亀戸天満宮の梅(東京都江東区)
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
デジタルカメラ。
一口に「デジカメ」と言っても、
値段もお手頃で手軽で持ち運びやすい「コンパクトデジカメ」から、
画質を追求した「一眼レフ」まで、
幅はいろいろあります。
コンパクト機に高画質を、
一眼レフに起動性を求めても、それは無い物ねだり。
みんな特長をわかっているから、機種も自分のお財布やニーズ相応のものを買うわけです。
翻って、人にものを求める場合。
「あの人はなんでああみっともないんだろう」
「めんどくさい相手に当たっちゃったなあ…」
こんな場面、皆さんも経験あると思うんですね。
でも、少し余裕を持って見てみればわかることですが、
普通に考えて、わざわざ「みっともないこと」や「自分の点数を下げること」、あるいは「お互いにメリットのないこと」なんて、
自分から進んで積極的にする理由はないのです。
つまり、行為を責めるよりも「…にもかかわらず、なぜそれをしてしまうのか!?」という洞察力が、
胸につっかえているものスッキリさせてくれるわけです。
さて、その理由ですが、
なにも難しいことはありません。
「人には等しく個性というものがある」ということは皆さんご存じだと思うんですが、
言い換えれば「人間である以上、成長のしかたや得意分野は違っていて当たり前」ということでもあります。
つまり、どんなに頑張っても「わざわざ点数を下げるようなレベル」でしか出来ないことだって、
形は違えど誰しも持っているのです。
人の出来ないことをあげつらったりするのは簡単です。
しかし、「低いレベルのことをしてしまう」というのは、
端的に言えば「素養がないか余裕がないか、それとも単に苦手分野かのいずれか」というのが、本当のところではないでしょうか!?
デジタルカメラの話に戻すと、普通はコンパクト機に高画質を求めるような真似をしないのと同様、
人にモノを要求する場合も、「その人にできる目安や限界」というものをあらかじめ頭に入れておかないと、
結局、自分がどんな思いに駆られるかなど、わかったものではありません。
もちろん、人間は成長する生き物ですし、
底力だって秘めています。
しかし、いくら人間が可能性の塊だからと言えど、
それをいいことに、個性や能力を無視した要求をするのは間違えだ、
纏めるとということなんです。
「可能性」と言えば打ち出の小槌のごとくなんでもできるというわけではなく、
「可能性の伸び方や早さそのもの」だって、
みんな等しく違うわけです。
ただし、注意がひとつ。
「本人が真摯に取り組んだ結果なのか否か」ということを無視して「この人のキャパシティーはこんなものだ」と決め付けていると、
人を見誤ってしまいます。
本人が真面目に誠実にやっている限り、要求を満たしてくれなくても許せるもの。
しかし、不真面目なら別だよ、ということです。
話がそれました。
私達は人に対して、たとえば「当たり前」などという言葉を使って、
知らず知らずのうちに高い要求を突き付けたり、
「突き付けてハイおしまい」にしていたり、
こんなことを意外に多くしているものです。
このことをちょっと振り返り、反省したり相手を許したりすることで、
心は癒され、晴れていくことがあるのかもしれません。