五條天神社の梅(東京都台東区)
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
経済用語に、「GDP」という言葉があります。
有名なものなのでご存じの方もいらっしゃっるかと思うのですが、
「国内で一定期間内にどれだけの付加価値を産み出せるか」の指標に使われます。
当然、GDPの高い国ほど経済が豊かだとされるわけです。
さて。
この「産み出す」という考え方、人間の心に当てはめて考えてみると、
なにかと面白いと思うのです。
…というわけで、簡単な「心の経済学」のお話をしてみます。
何気ないことに、飛び上がる位に喜べる人。
些細なことでも、鬱陶しくないようにきちんと感謝してくれる人。
いつもニコニコしていて、明るい人。
こんな人が身近にいたり、なにかに付き合ってくれたら、
なにかと心強いし、それだけでどこか幸せな気分になりますよね。
つまり、です。
「〇〇がないと幸せになれない」と言うのではなく、
「たとえ小さなものでも、幸せだと受け取ろう」とする、
これこそが心の豊かさであり、また付き合いたくなるような人の特徴でもあるのです。
「計算高い人」や「打算で動く人」が嫌われるとは言えど、
実際人間って、どこか打算や計算をして、人間関係を築いていたりするものです。
「見返りを求めないこと」はたしかに素晴らしい行為ですが、
無私になると言っても、「これで自分も幸せになれた」など、「精神的な収穫」があればこそ出来るもの。
人間、理由のないものや因果のハッキリとしないものは、
意外と避けていたりもする生き物なのです。
「打算」と言うと言葉はキツいですが、
つまり、人間であれば、なにかしらの「とりかえっこ」をしているものなのです。
そうであれば、いつもニコニコしていて「幸せだなあ」と言っているような人ほど、
力を貸してあげたくなったり、あるいはもっと幸せになってもらいたくなる、
こういうことが、言えるのではないでしょうか!?
付加価値をたくさん産み出す国に財が集まるように、
幸せを産出できる人、そしてまた「幸せの産出能力」が高い人には、幸せや人が集まるのです。
こんなことを書いてしまうと、「落ち込んでいる」とか「疲れ切っているから勘弁してほしい」というような、
元気のない人、「鬱だ」という人からお叱りを受けてしまいそうですが、
私は落ち込んでいるならそれでいいんだよ、と思います。
幸せは感じるもので、無理をして考えたって、感じられるものでもないし、ましてや産み出せるものでもないからです。
ただ、どんなに小さなことでも、
一度、二度、三度…と「幸せに受け取ってみようとすること」が、
結局は幸せに対する感度を上げるのです。
幸せに生きている人は、幸せが集まります。
この仕組みがわかれば、めんどくさい幸福論など唱える必要もなくなると、
私は思うのです。