気の向くままに

山、花、人生を讃える

お世話になりました

2022年12月30日 | 人生

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「人間とは?」

2022年11月06日 | 人生

統一教会の問題が今なおマスコミを賑わせていのす。これは人々に宗教否定の感情を持たせるのではないかと心配しています。

今の日本の社会を見ていると、大人の諸々の不祥事や、親の子供に対する虐待、自暴自棄から他を道連れにする自殺行為、子供たちのいじめ問題など様々な問題があるが、それらは結局、人間をつまらないものだという人間観が知らず知らずのうちに心の奥に潜在しているからではないかと思う。そうでなければ、結果が判り切ったような不祥事を起こすはずもなく、親が子供を虐待する筈もなく、また子供がその仲間を社会問題になるほどのいじめをする筈がないと思う。これらの底に横たわるのは、本人は意識していないかもしれないが、

「親のセックスによって、生まれたくもないのに生まれた」

「そんな人間に生れてきた意義などある筈がない」

「死ねばすべてはおしまい」

など、無意識かもしれないが、そんな人間観が災いしているとしか思えない。
これを改善するには、制度だけの改革では効果は得られず、どうしても、『人間はつまらないものだ』とする人間観を卒業して、『人間は尊い』(人間だけではないが)という、そんな人間観をもてるようにしていく必要があるのではないだろうか。

 

そのためには、釈迦やキリストの教えが必要になると思う。
そうでなければ、子供たちから「どうしていじめはいけないの」「どうして自殺がいけないの」と聞かれても、おそらく満足に答えられる人はいないだろうと思う。現に学校の先生は子供たちからそんな質問を受けても答えることが出来ず、困っているという相談を多く受けた、とある著名人は本の中で書いている。

 

さて、以下は何年か前にこのブログに投稿した過去記事の再投稿ですが、読んでいただければ嬉しいです。

 

 

偶然、ここへ漂着したあなたへ。

わたしは若い頃、生長の家の人間観にふれてビックリし、そしてその教えに傾倒していったのですが、あなたが賛成して下さるかどうかはともかく、その人間観をごく、ごく簡単に紹介させてもらいたいと思います。

 

水道の水は蛇口から生まれて来るのではなく、ただ蛇口を通って出て来るだけである。それと同じように人間も母親から生まれてくるのではなく、それはただ通り道にすぎない。人間の「いのち」そのものは神から生まれた「神の子」です。

もし、母親が子を生むなら、「男の子が欲しかったのに、女の子が生まれた」などということがありうるはずがありません。だから、昔から子供は神からの授かりものといわれています。

よく肉体をさして「わたし」の身体(からだ)といいます。この場合、「身体」の前に「わたしの」が付いていることに注意して下さい。「わたしの」の『の』は所有格です。だから、肉体はわたしの所有物であって「わたし」自身ではなく、わたし自身は別の「何か」であることをあらわしています。その「何か」が「いのち」です。

普通、肉体の生理機構が動いているから「生きている」ように思われている節がありますが、それは逆です。いのちがあるから肉体の生理機構も動いている。「いのち」が容れ物である肉体を動かしているのであって、肉体の生理機構が動いているから生きているのではない。だから「いのち」の容れ物である肉体を「カラだ」といい、いのちが去った肉体を「なきガラ」といいます。

人間の本質は無形の「いのち」そのものであり、「いのち」は「いのち」からしか生まれず、その「いのち」の本源を宗教では「神(仏)」と読んでいます。

 

○あなたは、あなた自身が今考えているような価値なき、つまらない者ではないのである。あなたは“物質”ではないのである。また肉体でもないのである。“生ける霊”なのである。“わたし”の分身なのである。分身というと本体から分離してしまったように誤解してはならない。あなたは“わたし”から永久に分離することのできない存在である。“わたし”は普遍的存在であるから何処にもあり、あなたの内にも住む。あなたの内に“わたし”は常に居り、あなたもまた“わたし”の内に常にある。
                        生長の家創始者 谷口雅春先生著 『神真理を告げ給う』より

 

