青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

「アンラッキーでよかった10の理由」。

2010年12月20日 23時20分02秒 | 青裸々日記。
国際フォーラム(東京都千代田区)

 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 ちょっと気が乱れると、なんか嫌なことが引っ掛かってしかたがないものです。
 「上機嫌でいられるかもしれない要素」がそこにあるのにみすみすと見逃すことは、
 あまり生産的とは思えません。
 そしてまた、「こんな程度で機嫌を損ねるなんて!」という焦りが不機嫌さを雪だるま式に増大させ、
 しまいには自分自身を責めて自滅するのがオチです。
 不機嫌でいて問題が解決したり、楽しいならなんの謂われもないわけですが、
 現実には上機嫌でリラックスした状態のほうが気力が漲り(みなぎり)、
 ボタンの掛け違えの連鎖を防ぎやすいハズですよね。


 困ったことがあると、なかなか冷静でいられなくなりがちです。
 そんな場合、試しに「困ったことがあってよかった」と思えるように発想を変えて見てはいかがでしょうか!?
 私達は事象に関係なく、「アンラッキーだった」というだけで意気消沈してしまいがちです。
 しかし、気が滅入った状態では、成長や問題の解決、気分転換などは一切、おぼつきません。
 そこで、「アンラッキーだったけど、…」と考えてみるわけです。


 私がオススメする数は10個です。
 「それでも〇〇という意味ではラッキーだった」という理由を10個挙げる前に、
 どうでもよくなっていることは、案外あるものです。


 あくまで心掛けておくだけで、実際にそういう思考に至れないとしても、
 その時はその時、余裕がなかったら仕方ありません。


 心も消耗品です
 少ない負荷で多くのことに相対できたほうがより生産的だし、
 なにより誰もが、「自分は出来るだけ元気でありたい」という理想を持っているハズ。
 私ごときが考え出したクダラナイ話かもしれませんが、
 ひとつの参考になればうれしいです。

宛名をどんどんと…

2010年12月20日 22時53分25秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 もうすぐクリスマスカードが仕上がります。
 また届いたら、うれしさの余り投稿しちゃうと思うんですが、
 よくよく考えてみれば、年賀状とWで宛名書きをしなきゃいけないんですよね。
 腱鞘炎(けんしょうえん)になったらどうしよう…


 …って実は、炎症になるほど送る相手もいないんですよ(笑)
 力作のつもりなので、送った相手の笑顔が見たいです。

幼さと老け込みと若さと。

2010年12月20日 11時30分32秒 | 青裸々日記。
バラ(神奈川県愛甲郡清川村)

 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 最近、「「子供化」が進んでいる」と嘆く新聞記事を目にします。
 その一方で、「いつまでも若くある」というテーマでもって、
 老若男女問わず、ビューティやコスメの宣伝が年々、強烈になっていますよね。


 そんな風潮にモノを申しておきたいのです。

 私は「実年齢は関係ない」とする立場。
 実年齢がいくつだろうと、結局問われるのは「表に出る立ち居振る舞い」や「言動」でしかないわけです。
 実年齢を楯に間違えた特権意識を持ち、自分の言動に対して責任を放棄する口実に使う考えを持った人がいるだけ、
 実年齢だけで人を見ることが難しくなってしまいます。
 精神年齢が著しく低い人、
 あるいは成長を拒み、むしろ退行に退行を重ねる人、
 こんな人の一人や二人、見たことがあると思うんです。


 さて。

 いつの時代も「若く在る」ことを至上命題として力を入れる人がいるものです。
 しかし、「若さ」というのが抽象概念である以上、
 外見の問題に限定するならまだしも、内面的な「若さ」を追い求める場合、
 「若さ」というものをしっかり定義しないと、結局は見当外れの努力になり、むしろ逆効果に働く危険があるという認識を持つことが大切です。

 参考になるかは皆さん次第ですが、
 私は「幼さ」と「老け込み」、そして「若さ」の違いは、
 以下のように区分できるものとしています。
 ・幼さ…感動する物が多過ぎるか、感動の度合いが強過ぎて突っ走る
 ・老け込み…感動しなさ過ぎで、どこかスレている
  (感動しない→ありがたさを感じ、感謝に結び付かない)
 ・若さ…ステキなものとステキでないものの分別が付いて、周りの迷惑も考えて適切に感動できる


 もちろん、「どれくらい感動するか」は受動的なものでもありますから、
 「いつも理想的な感動は出来ないもの」と、どこかで観念する必要はあります。
 しかし、「幼い人」や「老け込んだ人」、この両方が疎まれ、自分自身もなりたくないとされるのは、
 「目の前にあるものの価値を本当にわからず、したがって礼儀を失してしまうから」という点では共通しているからに他ならないわけです。


 繰り返しますが、精神年齢というのは抽象概念です。
 幼いか老け込んでいるか、若いままでいられるかは、
 結局は自分自身の意志の連続で決まってくるものです。

 若さを大切にしたい皆さん、考えてみませんか!?!?

才能の一種!?

2010年12月20日 11時02分37秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 私はか弱くて傷つきやすいんです。
 気がつくとすぐ…


 アカギレができるんです(笑)

 まあ、私も私で女々しくて弱々しいのですが、
 なにも、肌質まで似るコトはないと思うんですよね。
 情けない話なんですが、昔、現在の倍は荒れていて
 「ココロも悲鳴をあげてるんだから、ね、ちょっと病院に行きなよ」って言われたことがあるんですが、
 前述の通り「気合いが足りない人」と思われてるという気がして、
 それが悔しくて通院は最小限にしていた気がします。



 でもまあ、コレってあながち悪い体質でもないと思うんです。
 手荒れの酷い人の気持ちが人一倍わかるし、
 ハンドクリームのモニター気取りが出来ますもん
 (ちなみにオロナインが最強です、いまんとこ)。

 慣れっこなので、
 くれぐれもご心配はされませんよう。

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