12~15日と、団体参拝練成会に行ってきました。
事前の予報では毎日傘マークがついていて天気が心配されましたが、さいわい雨が降り始めたのは14日の夜からで、プログラムには何の影響もなく、14日の奥津城参拝、インタープリテーション、そして献労など、風もなく、きつい日差しもなく、最高のコンデイションに恵まれました。そして、今年も講師先生がたの素晴らしい講話を聞き、総本山の自然に触れ、祭儀に参加し、宗教行を実践しているうちに、素晴らしい4日間が、あっという間に過ぎてゆきました。そして、わたしは次のことを思い出しながら、この団参に参加していました。それはこんな話です。
9月の「講師受験者勉強会」のとき、講師会の女性副会長が次のような開会の挨拶をしました。
○皆さん、お忙しい中、勉強で気疲れしている方もおられると思いますが、いま、この勉強会に参加している自分を、どうぞ誉めてあげてください。そして、その素晴らしい自分に感謝してください。
ということを、感動的に話されていましたが、わたしはこの話を思い出しながら団参に参加していました。
そういうことで、今日は講話のなかで印象に残った話を2つ紹介させてもらいます。
○ある20歳の韓国人留学生(女性)のことですが、彼女がある病院に行きました。すると、看護婦が患者の名前を呼ぶとき、苗字しか言わないことに気づきました。そのことを奇異に感じて日本人の名前に興味を感じたとのこと(韓国では同じ苗字の人が、ほとんどの場合複数いるので、フルネームで呼ぶようです)。そして日本人の名前について調べていると、ほとんどの苗字が自然と関係していることがわかってきた(たとえば、小川、山田、入江、山川、鈴木などなど)。そして、日本人は自然に親しみ、自然を大切にする民族であることを知った。彼女はそのことに感動しながら、さらに調べているうちに、日本人の名前からある物語が浮かんできて、童話ができた。そういうことを書いた論文か、エッセイかが、その大学(だったと思う)のコンクールで優勝したとのこと。
この留学生はまだ若いのに、日本人の自分などより、よほど感性豊かな人だなあと、感動し、感心しました。そして、その童話の簡単な内容紹介もありましたが、是非、読みたいものだと思いました。
○ある、生長の家信徒でサンパウロに住むブラジル人の婦人の話ですが、この人が、タクシーに乗った。そして、自分が生長の家の教えにふれて嬉しくて仕方がなく、ほんとうにと抑えきれない歓びを、嬉しさいっぱいで運転手相手に話していた。そうしているうちに、目的地に着いた。お金を払おうとして、料金を尋ねるが、運転手はうつむいたまま黙っている。何度か呼びかけると、ようやく運転手は顔を上げたが、泣いていたらしく目に涙をためて、こう言った。じつは私はここにピストルをもっている。今日、最初に乗ってきた客を脅して金を奪うつもりでいた。しかし、あなたの話を聞いているうちに、自分が間違っていたことがよくわかりました。と言って感謝されたとのこと。
そしてこの話を紹介されたあと、先生はこういわれました。
○義務や責任感で行動しても、人を動かすことはできない。あふれるような喜びで動くとき、他をも動かすことができる。何事も喜ぶことが大切なんですね!
ということで、わたしにとっては肝に銘じたい言葉でした。
合掌す 君のいのちに
礼拝す われのいのちを
聖なるかな 神の愛ぐし児
聖なるかな 神の愛ぐし児