浜離宮庭園の梅(東京都港区)
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
皆さんは、
・運が悪かった
・ツイてる
どちらが口癖ですか!?
意外と言っているものですよ。
☆ ☆ ☆
中学生の頃、「英単語テスト」というのがありました。
授業で扱った単語のうち、無作為に50個を選んで書き取り、
1単語につき2点の配点で習熟度をはかるというもの。
そのテスト結果の講評が、今でも鮮明に頭に残っているんですね。
「いいかい、今回は君達の中でも「運が悪い」って言う人が多いんだな。
たしかに覚えたつもりの単語が書けなくて悔しいって気持ちはわかるんだけど、
やっぱり「運」っていうのはあると思うんだけど、ちゃんと勉強した人はちゃんと書けるの。
勉強してないことを運のせいにするんじゃなくて、勉強していなかったことをまず反省してみるといいよ」
…と、英単語の勉強で培った記憶力で思い出してみるに、
こんなことを言っていたんです。
たしかに、言うとおりなんですよね。
運だけの力ですべて解決するのなら、
きっと誰しも、努力や成長というものに意義を見出だせなくなってしまうと思うんです。
別に「苦虫を噛み潰したようなことをしましょう」というのではなく、
気持ち良く勉強すれば、気持ち良い時間を過ごせるのではないかということ。
たとえば「100m走で10秒を切りたい」という人がいたとします。
100mを10秒…というのは、相当なアスリートでなければ出せない数字です。
それを普段から鍛えてもいない人間が走って及ばなかったとしても、
「運が悪かった」とは、とても言えないものだと思うんですね。
「運」というのは結局、ある程度の実力があって普段からの姿勢もしっかりしている人にしか言えない言葉なのです。
全てを運のせいにして片付けるのは簡単ですが、
「運のせいにする前に、どれだけ自分がやったか」が大切なのです。
息を吐くように
「ツイてません」
「運が悪いです」
こんなことを言っていては、無気力になっていくのはある種、当たり前の話なのです。
そういう人ほど努力や成長をしなくなり、
結局や実力や人徳が失墜し、
そして「運」だけでは面倒を見きれないレベルまで墜ちてしまうわけです。
恐ろしい話ですよね。
だから「運」だけに結果のよりどころを求めるのは間違いなのです。
どうせ「運」と口にするなら、「運が良い」などと言っているほうが数十倍マシなのです。
「運の神様」というものがいらっしゃるのだとしたら、
「運が悪い」と、あたかも「運」を侮蔑するかのような言葉を口にする人から見放し、
「運が良い」と、「運」を可愛がる人に力を貸して下さるのかもしれないと、
私は思うのです。