
浜離宮庭園の梅(東京都港区)
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
意見や主張がある時。
思い入れや確実性、あるいは強い感情があれば、
それだけ口調や言い方、言葉づかいも強いものになってしまいがちです。
特に言い争いや切羽詰まっている時ほど、
それだけ「険悪さ」を煽るような接し方になってしまう、
こんな経験、誰もがしたことがあると思うんですね。
もちろんどんな言い方をするのも個人の自由ですし、
強く言うことではじめて理解を得られる場面も多くあるでしょう。
…しかし、です。
わざわざ強く言わなくとも通じ合えるのなら、
わざわざリスクを取らなくて済むのですから、
これを使わない手はありませんよね。
そこで、「柔よく剛を制す」という言葉を、皆さんにご紹介しておきたいんです。
☆ ☆ ☆
相手が怒っていたり、必死になにか強く訴えてきたとします。
しかし、自分にも意見があるし、どこか納得できない部分がある。
こんな場合、勢いに任せて物を言ったりするのは、
実は一番効率が悪いコミュニケーションのやり方なんですね。
考えてもみて下さい。
逆の立場だったとして、どうしても聞いてほしいことを誰かにぶつけたとします。
しかし、なんらかのことが噛み合わなくて否定された。
そしたら、どうします!?
きっと、否定された分だけさらに強く相手に当たってしまい、
それを覆い被せるかのようにさらに強く否定され、さらに強く…という、
衝突の無限ループになってしまうと考えるのが自然ですよね。
つまり「意見は強く言えば必ず伝わる」というのは、
実は錯覚だったりするのです。
押して駄目なら、引いてみよ。
ここで、「柔らかさ」の出番なんです。
「敵を知り、己(おのれ)を知れば百戦危うからず」と言いますが、この場合も同じ。
「相手がなんで強く言っているのか」、
ここがわかれば、納得して自制心を取り戻せるハズなんですね。
先にちょこっと触れていますが、「強く物を言う」場合、
・時間がない
・こちらが相手を理解していない
・怒っている
・感情のはけ口を求めている
・孤独感があり、ただ甘えたがっている
…と、考えてもキリがないような感情を裏に抱えていることがほとんどです。
これらの共通点は、「感情や意見を共有してほしがっている」ということ。
要は、わざわざ力付くで主張をしなくとも、
「意見を受け止める」とか、相手を認め、尊重する」だけで解決することは案外多いかもしれないと頭に入れておくだけでよいのです。
「おっしゃる気持ち、良くわかります」という態度さえ示していれば、
こちら側の意見に関係なく衝突が回避できたりもするのです。
もちろん、正面衝突しなければならない場面だってある。
しかし、しなくてもよいような無駄な争いをして、
複雑ないざこざを起こしたり、罪悪感を抱えるようでは、上手なコミュニケーションとは言えません。
「賢い人」とは、「優しく冷静な人」でもあるのです。