであります。これが父母の愛であります。斯う観じて来ますと、父母の恩が海よりも深く山よりも高きことが判って来るのであります。吾々は親の肉体本能のために犠牲になったのではなく、親の愛が、愛の念波が、宇宙普遍の生命――仏性――を引出してここに神聖受胎せしめられたのであります。決して親の「無明」によって、十二因縁をたどって人間は受胎したのではありません。 『愛と光の生活』(谷口雅春著)

 

いやあ、すばらしいなあ。(素晴らしい芸術品を見ているような思い)
ほんと、思想の芸術だなあと思います。
これを読んで、感銘と共にはじめて「なぜ親孝行しなければならないか?」その意味が分ったような気がしました。

 

わたしは今シアワセな日々を送っていて、「こんなことなら今まで何にも心配することなどなかった。心配は全部無駄だった」と、時々思ったりします。心配したことが無駄になったのなら、「ああ、良かった」と喜べばいいようなものですが、おかしなもので、損したような気分になるのです。だから、これからは心配などしないで、もっとゆったりと楽しく生きようと思います。

 

「退行催眠」治療の記録が書かれた本を読みますと、本に書かれている範囲でのことですが、生まれ変わりの回数が20回前後と云う人が多いようです。それで仮に20回生まれ変わっているとすると、普通の臨終は5回ぐらいで、あとの15回は、いわゆる不幸な死という、ざっくばらんに言うとそんな程度の割合になると云う記事を読んだ記憶があります。この割合はともかく、誰でも過去に何回かは飢饉による飢え死にとか、疫病などの流行り病や個人的な病死、地震や津波といういわゆる天災、あとは紛争とか戦争、個人的な争いなどで死んでいると思ってまちがいはなさそうです。

 

とすると、わたしも例外ではなく、何度かは世間で言う不幸な死を経験していることになります。しかし、過去にどんな不幸な死に方をしているにしても、今、こうして幸せに生きています。それを思うとなんだか不思議な気がするのですが、それとともに、ここでもやっぱり心配するだけ損だなということを思ったりします。

 

それに、周囲の人は、非業の死をとげた人を見て「気の毒に」と思うかもしれませんが、本人は、病気や傷ついた肉体の苦しみから解放されて、きれいな花園の中を気持ちよさそうに歩いているかもしれません。それからしばらくすると、この下の写真のように生まれ変わって来るわけです。そして、まわりの人たちから、「わあ、かわいい!」「笑った、笑った」と、まるで、天使が笑ったかのようにうれしそうにはしゃがれたりします。

       

 

どうですか、この笑顔。まさに、天使のいのちを宿した顔ではありませんか!
だから、肉体的視点から見れば、生まれて死ぬ、それだけのことであり、魂的視点から見れば、

○仏性が仏性たらんとして慈悲を行ずるために此の世に生まれて来たのが出生であり、また「父と子」の理念を実現するために生まれて来たのが出生である。

 

というわけで、これからも心配はやめましょうと、またまた思ったことでした。
有り難き哉、神性受胎!

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下手な絵手紙ですが・・・

2020年12月02日 | その他

8月の初めごろに友だちが沢山のサザエを持って来てくれて、それをスケッチして絵手紙にしたのを、「愉快である」というタイトルで記事にして、その絵手紙をアップさせてもらった。

 

実は、実際に友達に出したその絵手紙を描く前に一度失敗して、途中で投げ出していたものがあり、その後、思い直して最後まで描きあげて、それを生長の家の月刊誌に投稿していた。

 

その初の投稿作品が、12月号の「絵手紙ぽすと」というコーナーに掲載された。
これはまさに天下を揺るがす重大ニュース!(笑)   

 

そして、それを知らせる通知と図書(右の写真)一冊が送られて来た。ばんざーい。
70歳の手習い、ばんざーい。

   

 

それを目ざとく見つけた家内の友達から、「お宅のご主人凄いね!」とか言って、いくつかの電話が。
それを聞いて、私は得意満面。

 

すると、やがて私の友達からもいくつか驚いたような電話があり、さらに、80歳を超える先輩からは、きちんとした便箋の手紙まで来た。手紙には、「サザエさん夫婦が仲良くならんでいましたね。いい講評をいただけましたね。おめでとうございます。」などと書かれていて、まるで小学生の僕が先生に褒められているような気分に。(笑)

 

だが、9月からは剪定で忙しくなり、絵からご無沙汰。そして今回、投稿した作品が掲載されたことで、また絵を描きたくなってきたのだが、幸い、剪定の仕事は今年いっぱいでやめることにしたので、下手でよいので、たくさん絵を描きながら楽しめたらと思っている。とは言っても、ただの絵空事になるかもしれない。さて、運命や如何に。(笑)

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