青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

冬至の柚子

2010年12月22日 23時15分49秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 今日は冬至、一年で最も昼が短い一日らしいです。
 それでまあ、「柚子で抵抗力を付けましょ」というコトで、
 柚子をお風呂に入れる日本古来の風習が出来たとか。


 クリスマスカードの宛名書きもラストスパートだし、
 ちょっと暖まってきます。

駒大優勝だ!!

2010年12月22日 18時09分46秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 もうすぐ年末、そして年始です。
 …つまり、恒例の箱根駅伝の季節。

 毎年「気にしない」と言いつつ、母校が勝つとやっぱり嬉しがっちゃうんですよね(笑)
 応援する大学が取り立ててない皆さんは、
 ゼヒ駒澤を応援してあげて下さい((o(^-^)o))

「短所」と「愛嬌」。

2010年12月22日 11時29分44秒 | 青裸々日記。
宮ヶ瀬湖(神奈川県愛甲郡清川村)

 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 「人間誰しも、短所はあるものです。恥じることはありません」
 「短所は長所に通じます。短所を活かしたほうが、ずっと魅力的になれますよ」

 誰が言い出したのかは知りませんが、
 こういうアドバイスって罪作りだと、私は勝手に思っています。

 性格についての読み物って、だいたい2つのパターンに分かれると思うんです。
 ・自分の性格に嫌気がさした人
 ・人間の性格について研究や造詣を深めたい人
 こんな人がほとんどだというのが、実際のところではないでしょうか。
 このうち「性格を学問したい人」なら、別にアドバイスなんて要らないわけで、
 「自分の性格、もっと言うと短所が手に余っている人」こそが、アドバイスを求めたがるわけです。
 しかし、ふさぎ込んでいたり、自分の制御が利きにくい時、
 「短所を活かす」とか「短所を改善する」とか言われたって、
 そんなのは絵空事でしかないのです。
 教本だけで車が運転できるなら、車に「免許」なんて必要ないわけで、
 「自分の性格が嫌!」と言っている人に理想論を並べ立てたところで、
 生真面目に短所を「披露」して、余計に痛い目を見るのが関の山です。
 人間の自己嫌悪と不器用さって、どこか比例関係にある気がするんですよ、私の推察ですが。


 さて。


 「人間誰しも短所はある」というのなら、
 好感度や弊害もみんな等しく同じになるハズなのに、実際は差が出てしまうのは、一体なぜでしょうか!?
 危険物は「取扱注意!」の札を取り付けて、周りに漏れたり影響がしないようにして運び、
 それなりの場所で処理しますよね。
 人間の短所も「扱い方次第」で、
 実は「危険物」の取り扱い方と同じような処理をすれば、
 人に被害を与えず、それだけ評価を得ることが出来るわけです。


 さて、皆さんは目上の人と接する場合ほど、
 「遅刻」や「言葉づかい」、「食べ方」には気をつかいますよね。
 たとえ「普段から遅刻癖があって言葉は乱暴、食べ散らかしなら天下一品」という人でも、
 なるべく失礼がないように、なんとか取り繕うわけです。

 では、どうしたら「取り繕い」に成功できるでしょうか!?
 …もうお分かりだと思うんですが、
 無礼や失礼を減らすためには、自分の「粗」を認め、ハッキリ認識することです。
 そしてまた、「エヘヘで済まされる場面」と「済まされない場面」をかぎ分けることも大切。
 要は「自分の弱点」と「TPO」がわかっていれば、
 それ以外はラクにしていてよい
ということです。
 少し抽象的になってしまったので例を出すと、
 ダーツが下手な人がいたとしましょう。
 下手過ぎて、「ダーツが苦手なキャラ」として仲間からはむしろ好かれている。
 しかし、その人が何かの間違えで緊張を強いられるプロの大会に出場したら、
 いくら愛嬌たっぷりに失投をしても、
 クスリともされませんよね。
 本人も本人とて「下手な自分を笑い飛ばせる余裕」など、
 もはや持ち合わせる術はないと考えるのが自然です。
 逆に言えば、そのプロの大会でなんとか見劣りしない戦績さえ残せれば、
 普段はいくら「ダメキャラ」を演じてもなんら問題はないし、
 「本人の愛嬌」として受け取られる確率だって、グッと上がるわけです。


