湯島天神の梅(東京都文京区)
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
人間関係が上手くいっていない時。
本来、人の数だけ価値観はあるし、さらにその価値観が交わり合うのですから、
そもそも全て人間関係が順調に運ぶとは限らないのです。
おしまい。
…なわけないです(笑)
まあ、「全部が全部、上手くいくわけじゃないよね」という話は意外と忘れてしまいがちなので、
ここを再確認するだけで楽になれる人は、だいぶいらっしゃると思うんです。
ただ、それだけで終わらせるのはあまりに纏まりが付かないので、
「人間関係が上手くいっていない場合、どうすれば良くなるのか」を、
皆さんと一緒に、考えていきたいと思います。
人間関係が拗れる(こじれる)というのは、
要は「繋がり方がいびつだったり、屈折している」ということです。
さて、その「繋がり」というものを考える時。
身体の傷、つまり「ケガ」に置き換えて考えてみると、
具体的な方法も理解しやすくなると、私は思うのです。
ケガをしてしまった時というのは、
言い換えれば「皮膚など細胞の繋がりに切り込みが入ってしまった時」とも言えます。
さて、その傷を治そうとする場合、
たいていは絆創膏(ばんそうこう)を貼るか、せいぜい痛みを我慢して軟膏を塗り、
あとは治るまで、いたずらにいじくり回さないようにするまでです。
そこを「どこの細胞と毛細血管が繋がっていないか、一度じっくり調べないと!」とばかりに傷口をいじり倒せば、
いよいよ傷口は広がり、治すのに多くの時間が掛かってしまいます。
もうお分かりですね!?
いちいち「上手くいっていない人」の方向ばかり見る必要なんて、どこにもないのです。
「マズった!!」という場合、余程の「人間関係の外科医さん」でない限り、
当事者であれ、第三者であれ、下手に手を入れると、かえって傷を悪化させるだけに終わること、
えてして多いのではないでしょうか!?
現実には「下手に触らない」と言えど、
「上手くいっていない人」と接触しなければならない場面もあることはあるもの。
しかし、そんなものは最小限に留めるのが、たいていの場合ベターなのです。
大怪我でもない限り、傷口の保護さえすれば、傷口は塞がります。
人間関係の拗れもそれと同じ。
ほうっておいて、気分の良いところへスッと擦り寄る、
これが理想的なやり方です。
そういえば熟語に、「腫れ物に触るような…」というのがありますね。
傷も腫れ物も、触ったり意識し過ぎると、ろくなことがありません。
深刻に考えず、どうせ意識するなら好きなことや人を思い浮かべて、
あとはしれっとしていたいものです。