
東京ミッドタウン(東京都港区)
こんにちは。
今日もありがとうございます。
誰だって人間である以上、
わざわざ人を傷つけたり、悪く思われたいとは思わないものです。
しかし現実には、自分の制御がなかなか利かず、
つい汚い言葉を吐いたり、不誠実な態度を取ってしまうことがあります。
そしてまた、嫌な感情を自分で抱え切れなかったということで、
ある人は自己嫌悪に陥り、
ある人は悪い気分を引き出したであろう相手を引き合いに、その人を責めたりするわけです。
いずれにせよ、「自分を制御する力」というのは、
自分だけでなく他人の幸せを左右する、
重要な資質の一つであることは間違いありません。
さて。
どんなものを扱い誰と接するにしても、
「愛情をもって接する」ことが出来るかどうかが、
幸福感を決める気がします。
「愛情」という言葉はいろんな定義をされるものですが、
私は「その物や人の価値を見る」ということだと思います。
「価値を見る」というとすごく冷たく聞こえるものですが、
結局のところ、私達は物や人に価値を感じればこそ、
それだけ大切にしたり、力を惜しまないものです。
要は、価値と言っても「打算」なり「資産価値」といった「目に見えたり、比較が易しいもの」ではなく、
「どれだけ心を動かされるか」という感情の話なのです。
そして、大切なものであれば当然、多少厳しくても大切にしようと手を掛けるものですし、
あるいはまた、自然により良くしようと思えるわけです。
こんな気持ちが人を、幸せを大きくするのではないでしょうか。
私は別に恋愛論をお話ししたいのではありません。
「愛情をもって接する」ということを基準にすれば、
苦労なり疲労なり、負の感情はプラスに転換できるし、
その状況に対する正解を見つけやすいと言いたいのです。
もちろん、綺麗事ではあります。
毎日を生きていれば、そうそういつも自分を上手く制御できる位、余裕でいられるということはありません。
あるいはまた、余裕でいられる尺度だって、
環境が環境であれば、如実に変わってくるもの。
だからこそ、私達は先にお話しした「愛情のない行為」に走ってしまうのです。
どんな行為がどういけないのか、そんなものはジャッジのしようがありません。
ただし、余裕がなくなった場合、「愛情をもって接しようとしたか!?」という意思そのものが問われてくるのだと私は思うのです。
愛情からか、悪意があってか。
なるべくなら悪意は排除したいものです。
愛情から思考し、行動を起こしたほうが、
前向きな答えが浮かびやすい気がするのですが、
いかがでしょうか!?