先日、はじめて石津御岳(650m)という山へ登った。この山はあまりに平凡な感じで登ってみようという気にならなかったが、家内も一緒に行きたいというので、時間の都合で、義母をデイ・サービスに見送ったあと、一番近いこの山に登ることになった。
しかし、登ってみればやはり山は山、それなりの良さがあり、家から登山口まで45分もあれば行けて、手近で足慣らしにちょうどよく、しかも冬でも気軽に登れるというので、いい山を発見したぞという訳でちょっと嬉しい。
この山は五合目付近(500m)からの眺望と、山頂から15分ほど歩いたところにハング・ライダーの飛び込み台があって、そこからの眺望が実に素晴らしかった。ハングライダーの飛び込み台のところは、登山口で一緒になったオッサンから(わたしもオッサンだが)、どこまで行くのかと聞かれて、「登ってそのまま降りる」と答えたら、「せっかくそこまで行ったら、そこから15分ほどのところにハングライダーの飛び込み台があって、そこが素晴らしい眺めだからそこまでいくといい」と教えてくれたもの。
わたしたちはそこで弁当を食べながら、その素晴らしい絶景を堪能し、「登山口でちょうどあの男の人に会えてよかったね」「ほんとだ、会わなかったらこんないいところを知らずに降りるところだった」などと話しながら、「偶然の出会いは一つもない」ことを思い出しつつ、これも神様からの贈りもの、と有難くなったことだった。
下の写真は、お気に入りだから、思いっきり大画面にした。(笑)
知らない人にはそれほどにも感じないかもしれないが、木曽三川といわれる木曽、長良、揖斐川が合流する近辺はとても気に入っているところで、その全体を手に取るように眺められる景色は、まさに羽根が生えて飛んで行くような素晴らしい気分にさせられたことでした。(正確にいえば、肉体を離れて虚空へと広がっていく感じ)
ただ、ここで撮った写真は光線の加減か、あまり写りがよくなく、下の写真は五合目から撮ったもの。(4月23日) 写真右側が伊勢湾へとそそぐ川下、左が川上。地平線に近いあたりは名古屋市街。
下は、上の写真を木曽三川公園を中心にして切り取り拡大したもの。
Aは「背割り堤」と言われるもので、川の氾濫を防ぐため、もともとは一つの流れだったものをこの「背割り堤」で区切って、木曽川と長良川という二つの流れに分流するためにもうけられたもの。
Bも「背割り堤」で、これも氾濫を防ぐため、長良川と揖斐川の二つの流れに分流するために設けられたもの。
治水神社は江戸時代、幕府の命により、鹿児島藩がこの地域の川の氾濫を防ぐため治水工事することになり、その難工事で多くの犠牲者を出し、その工事の総奉行であった薩摩藩家老の平田靭負(ひらたゆきえ)は責任を感じて自害した。昭和の初め、地元の有志により、その平田靭負をはじめとする薩摩義士をお祭りするために建立されたもの。この工事は「宝暦治水」と言われている(1754年~1755年)。
ついでなので追加。 ≪治水神社と桜≫