
北の丸公園の河津桜(東京都千代田区)
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
豊かな対人関係を築く心得として、
よく「相手を理解しましょう」というアドバイスがなされます。
相手の立場や心情を鑑みれば(かんがみれば)こそ、
通じ合えることも多くなるからです。
ただし。
相手の気持ちを100%理解できるかと言えば、
必ずしもそうとは言えないのもまた、事実です。
「なんだ、当たり前の話じゃないか」と思われるかもしれませんが、
これには深い訳があるのです。
☆ ☆ ☆
人間が相手を100%理解できないのは、
相手と全く同じ立場や視点に立つことが難しいこと、
あるいはまた、相手自身はともかくとして、の置かれている環境や背景まで洞察をめぐらせるのが難しいこと、
だいたいこんなことが挙げられます。
しかし、です。
皆さんもよくお分かりだと思うんですが、
人間って、いたくわがままな生き物なんですよね。
たとえば、
・働かずしてお金を稼ぎたい
・言葉を言わなくても、気持ちをわかってほしい
・やけ食いをして痩せたい
こんな気持ちになったこと、一度や二度、あるとは思うんです。
つまり、矛盾した願望を頭に描いているのが、人間というものの側面だったりもすると言いたいのです。
私は別に、それを悪いとか止めましょうと言いたいのではありません。
ただ、相手が人間である以上、さらに言うとそもそもの願望が100%ではなく120%である以上、
相手のことを全て理解しようという考えや試みそのものが狂気の沙汰なのです。
ましてや、わざわざ「相手を理解したい」と思う位なのですから、
それ相応の問題を抱えていたり、あるいは理解することに使うエネルギーも大きくなります。
ゆえに、相手の願望の方も、普段が120%だとしたら、
相手と真正面から向き合う場合、150%、あるいは200%にすらなっている可能性が大なわけです。
相手を楽にしよう。
力になってあげたい。
なんとか通じ合えるようになりたい。
誠実な人や優しい人ほど、
セオリー通りに「相手への理解」というものに重きを置くものです。
しかし、「相手を理解することには限界がある」と、どこかでブレーキをかけたほうがよいことが、
これでお分かりになったでしょうか!?。
たとえ誰かを理解できなくとも、
たとえ誰かの力になり切れなくとも、
全力を出し切ったのなら、そんな自分を恥じたり責めたりする必要なんか、
どこにもないのです。
そんなことよりも、相手を思う気持ちを大切にして下さい。