 こういうわけで。

 短所は短所とて、許される場面と許されない場面がある、
 そのためにはボロを隠すように、しっかり粗を把握しておく、

 こういった考え方を身につけておく必要があるのです。
 「短所」を「愛嬌」に変えられる人は、押しなべてここがよくわかっているものです。

 短所はその量や内容よりも、自己把握と扱い方が運命を分けます。
 たった一つの短所のためにみすみすチャンスを逃す人もいれば、
 短所だらけに見える人でも好かれる人もいます。


 短所なんて、誰だって欲しくはないもの。
 しかし、人間である以上、短所とだって付き合っていかなければなりません。
 その付き合い方が問われるのです。

めっっちゃオモロイ!!

2010年12月22日 00時47分18秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。


 
 この記事を、大阪弁にしてみました↓↓

 ◎ ◎ ◎

 こんにちは。
 今日も皆はん、ありがとうおます。



 脳に関するお話。

 「毎日なにかしらの形で、必ず言葉に触れとる」ちう方が大半だと思うで。
 脳はもちろん、言葉を咀嚼(そしゃく;かみ砕いて採り入れること)して物事の理解をするわけやけどアンタ、
 実は、人間の脳には押しなべて弱点があるちうワケや。
 それは、「主語」と「否定語」ちう概念がないちうこと。

 わかりやすく例を挙げてみまんねん。
 ・わいが食べた昼ご飯はおいしくなかった
 ・サキはんが食べた昼ご飯はおいしかった
 この2つ、まるっきし別の文章やないやろか。
 …でも、脳的には「ご飯はおいしかった」ちう理解になるそうだ、ちうことなんやね。


 さて。

 この学説なり脳科学なりって、結構いろいろと紹介や推奨をされたりしていますわ。
 やからこそ、
 「否定語はやめまひょ」
 「お願い事は具体的に」
 こないなアドバイスがいろいろな場面でなされるわけやけどアンタ、
 わいはふと、思ったんや。


 ☆ ☆ ☆

 わい自身が異常に苦手なんやけど、
 「口の悪い人」とか「言葉の選び方が合わなかったり、汚い人」って、
 どこに行ってもいるやないやろか。

 もちろんそないな人を見て反面教師にしたり、
 せやなかったら関係は最小限に留めて、必要以外は無視を決め込むのは、
 不愉快であればあるほど、ごく自然なことや。
 後述しまっけど、もし「器の大きい人になりたい」ちう理想があるにせよ、
 そないな人に真正面からぶつかるのは、実は得策ではおまへん。


 話を戻しまんねん。
 「「口の悪い人」には、好き勝手言わせておけばよい」ちう考え方は、なんのいわれもおまへん。
 気に入りまへんことに不必要に意識を向けることはないちうわけや。
 せやけどダンさん、「脳の性質」を考えた場合、
 「口の悪い人」と「主語や否定語を理解でけへん」ちうことが合わさると、
 「脳や精神、心が不健康になりやすいのではおまへんか」ちう推察を、わいはしてしまいますわ。
 やからこそ、脳の性質を併せ考えればこそ、
 口の悪い人とは距離を取ったほうがよいし、
 嫌な言葉を聞かされ続けた日は「綺麗事」でもよいので暖かい言葉に触れて、
 くたびれてしまいまへんようにあらかじめリスクマネジメントをしておくとよい気がしまんねん。


 もちろん、「人のことを言えた身やないよ」と指摘をされる前に、
 出来るだけ優しく易しい、かつ美しい言葉を使う心掛けは必要や。
 せやけどダンさん人間、言葉に触れ続けとる限り、
 心や精神もそれに左右されとるのは事実。
 「不用意な言葉」なんて、どなたはんだって好き好むわけがおまへん。


 皆はんの「元気」にくみすればと思うで。

 ◎ ◎ ◎
 
 

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