この記事は統一教会を弁護するものではありません。  参考 インチキに誤魔化される勿れ

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日々いろいろ

2022年10月05日 | 人生

下の写真は道端に投棄されたテレビのブラウン管と洗濯機で、ブラウン管は気がついたのは今年の初めだが以前から放置されていたようだ。そして洗濯機は今年の7月に新たに投棄されたもの。このまま放置しておくわけにもいかないので、これらを写真に撮り、役場の住民課に行き、その写真を見せながら話をすると、場所を地図上で確認し、「環境衛生課で対処させていただきます」との返事でした。

そして、3日後にゴミ拾いをしながらその放置してある方へ歩いていくと、既にブラウン管も洗濯機も片付けられていて、本来のスッキリした姿に戻っていて、私の心までスッキリして。大感謝でした。

 

下の絵はどちらも模写したものだが、栗ご飯の方は、茶碗の模様が乱雑になってしまったが、栗をたくさん持ってきてくれた友達に出しました。

  

プーチンさんに、全く意味のない戦争に駆り出されるロシアの若者たちの気持ちを思うと、同じ男子として他人事ではない気持ちになるのだが、こんな絵を描いているとよい気分転換になって有難い。

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人生、笑って行こうぜ!

2022年09月07日 | 人生

散歩していたら、早くも彼岸花が咲いているのを見つけた。
先日はコスモスと、夏の名残の真っ赤なカンナが並んで咲いていて、花の饗宴の如くであったが、今日見た彼岸花は一輪だけ草むらから頭をもたげ、ひっそり咲いているという感じだった。

 

さて、下の絵手紙は友達から来たもので、思わず笑ってしまうユーモアあふれるものなので、紹介させてもらいます 。

             

 

次は、わたしがネット上で見つけて気に入り、人生、どんな時にも笑って生きていきたいものだとの思いで模写したもの。

桃の方は、友達が趣味で栽培していて、その収穫したものをたくさん届けてくれたので、その礼状として描いたものです。ずいぶんヘタクソな字と思われるでしょうが、ヘタクソがいいんです(笑)。

      

 

何はともあれ、人生、有り難いことばかり。感謝!!

ありがとうございます。

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父よ、母よ

2022年09月01日 | 人生

芭蕉の句で「父母のしきりに恋し雉の声」というのがあるが、私も、自分が子供の頃の父母が脳裏に浮かんできて、懐かしく思い出すことが多くなった。それで、ちょうどよい絵があったので、それを模写し、「父よ、母よ、ありがとう」という言葉を添えた。

それを見ていると、本当に父母にこれを届けたい気持ちになってきた。

       

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この驚きの事実

2022年08月06日 | 人生

先日、放送大学チャンネルのある番組を録画したものを見ていたら、その講義の中で教授がこんな話をしていました。

○水素はビッグバンの時につくられた、これだけです。ここで強調しておきたいのは、私たちの体の中には138億年前につくられた水素がたくさんあるということです・・・・と。

 

水素は一個の原子核の周囲を一個の電子が回転しているという一番単純な元素で、138億年前のビッグバンの時、最初につくられた元素であることは知っていました。しかし、その後も水素はつくられているとわたしは思っていた。ところが教授が言うには、すべての水素はこのビッグバンの時につくられている。だから、今私たちの体の中にある水素は138億年前につくられたものだ、というのだから驚きました。いやあ、自分の身体の中に、138億年前に創られた元素があるというのですから、凄いですね~。

 

ついでに書かせてもらいますが、私たちの身体には窒素、炭素、リンなども多く含まれていることはよく知られています。それらは元はと言えば、太陽の中の核融合反応によって作られたもので、その太陽が寿命を迎えて爆発すると宇宙に飛び散る。その時に飛び散った元素たちが、巡り巡って私たちの身体となっている。だから、文字通り我々人間は星のかけらで出来ている「太陽の子」であり「星の子」であると、天文物理の先生は言います。

 

いやあ、それにしても、宇宙にあるものは皆どこかで繋がっていて、バラバラのものは何もないんですねえ。

 

   

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ウオーキングとゴミ拾い

2022年06月11日 | 人生

私はできるだけ毎日1時間ほど歩くようにしているが、そのついでというわけで、風の穏やかな日には、ゴミ袋とゴミをつまむ道具を持ち、ゴミ拾いしながら歩いています。

 

