宮ヶ瀬湖の吊り橋(神奈川県愛甲郡清川村)
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
対人関係を育む場合。
人間いつも自信満々、順風満帆とはいきませんが、
他人が絡む場合、お互いが不安定だったり上手くいっていない場合、
期せずともお互いに足を引っ張りあってしまうものです。
不安定なのが相手であれ自分であれ、
どちらか一方がガタガタしてしまうと、相手の気持ちがわかりにくくなってしまいます。
そこで、相手の気持ちが本物なのかどうか、
「このハードルを飛んでくれれば間違いないだろう」とばかりに試してしまうものです。
さて、そんな試みが上手くいくものかどうか。
答えは「NO!」なのです。
☆ ☆ ☆
私も私でコンピュータの分野には弱いのでこんな例を出すのははばかられるのですが、
ソフトウェアを開発する上で、製品に欠陥がないか完成してからチェックする「ソフトウェアテスト」という行程があります。
以下はそれについて解説した、Wikipediaからの引用です。
ソフトウェアテスト(software test)とは、コンピュータのプログラムを実行し、正しく動作するかどうか確認する作業のことである。ソフトウェアテストは、プログラム中の欠陥(バグ)をできる限り多く発見することを目標として行われる。ソフトウェアテストに成功するとは、欠陥を発見することである。ソフトウェアテストでは、欠陥が存在することを示すことはできるが、欠陥が存在しないことは証明できない。
…これ実は、「人を試すのがいかにいけないか」ということと、かなり共通している部分があると思うんです。
人を試す場合、たいていは面倒事を与えてそれをクリアすることが出来るかを見るわけですよね。
そして、相手が一生懸命クリアしてくれたら、
さらに無理難題な面倒事を与えて、
相手がギブアップするまでやり込めてしまうわけです。
…しかし、冷静に見ればこれは全く生産性がないことですよね。
相手に疲弊や消耗をさせて限界がわかったところで、
さてその先にどんな関係を望むのでしょうか!?
相手の限界を知って、安心が出来るのでしょうか!?
以上を考えれば、人を試しても安心は得られないばかりか、
むしろ不必要に人を傷つけ、みんな一緒に不幸せになるだけということがおわかりになると思うんです。
じゃあ、どうしたら安心できるのでしょうか。
安心できるかできないかは、相手の問題のようでいて、実は自分の問題なのです。
食物の産地や成分に対するこだわりが人それぞれであるように、
「どこにどれくらい安心感を感じるか」も、人によってまちまちだからです。
つまり、「人間関係での安心」というのは、
疑うとか頭で考えるのではなく、信頼し切ることづしかは得られないと思うんです。
もし人を試して止まないようなら、
「信頼できるものや安心感を求めている」ことと、
「何に対して安心感が欲しいのか、自問自答したがっている」こと、
この2つの認識が必要になってきます。
そうすれば、何を信頼すればよいのか、
つまり「人を試すことを辞めるきっかけ」が、きっとわかるハズです。
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
対人関係を育む場合。
人間いつも自信満々、順風満帆とはいきませんが、
他人が絡む場合、お互いが不安定だったり上手くいっていない場合、
期せずともお互いに足を引っ張りあってしまうものです。
不安定なのが相手であれ自分であれ、
どちらか一方がガタガタしてしまうと、相手の気持ちがわかりにくくなってしまいます。
そこで、相手の気持ちが本物なのかどうか、
「このハードルを飛んでくれれば間違いないだろう」とばかりに試してしまうものです。
さて、そんな試みが上手くいくものかどうか。
答えは「NO!」なのです。
☆ ☆ ☆
私も私でコンピュータの分野には弱いのでこんな例を出すのははばかられるのですが、
ソフトウェアを開発する上で、製品に欠陥がないか完成してからチェックする「ソフトウェアテスト」という行程があります。
以下はそれについて解説した、Wikipediaからの引用です。
ソフトウェアテスト(software test)とは、コンピュータのプログラムを実行し、正しく動作するかどうか確認する作業のことである。ソフトウェアテストは、プログラム中の欠陥(バグ)をできる限り多く発見することを目標として行われる。ソフトウェアテストに成功するとは、欠陥を発見することである。ソフトウェアテストでは、欠陥が存在することを示すことはできるが、欠陥が存在しないことは証明できない。
…これ実は、「人を試すのがいかにいけないか」ということと、かなり共通している部分があると思うんです。
人を試す場合、たいていは面倒事を与えてそれをクリアすることが出来るかを見るわけですよね。
そして、相手が一生懸命クリアしてくれたら、
さらに無理難題な面倒事を与えて、
相手がギブアップするまでやり込めてしまうわけです。
…しかし、冷静に見ればこれは全く生産性がないことですよね。
相手に疲弊や消耗をさせて限界がわかったところで、
さてその先にどんな関係を望むのでしょうか!?
相手の限界を知って、安心が出来るのでしょうか!?
以上を考えれば、人を試しても安心は得られないばかりか、
むしろ不必要に人を傷つけ、みんな一緒に不幸せになるだけということがおわかりになると思うんです。
じゃあ、どうしたら安心できるのでしょうか。
安心できるかできないかは、相手の問題のようでいて、実は自分の問題なのです。
食物の産地や成分に対するこだわりが人それぞれであるように、
「どこにどれくらい安心感を感じるか」も、人によってまちまちだからです。
つまり、「人間関係での安心」というのは、
疑うとか頭で考えるのではなく、信頼し切ることづしかは得られないと思うんです。
もし人を試して止まないようなら、
「信頼できるものや安心感を求めている」ことと、
「何に対して安心感が欲しいのか、自問自答したがっている」こと、
この2つの認識が必要になってきます。
そうすれば、何を信頼すればよいのか、
つまり「人を試すことを辞めるきっかけ」が、きっとわかるハズです。