
池上梅園の梅(東京都大田区)
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
「なにかと根に持つ人」は、なにかと嫌われるものです。
根に持つ度合い、つまり「なにかと」の度合いが強ければ強いほど、
嫌われる度合いも強くなりがちです。
しかし、私はあえて「>根に持つ人になりましょう」と、提唱したいのです。
あることが失敗してしまった。
気に喰わないこと、許せないことがあった。
どうも引っ掛かるものがある。
心に負荷や抵抗がないほうが元気でいられるのは当たり前のことで、
だからこそ「そんなものは気にせず、水に流そうよ」とか、
こんな「問題」を抱えている場合、懇切丁寧にアドバイスしてくれる人がいるものです。
しかし、「どう考えても水に流したほうが合理的なのに、それを簡単に受け流せない」と言うのなら、
必ずなんらかの「避けては通れない壁」が眠っていると考えて、ほぼ間違いありません。
たとえば、「仲良くしたい人と、すれ違ってしまった」とします。
さて、現時点での話はともかく、
また上手く付き合い続けたいのだとしたら、
解決するまで「それをどうするか」が問われるわけです。
あるいは、「会うたびに嫌味を言い続ける、口の悪い人」がいるとします。
受け流せばよいのに、どうしても許せない。
さて、「気にしてしまう理由」を解決しない限り、
いやな気分を味わい続けることになってしまいます。
お分かりになったでしょうか!?
「根に持つ」ということは、結局「未解決の問題を消化できてないよ」というシグナルに他ならぬものなのです。
あるいは、あることについて、学習すべきタイミングが来たという合図という言い方も出来るでしょうか。
そもそも人間、根に持つことで成長する生き物なのです。
赤ちゃんの時、立ち上がれるようになるまで、
何回も転びますよね。
そして転ぶ中で、バランスの取り方や力の入れ方を体得するわけです。
転んで学習するから、立ち上がれるようになるのです。
「根に持つ」ことも、本質的にはそれと同じなんですね。
「なにか引っ掛かるもの」に、少しずつでも目を向けてみることで、
だんだんスマートな対処、スマートな考え方が出来るようになっていくわけです。
「赤ちゃんの立ち上がり方」と同じく、頭の中にデータベースが出来上がるからです。
こういうわけで。
何に対しても「根に持つ」ことが出来ない人は、
人間として失格なのではないかと、私は思うのです。
「根に持つこと」で学習が出来て、データベースが作られるのに、
1mmもそれをしようとしないのなら、
つまりは「自分を磨くのが大嫌いだ」と言っているのと寸分も変わらないのではないでしょうか。
だいたい、一度学んで消化してしまえば、
「根に持っていたこと」も勝手に消えていきます。
「こんなことを学んだけど、あれ、何が原因でだっけ!?」となったりもするもの。
そもそも、「一生根に持つ」なんて、
本当はとても難しいことだったりもするのです。
だったら、たとえ不完全であれ、
「問題」を「学びの機会」と捉え、付き合ってみるほうがお得なのではないでしょうか!?
余談ながら、人様に根に持たれるのを嫌がるなら、
そもそも相手の嫌なことをしなければよいのです。
さらに言えば、「根に持つことがある!」にしても、
相手を責める材料としてではなく、相手を伸ばす材料として使えば、
毒にはならないのです。
「根に持つ」人とは、「自分の根っこを丈夫にする、向上心の強い人」なのです。
たくさん学んでいきたいものです。