3日前、ゴミを拾いながら歩いていると、若いおかあさんが寄ってきて、「すみません、クマのキーホルダーが落ちていませんでしたか?」と声をかけられた。クマのキーホルダーなら先ほど拾ったばかりなので、「あ、ありましたよ」と言いながら、ビニール袋の中から取り出すと、「あ、それそれ、良かったあ。どうもすみません、子供が電話をしてきて、探してきてというもんですから・・・」といって、喜ばれた。私は私で、落とし物ではないかと考えもせず、すぐごみ袋に入れてしまったのだが、子供の大切なものをゴミにしてしまわないで良かったと喜び、ちょうど良いタイミングで出会えたことに感謝したことでした。

 

また、昨日は、私より少し年配らしいおじさんが赤い花をじっと見ていたので、私が「こんにちは」と挨拶した。すると、「これ、きれいな花だねえ」とさも感心したように言う。私はこの時、ちょうどカメラをぶら下げていたので、せっかくだからとその花(タチアオイ)を写真に撮った。そして、「この花は植えられたものか、それとも一人生えだろうか」「そういえば、今まで、ここに咲いているのを見たことがないねえ」などとしばらく立ち話をしたあと、自然と並んで歩き始めた。少し歩くと、ゴミが落ちていたので、それをわたしが拾う。するとそのおじさん、さも驚いたように、

「あんた、ゴミを拾っているのか」というので

「あ~、歩くついでだからね」

「いや、そんなことを思いつく人なんかいないよ」としきりに感心する。そして

「あんた教師か」と聞く。

「いやいや、ただの人だよ」といって笑ったのだが、

「あんた教師か」と言われたのがおかしく、何故かうれしくもあった。

                     

ということで、最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

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花の絵でも描いてみたら・・・

2022年06月01日 | 人生

一昨年の今頃の時期、何となく絵手紙が書きたくなり、ブログの中にあった簡単な紫陽花の絵を見つけ、これなら描けそうと思い、昔買った水彩色鉛筆で描いた。そして、せっかく描いたからというので、友の誰かにその絵手紙を出したくなった。それで、絵に短い文章をつけ足してポストに投函。

送られた友はどんな反応をするだろうか、想像すると楽しかった。それが下の絵手紙です。絵も字も、まるで小学生低学年並みだが、これが記念すべき初めての絵手紙でした。 (笑)

     

で、これを見た彼氏、「ん、俺にはこんな女(ひと)いないがなあ・・・」と不審に思いつつ、差出人を見たらしい。私はそれを聴きながら「いたずら成功」と、喜んだ次第です。(他愛のない話ですみません)

 

あれから2年、昨日は家内の友達が、枇杷をもってきて、私に「これを書いて」というのだった。
こうして私などに初めてのリクエストが来ました。本来なら「とんでもない」と辞退するところでしたが、せっかくの乙女(笑)からのリクエストだからと思いなおし、恥ずかしながら、描きあげたのが下です。

       

最初に描いた紫陽花との差は歴然で、これでも、「我ながらうまくなった」と悦に入っている次第です。そして写真を撮ったあと、さっそく「うれし、恥ずかし」の気分でポストに投函したのでした。(他愛のない話ですみません)

 

しかし、とは言っても、「俺は強いんだぞ」と多くの人々を苦しめ、悲しませておきながら、自分の心は一つも傷まないらしい「あの人」には、下手でもいいからお花の絵でも描いてみたらどうかと勧めたくなるのです。あるいは、お国の民謡をピアノの伴奏に合わせて歌うとか・・・。そうやって少しは人間らしい心を取り戻し、ウクライナに早く平和が戻ることを願う次第です。

他愛もない話を最後までお読みいただき、ありがとうございます。

 

後記
2ヶ月も空白のままにしているのに、投稿記事に「いいね」をいただき、心より感謝申し上げます。
ありがとうございます。

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嬉しい、有難い

2022年05月30日 | 人生

「嬉しい、有難い」ばかりの気持ちになりたいと思いつつ、今日も青年は頑張っています。笑、笑、笑

     今日の一日が有難い。

     目が見えて有難い。

     耳が聞こえて有難い。

     言葉を話せて有難い。

     字も、絵も書けて有難い。

     紙もペンもあって有難い。

     おいしく食べれて有難い。

     いろいろな野菜、穀物、果物が有難い。

     自由に歩ける足が有難い。

     ものごとを考えられて有難い。

     空気が有難い。

     空が、大地が有難い。

     木々の緑が有難い。

     色とりどりの花が有難い。

     鳥たちが囀り有難い。

     妻が有難い。

     子供や孫が有難い。

     数えればきりがない。

     有難いことばかりに囲まれている。

     ああ、嬉しい!

