
大崎ゲートシティ(東京都品川区)
こんにちは。
今日もありがとうございます。
「理想」というのは、時に厄介なものです。
恋愛初期に特に多いことですが、
「こんなにも完璧な異性がいたんだ!!」と、
あたかも「運命の出会い」が存在するかのような感覚にとらわれることがあるものです。
以前も少し取り上げましたが、これは「オキシトシン」という多幸感を刺激する脳内物質が分泌されるからですが、
他にも大切な要因があります。
「完璧な相手だ」としてしまう理由は「好きな相手ほど評価が甘くなりがち」など、挙げていけばいろいろとあるものです。
しかし、結局は「自分の知らない部分は、理想を補って相手を見てしまうから」というのが、
人間である以上、外せない理由になってくるのです。
もちろんこれは、恋愛に限りません。
人間は結構勝手なもので、
「見たいように物を見る」傾向があるものです。
悪い言い方をすれば、「都合のよい見方をする」わけです。
以上を踏まえれば、「盲目的な信奉」というものの危険性がおわかりになるでしょうか。
「〇〇さえあればすべては円満に解決する」
「〇〇無しには幸せになれない」
現状に不満があるほど、あるものや人を神格化して、
こんな様に必死にすがりついてしまうものです。
しかし、「足りない分は理想を重ねて見てしまう」という人間心理を心得ていないと、
自分で作り出した勝手な理想に惑わされ、勝手に傷ついてしまうリスクを背負うことになります。
どんなものに燃え上がるのも自由ですが、実態を確かめないままでいると、
理想通りではない分、手痛いしっぺ返しを喰らうことになってしまいます。
一長一短という言葉もあるように、
「理想を完璧に満たすものはないし、そもそも求めるものでもない」という思考回路を、
頭のどこかに築いておくことです。
「美しいバラにはトゲがある」のです。
人間が執着心に苦しみ、自縄自縛といった状態になっている場合、
「足りない部分は理想で補う」という心理が決まって働いているものです。
だから「「たら」や「れば」は良くない」とされるのです。
たとえ理想のものや状態が手に入ったとしても、
そこから先の展開まで理想通りに行くかと言えば、
そうは問屋が卸さないというのが現実なのではないでしょうか。
理想を抱くことは、生き甲斐を育むということで、
大変素晴らしいことです。
しかし、理想に縛られ、理想が勝手に暴れ出すようなら、
理想が味方になっているか!?と再点検してみる必要があります。
最後に私の意見をひとつ言っておくと、
理想を実現していくには、最初から完璧を求めないことが大切なように思います。
少しでも理想に近い部分があれば、そこで満足しておく。
理想を求めるものではありません。
理想は育むものです。
少しずつ、たまに後退しながらも。