北の丸公園の河津桜(東京都千代田区)
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
「自分磨き」が出来ない人は、人間として大損をしていると私は思います。
「毎日いっぱいいっぱいで、生きるのが精一杯」というのなら話は別ですが、
せっかく命を受けて人として産まれてきたのに、
その命を輝かせる可能性を自らかなぐり捨てることはない、
そんな気がするからです。
さて。
そんな「自分磨き」は、一体誰のためにするのでしょうか?!
…それは、「自分自身」のみならず、「と周りにいる人」のためでもあるのです。
考えてもみて下さい。
自分がお医者さんだったとすれば、毎日の診療や医学の勉強を一生懸命しますよね。
そんな毎日を通じて、医学はもちろん、「どうすれば患者さんが…」と思索を深めたり、
あるいは忍耐強さや思いやりなど、心そのものま磨かれていくわけです。
それ自体は素敵なことで、尊敬すべき態度であることに異論はありませんよね。
さて、勤務時間外、いわゆる「非番」の時に街を歩いていたら、
具合の悪い人がいました。
症状から、なんとなく対処法はわかる。
ところが、特に急いでもいないし、ハッキリ言ってむしろ暇なくらいな時に無視をしたら、
一体どんな気持ちになるでしょうか!?
…そうなんです。
自分を磨いたら、それを人のために使ってこそ意義が何倍にもなるのです。
磨くのは結構なこととして、そこから先にもまた、問題があるのです。
能力でも容姿でも、あるいは精神的なものでも、
「自分はなんて偉いんだろう」と自分自身に浸り切るから、
なぜか嫌われたり、逆にヨイショもされるのです。
たとえば「偉い」にしろ「美しい」にしろ、
その姿や力を人のために使ってこそ、自分も人も笑顔になるのです。
「お金」とか「生きていくのに最低限要るもの」はともかく、
出し惜しみしていては、結局ついて来てくれる人は誰もいなくなってしまいます。
まあ、感の鋭い方は「ちょっと極論し過ぎなことをわかって書いているよなあ…」ということはお分かりかと思います(笑)
多少は自分の世界に浸るくらい、やっていても良いのです。
ただ、「自分を人のためにどう使おうか」という視点がないと、
結局は同じように自分を磨いても、その価値が半減してしまうんですね。
増してや「四六時中」なんていうことも言うつもりはありません。
要は「取り分」を考えるんです。
ちなみに。
個人的な意見で恐縮なのですが、
「自分の出し惜しみ」は老け込みを呼び込み、
逆に人のために力を生き生きと使う人は若くいられるような気がします。
「自分のためだけではなく、人のために生きること」が自分を生き生きとさせるのは、
もしかしたら普遍の事実なのかもしれませんね。