     ああ、楽しい!

     ああ、有難い!

          

           

                     

     (絵はすべて模写です)

 

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笑っていれば良いのじゃよ

2022年01月12日 | 人生

花屋さんの店先にある花を見ると、その色彩の美しさに目を見張る。
このように実物の花が美しいのはもちろんだが、上手な人が描いた絵手紙の花の色彩の美しさにも目を見張る。
そして、自分も真似して描いてみる。色彩の美しさには癒し効果があるのだろうか。

描きあがれば、下手だなあと思いつつも、何か嬉しい。

   

 

   

先日、家内の誕生日があった。
そしてきれいな雪の中の椿の絵があったので、これを描いて、
誕生日祝いの花に添えたら喜んでくれると思って描いてみた。(上の右の絵)

 

 

元の絵が良かったので、自分もこの大黒さまのように、いつも嬉しそうな笑顔で
いたいものだと思いつつ・・・。

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涙こぼれそうな話

2021年10月05日 | 人生

私が尊敬している絵手紙教室の先生(Tomoyo Kanemoto)が、Facebookに毎日絵手紙と日々感じたことを書いておられ、それがとても素晴らしいので、私は毎日楽しみに見せてもらっています。そして今日はまた特別に感動し、わたしまで涙がこぼれそうになりました。そんなわけで無断ですが、ここにも紹介させていただきたく思います。以下はその今日の文章をそのままコピーしたものです。

 

        ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 

昨日の朝 久しぶりに両親に電話しました。

「お母さん 産んでくれてありがとう 」って言ったら テレ屋の母は

「生もうと思って生まれたわけじゃない 勝手に生まれてきたんや」だって

「私 幸せだから ありがとう」と伝えて

お父さんと代わりました

全然照れ屋でない父は いつでも「智代愛してるよ」とか平気で言います

「お父さん 私を生ませてくれてありがとう」 って伝えました。爆笑

「私 お父さんとお母さんの娘に生まれてこれたこと 本当に幸せで有り難いと思ってる」って

そしたらね 父の 苦労話

中学生の頃は 午後から授業に出たことは無かったって 戦争からボロボロになって帰ってきた父親が病の末亡くなり 母が坐骨神経痛で寝たきりになり 幼い弟と妹を食べさせないといけないから朝は4時に起きて薪でご飯を炊いて お味噌汁は作っていたそう

昼までで学校を早退するのは母親のおしめを替えるため それを川まで行って洗う 家は貧乏で貧乏で 親戚中も遠のいて 理不尽なこともいっぱいあったのだとか

中学生の男の子が一家を支え 誰も頼れないなんて 

いつも聴いている話だけど 中学生の男の子が母親のおしめを川で洗っているところを想像したら 涙が出ちゃった

あの頃は もう死んでしまった方が楽だと 何度思ったか と話す父

「あの時 死を選んでいたら智代はこの世には生まれてなかったから 頑張ったから良かった」って

久しぶりに父と長電話をしました。

そういう父の苦労があったから 今の私が居るんだなぁ〜 って しみじみね

そんな誕生日

午後からは 灘の絵手紙教室で 皆んなにそんな話をして 絵手紙の折帳を観せました

                                                                           (以下省略)

 

お父さんが中学生の時、午後の授業を受けたことがないというところを読んだとき、私はてっきり「あ、お父さんはおさぼりの常習犯で、昔は悪ガキっだったんだな」と思ったのですが、それとはまるで違った話で、本当に驚き、「こんな苦しい日々に負けることなく懸命に生きて、こんな素晴らしい(厳しい)人生を歩む人もいるんだ」と、本当に感動させられました。そして、「この親にして、この子あり」ということを感動しながら感じさせられたお話でした。

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俳句の思い出

2021年02月17日 | 人生

船会社は多分どこも似たようなことをしていると思いますが、文化費が会社から支給され、その文化費で月刊誌や週刊誌を毎航海毎に購入し、それを航海中に皆で廻し読みをしていました。

 

わたしが船会社に就職して4年目、4度目の乗船の最初の航海でしたが、出港して1週間ぐらいしたときのこと、8時から12時の4時間の当直を終え、それから昼食をいただき、くつろいだ気分で自分の部屋のソファにもたれ、回覧されてきた月刊誌のページをペラペラめくり、何気なく文芸欄を読み始めました。

 

すると、その文芸欄には万葉集か、古今和歌集か覚えてませんが、「あかあかと」という形容詞が複数の歌に使われていることや、その「あかあか」とはどんな感じかということに触れ、そのあと、芭蕉の「あかあかと日は面難(つれな)くも秋の風」という句が紹介され、言葉は同じ「あかあか」でも、ニュアンスが違うということが説明されていました。

 

その「あかあか」のニュアンスについてはともかく、わたしはこの芭蕉の「あかあかと日は面難(つれな)くも秋の風」を読んだというか、目に入ったというか、その瞬間に、意味も何もわからないのに、いきなり脳天をハンマーで叩かれたような衝撃を受け、真っ暗になった脳裡の中に芭蕉の横顔が見え、その芭蕉は山の斜面を黙々と歩いていました。傾きかけた秋の日差しがその横顔を照らし、その横顔は如何にも「内に激しさを秘めた」と云う感じで、赤く染まっていました。

 

ふと気が付けば、太陽から凄い気迫がほとばしり出ているのにびっくりし、心配するような感じで「芭蕉は?」と芭蕉に意識を向けると、芭蕉は少しもその気迫に負けてないで、物凄い気迫で太陽からの気迫を跳ね返していました。しかし、太陽はただ照っているだけですし、芭蕉も静かに黙々と歩いているだけです。その静かな中にも、目に見えない気迫が迸り、ぶつかり合っていて、その気迫に打たれたとき、自分の中の血流が一瞬脳裡に見えたかと思うと、今度はいきなり海の大波となって私に押し寄せてきました。あまりのことにビックリし、思わず「何事だっ!」と心の中で叫びながら前方を見ますと、エネルギーか気迫の象徴のように大波が次から次へとウワ~ン、ウワ~ンと唸りを上げ押し寄せて来ます。それは、実際に実物以上のリアルさでした。その大波に、ソファに座った上半身を前後に揺さぶられながら、私はただ茫然自失。なすすべもなく、ただ呆気にとられ、成り行きを見ているだけでした。

 

やがてその大波もおさまりましたが、私の中の血流は寄せては返す漣のように、余韻の如く、打ち震えるように、いつまでもひたひたと波打っていました。そして1ヶ月ほどは、「どうしてこんなことが起こりうるのか」と不思議でならず、「不思議だ!不思議だ!」の思いが湧くばかりでした。

 

昔から、「狐に化かされる」とか、「狸に化かされる」とかの言い伝えがありますが、私の場合は「海坊主」に化かされたのかもしれません。しかし、こんな経験をさせてもらえるなら、何回でも化かされてみたいものだと思います。

 

その2航海後だったか、俳句とは何かを知りたいと思い、せっせと俳句の本を読んでいて、芭蕉の面影を追うように、無性に秋の山に登りたくなっていました。そして、サンフランシスコ郊外の港に着いたとき、10月の始めだったと思いますが、そこから見えた200か300メートル位の低い山に、道に迷わないだろうか、予定の時間までに戻れるだろうかと心配しながら、夢中になって登ったのですが、これも記憶に残る思い出です。 

最後まで読んで頂きありがとうございます。

 

【後記】
ややこしくなるので詳しいことは書きませんが、「不思議だ、不思議だ」と言っていたときに、時たま掲示板に貼り付けられていたカーフェリーからの「高級船員募集」との貼り紙を見て、急にカーフェリーに変わろうという思いになり、即決し、洋上から無線電話でフェリー会社へ応募しました。そして、なんなくカーフェリーに転職することができ、その半年後に婚約し、さらにはその半年後に結婚しました。
それまで、特別な事がない限り、その船会社を辞めるつもりはなかったので、まさに運命の急展開と言える出来事でもありました。

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番組「スピリチュアル・ジャパン」を見て

2021年02月03日 | 人生

昨日、テレビの番組欄を見ていて、BSⅠの「スピリチュアル・ジャパン」という放送があるのを見つけたので、録画して見ました。昨日は節分にちなんだ「鬼」をテーマにしたものと、「雪」をテーマにした、それぞれ30分の2回の放送でした。

 

その内容は、日本にいる若い外国人男女の二人が、外国人の立場から日本人は「鬼」を、あるいは「雪」をどのようにとらえているかを現地取材しながら日本人のスピリチュアルな面を探求していくという、そんな番組で興味あるものでした。

 

「鬼」については東北地方の取材で、恐ろしく忌み嫌うべきものというイメージではなく、親しみをもって捉えられていることや、さらにはその家の守護をしてくれる守り神として祭られている地域もあり、守り神というそんなとらえ方まであることが紹介されていました。(外国にも鬼がいるそうだが、怖いものとしてとらえられているらしい)

 

そして、何故豆なのかと質問した時、あるお寺の坊さんが「豆(マメ)」は「魔滅(マメツ)」の意であると答えていて、「あ、なるほど~!」と思った事でした。

 

そして道行く人に「あなたにとっての鬼とはどんなものですか?」というような質問を数人にしていたが、全員が「鬼は外にいるのではなく、自分の内に住む魔」という意味で答えていました。

 

このように誰でも自分の内に魔(鬼)がいると思うのですが、この魔とどう向き合っていくか、ある意味では、対人関係以上に難しいかもしれませんね。親鸞聖人のような人でさえ「煩悩具足の凡夫」とか、「心は蛇蝎の如く」と嘆いていられるし、西洋ではあのパウロも同じように嘆いているとのこと。

 

しかし、こんなふうに嘆いている親鸞やパウロが何故民衆に説教などしたのだろうか。
この人たちは、その内に住む魔を嘆いてばかりいたのではなく、「魔」のさらなる奥には「聖なるもの」があることをはっきりと見抜いていたのではないだろうか。
親鸞上人は「善人なおもて往生す。増して悪人をや」と説いているし、
イエス・キリストも「幸福なるかな、悲しむ者。その人は慰められん」と教えている。

 

もう一つのテーマ「雪」の方も、その取材地は雪国、即ち東北でしたが、こちらは「かまくら」が紹介されていました。沢山の小さい「かまくら」にはロウソクが灯され、とても幻想的でしたし、大きな「かまくら」では子供たちがその「かまくら」の主(あるじ)となり、訪れる客たちに「中に入ったんせ」と声をかけ、餅を焼き、甘酒や焼いた餅をふるまったりしていて、まるでおとぎ話を見るようでした。

 

子供の頃、正月に遊ぶカルタには「かまくら」の絵があり、「かまくら」の中に入ってみたいと憧れたものでしたが、そんな取材をしながら、雪国の人たちは、雪を恐れるのではなく、雪と調和した生活を営み、雪を神聖なものとしてとらえられていることが紹介されていました。

 

こんな番組を見ていたら、「雪の結晶」に関する好きな文章を読みたくなり、抜き書きしていたものから検索したところ、次の4つが掛かってきたので掲載します。

 

○雪のひとひら以上に完璧なものを見たことがあるだろうか?その精妙さ、デザイン、対称性、一つ一つが雪の結晶としてあるべき姿を保ちながら、同時に個性的でもある。まさに神秘的ではないか。あなたがたは、この自然の驚くべき奇跡に驚異の念をいだくだろう。雪の結晶についてこれだけのことができるわたしなら、宇宙についてどれほどのことができると、あるいはできたと思うか? 

 

○いいかな、わたしはすべての花であり、虹であり、空の星であり、すべての星をめぐるすべての惑星上のすべてだ。わたしは風のささやきであり、太陽の温かさであり、それぞれが信じられないほど個性的で、しかもこの上なく完璧な雪の結晶のひとつひとつだ。

 

○なぜ、同じ雪の結晶が2つないのか?それは、不可能だからだ。「創造」は「コピー」ではないし、2つとして同じ雪の結晶はないし、同じ人間はいないし、同じ考えはないし、同じ関係もないし、同じものが2つ存在することは絶対にない。宇宙は――そしてその中のすべては――単数でしか存在しないし、同じものは他にはないのだ。          
                                  以上はニール・ドナルド・ウオルシュ著『神との対話』1~3巻より

 

○あなたは雪の結晶だ。生命を表現するために完璧な、この世に二つとない個性をもって、神の世界から舞い降りてきた。地上に着くと、あなたと同じように息をのむほど美しい個性をもつほかの者たちと一緒になって、より大きなスケールで美しい景色をつくりだす。やがてあなたは形を変え、一つに溶けあい、小川をさらさらと流れていく。そして、天へと昇っていき、消えてしまう。(あなたはそこにいるが、ただもう目には見えないのだ)あなたはこうして、来たところへ帰り、再びサイクルが始まる。雪の結晶の旅は、魂の旅の完璧なたとえだ。   ニール・ドナルド・ウオルシュ著『10代のための「神との対話」』より

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聞いて嬉しくなる話

2021年01月06日 | 人生

去年の暮れ、生長の家の研修会で発表する機会を得たが、私の前に発表したAさんの話が良かったので、その話を紹介させてもらいます。

 

Aさんは「人間神の子といっても、いろいろ問題が起きて来ますとね、どうしても神の子を忘れる時がありますね」と言って、つい最近にあったという次のような話をされた。(以下は凡そのあらすじです)

 

彼女の娘さんは体調がすぐれず、自分に自信が持てないらしく悩んでいたので、Aさんは日頃から生長の家の教えを知らせてあげたいと思っていたので、生長の家の練成道場の研修生になることを薦めた。すると娘さんは切羽詰まっていたのか、「行くよ」と、素直に応じてくれて研修生となった。

 

ところが2ヶ月半の研修予定も残す所10日となったとき、一向に変化がないことにいら立ち、焦りを感じた娘さんから、研修生になることを薦めたお母さんを電話で非難し責めてきたとのこと。
しかし、次の日の夜にまた前日とは打って変わった様子で電話があり、その時のことをAさんは次のようにお話しされた。

 

○その時、娘は「おかあさ~ん、生んでくれてありがとうね~」と言ってくれたんです。「どうしたのかな」と思っていると、「お母さん、やっとわかった!やっとわかったんだよ~」と言ってくれたんです。それで30分ぐらい泣きながらお互いに心の底から話が出来まして、その時に、娘も本当に神の子なんだと気づかせてもらうことが出来ました。

 

とこのように話され、それからしばらくして娘さんは研修から帰ってきて、次のように話したという。

 

○「自分が信じられず、マイナスの感情に捉えられ希望が持てなかったが、真理の言葉を繰り返しているうちに自分の中に強い気持ちが湧いて来て、やっと人間は「神の子」ということが信じられるようになった」とのこと。

 

そして、今は毎日「ありがとうございます」という言葉を何回も繰り返し唱えているという話であった。すると、他の家族にもその言葉が伝播して孫まで「ありがとうございます」というようになり、お父さんも、「御飯ですよ」と呼びかけると、「ありがとうございます」との返事が返って来るようになったとのことだった。

 

そして、「このように一条の光が射せば、すべての暗闇が消えて明るくなる」という話をされたのでした。

 

わたしも堕落して立ち直れずにもがいていた時があり、生長の家の「人間神の子」の教えに触れて感動し、立ち直れた一人なので、このような話を聞いて、また感動がよみがえり自分のことのように嬉しくなったのでした。

 

そして、70歳を超えた今も、次のような文章に接するたび、気持ちがうれしくなり、また鼓舞されたりで、
明るく前向きな思想に出会えたことを有難く思っている次第です。

 

○高き理想、気高き感情をつねにもつことは若さをいつまでも保つ上に異常の効果があるのである。心が常に向上精神に燃え、いっそう高きもの、いっそう清きもの、いっそう天的なものに憧れるかぎり、その人の心は老いず、その人の心が老いないかぎり、その人の肉体は老いないのである。

 

○人間はそのまま神の子であり、仏である。魂を磨くと磨かぬとにはかかわらないのである。
しかしそれを磨くのは、その神の子、仏性を人生に実現するためである。
本来神の子であるから、神の子らしく実現したとき喜びを感ずるのである。
                 
                             (谷口雅春著『生命の実相』より).

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変な爺さん

2020年12月15日 | 人生

以下は私が40代後半ごろの話です。

 

それは岐阜県美濃地方の山に登り、その帰りに喫茶店に入ったときのことです。
店に入ると、中は煤けたように薄汚れていて、客はわたし以外には誰もいませんでした。とは言え、私は気にもしないでコーヒーを飲みながら山の地図を広げ、今登って来た山を思い出しながら登山の余韻を楽しんでいました。

すると、そこへ一人の老人が店に入ってきました。手拭いを首に巻き、さも畑仕事から帰ってきたような姿でした。
私はとっさに「薄汚れた店に、薄汚れた老人が入ってきた」と思いました。
一瞬視線があったかと思うと、やけに親しそうにニコニコしながら近づいてきて、「何かな?」と思いながら見ていると、
私のところまで寄って来て、その向かいの席に座ったのでした。まるで友達と待ち合わせでもしていたかのように。
私は「他に席はいくらでも空いているのに、何よこの爺さんは!」と呆れながら爺さんの顔を見ました。

 

しかし、お爺さんはニコニコとさも親し気に私を見ています。

それは、まるで少し前の記事でアップした幼児の笑顔とそっくりです。

 

それでも私は「楽しみな時間を邪魔されてはかなわない」と思い、無視を決め込んで視線を地図に戻します。

しかし、「それにしても、きれいな目をした爺さんだなあ」とその目が気になります。
「いやいや、余韻を楽しむために店に入ったんだから、楽しみな時間を邪魔されてはかなわない。無視、無視」
と、地図に神経を集中しようとします。――お爺さんが話しかけたそうにしているその視線を感じていたので。



しばらくすると、案の定「どこかへ行ってきたんですか?」と、ニコニコ話しかけてきました。
本当に親しげで、幼児のような柔らかで澄んだ目でした。
しかし、その時は邪魔をされたくない一心ですから、これ以上話しかけられたくないというように、
「はあ、山へ行った帰りです」と、そっけなく答えました。

そして視線を地図に落とし、集中しようとしたのですが、お爺さんの目が気になって集中できませんでした。



仕方がないとあきらめて、残っていたコーヒーを飲みほし、席を立ちました。
そうしたら、なんと、なんと、そのお爺さんも私と同じようにコーヒーを飲みほして席を立ちました。
わたしは驚きながら「なに?この爺さんは」と、思いました。
「変な爺さんだ」と思いつつ勘定を済ませ、外へ出て50CCのスクーターにまたがりました。



ヘルメットを頭にかぶっていると、少し遅れて出てきた爺さんも、またまた、ニコニコと楽しげに隣の50CCにまたがるではありませんか。まるで、それはお茶目をしているようでした。そして、また同じようにヘルメットをかぶりました。
私もついお可笑しくなり、ついに「お爺さん、元気で良いですねえ」と私から話しかけました。

爺さん:わしゃー、これでも83になるわね。いまゲートボールをやってきた帰りだわ。
わたし:へぇ~、83ですか。とてもそんな年には見えませんねえ。よくゲートボールをするんですか?
爺さん:毎週2回やるんだけど、これがわしの楽しみだわ」と、ちょっと照れたように言いました。
わたし:そうですか。・・・・・じゃあ、どうぞ元気でやってください。
爺さん:ありがとう、あんたも気をつけて帰りなさいよ。
わたし:はい。さようなら。

というわけで、そのおじいさんと別れました。

これだけの話で、まるで夢の中の一齣のようですが、是非またいつの世でかお逢いしたいと思っています。

と、言うわけで、この日のことが無性に懐かしいという話でした。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

コメント (2)
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