こんにちは
今日も皆さん、ありがとうございます。
実は。
去年の今頃、私のいた主戦場が廃業になったんです。
本当に突然のことで、崖から突き落とされるとはまさにこの気分でした。
それから1年。
現在、まだいろいろありますが、おかげさまで基本的に自立した生活が続いており、
感謝を基調に生活しています。
笑顔を絶やさずにいることで道が開けると信じ、
これからもがんばります。
今日も皆さん、ありがとうございます。
実は。
去年の今頃、私のいた主戦場が廃業になったんです。
本当に突然のことで、崖から突き落とされるとはまさにこの気分でした。
それから1年。
現在、まだいろいろありますが、おかげさまで基本的に自立した生活が続いており、
感謝を基調に生活しています。
笑顔を絶やさずにいることで道が開けると信じ、
これからもがんばります。
こんにちは
今日も皆さん、ありがとうございます。
最近呼吸についての本をいくつか読んでいるのですが、
「これが一番だ!」というのがだんだんハッキリしてきたので、
ちょっとお話ししますね。
一番効率的で心身のリフレッシュになるのは、
口から吐いて、鼻から吸うという要領だそうなんです。
あくまで「吐いてから」という部分が重要です。
先に古くなった空気を排出してしまったほうが、
なにかとよいんですって。
そう思うと、空気をきれいにしてくれる植物には、
本当に感謝したくなるものですねヾ(*^▽^*)o
今日も皆さん、ありがとうございます。
最近呼吸についての本をいくつか読んでいるのですが、
「これが一番だ!」というのがだんだんハッキリしてきたので、
ちょっとお話ししますね。
一番効率的で心身のリフレッシュになるのは、
口から吐いて、鼻から吸うという要領だそうなんです。
あくまで「吐いてから」という部分が重要です。
先に古くなった空気を排出してしまったほうが、
なにかとよいんですって。
そう思うと、空気をきれいにしてくれる植物には、
本当に感謝したくなるものですねヾ(*^▽^*)o
亀戸天神社の藤(東京都江東区)
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
自分を良く見せようとする姿は、たいていの場合、醜く映るものです。
しかし、だからと言ってあまりにも見てくれを意識しないと、
こんどは自分と接する人が不愉快になるわけです。
こういうわけで、人に良い顔をすることは、必ずしも悪いこととは言いきれないことが、お分かりなると思います。
ただし、これは重大な前提があります。
「長く深く付き合っていきたい人」を相手にする場合、
自分をよく見せようと「長所や愛想」ばかり振る舞うのは、実は得策ではなかったりするのです。
通信販売でよくありがちなトラブルとして、
「商品の長所ばかり宣伝した結果として、予期せぬ欠点や使いずらさがわかった」というものがあります。
たしかに「売り」がなければ商品にはならないし、宣伝だってできないのは事実です。
しかし、「あからさまな欠点があるのに、それを力付くで隠して、見せないようにする」ということをやれば、
それは詐欺罪に触れることにもなりかねませんよね。
しかも、欠点が酷ければ酷いほど、
「それなら取り立てて長所がなくても、汎用性のあるものを近所のスーパーで買ったほうがいい」ということにすらなりかねないのです。
こういうわけで。
「長く深く付き合っていきたい人」という位に思っている相手には、
露骨によい顔ばかりしたり、歯の浮くようなことばかり言っていると、
人に見せたくない顔が出てしまった時ほど、相手にせっかく抱いてもらった希望は、失望に変わりやすくなってしまうのです。
「長所や売りを言わなければ、自分を認めてもらえない」というのはまあ、事実でしょう。
しかし、それを「欠点を隠す理由」にするのは、論点のすり替え以外の何物でもありません。
人間、欠点を放置しない努力が必要なのです。
どんな人でも、長く付き合えば付き合っていくほど、
最高点より平均点が大切になってきます。
最大瞬間風速のように、たまたま出たような最高点だけ見せるのはまやかしです。
本当は目立つような長所よりも、
たとえば「人様に迷惑をかけない」とか「感情のコントロールができる」、「約束を守る」など、
「人として当たり前ともなんでもないとも言えるようなもの」をたくさん持っている人のほうが、本当は魅力的なのです。
どこへ行っても好かれるし、トラブルも少ない。
もちろん長所は長所で、あってよいのです。
しかし、自分を売り込むことに躍起になるあまり、弱さが露呈した場合のことを考えておかないと、
しまいには相手が離れていくだけになってしまうのです。
「自分を磨く」というと、こと「目立つこと」に力を入れてしまいがち。
しかし、酷い状態になった時に自分をコントロールできなかったり、
あるいは自分の弱さに向き合えていないと、
結局、人とコミュニケーションを取るが難しくなり、破綻してしまいやすくなるのです。
意気がって格好を付けても、しょせんは格好でしかありません。
人間関係で大切なのは、「生身の姿」なのです。
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
自分を良く見せようとする姿は、たいていの場合、醜く映るものです。
しかし、だからと言ってあまりにも見てくれを意識しないと、
こんどは自分と接する人が不愉快になるわけです。
こういうわけで、人に良い顔をすることは、必ずしも悪いこととは言いきれないことが、お分かりなると思います。
ただし、これは重大な前提があります。
「長く深く付き合っていきたい人」を相手にする場合、
自分をよく見せようと「長所や愛想」ばかり振る舞うのは、実は得策ではなかったりするのです。
通信販売でよくありがちなトラブルとして、
「商品の長所ばかり宣伝した結果として、予期せぬ欠点や使いずらさがわかった」というものがあります。
たしかに「売り」がなければ商品にはならないし、宣伝だってできないのは事実です。
しかし、「あからさまな欠点があるのに、それを力付くで隠して、見せないようにする」ということをやれば、
それは詐欺罪に触れることにもなりかねませんよね。
しかも、欠点が酷ければ酷いほど、
「それなら取り立てて長所がなくても、汎用性のあるものを近所のスーパーで買ったほうがいい」ということにすらなりかねないのです。
こういうわけで。
「長く深く付き合っていきたい人」という位に思っている相手には、
露骨によい顔ばかりしたり、歯の浮くようなことばかり言っていると、
人に見せたくない顔が出てしまった時ほど、相手にせっかく抱いてもらった希望は、失望に変わりやすくなってしまうのです。
「長所や売りを言わなければ、自分を認めてもらえない」というのはまあ、事実でしょう。
しかし、それを「欠点を隠す理由」にするのは、論点のすり替え以外の何物でもありません。
人間、欠点を放置しない努力が必要なのです。
どんな人でも、長く付き合えば付き合っていくほど、
最高点より平均点が大切になってきます。
最大瞬間風速のように、たまたま出たような最高点だけ見せるのはまやかしです。
本当は目立つような長所よりも、
たとえば「人様に迷惑をかけない」とか「感情のコントロールができる」、「約束を守る」など、
「人として当たり前ともなんでもないとも言えるようなもの」をたくさん持っている人のほうが、本当は魅力的なのです。
どこへ行っても好かれるし、トラブルも少ない。
もちろん長所は長所で、あってよいのです。
しかし、自分を売り込むことに躍起になるあまり、弱さが露呈した場合のことを考えておかないと、
しまいには相手が離れていくだけになってしまうのです。
「自分を磨く」というと、こと「目立つこと」に力を入れてしまいがち。
しかし、酷い状態になった時に自分をコントロールできなかったり、
あるいは自分の弱さに向き合えていないと、
結局、人とコミュニケーションを取るが難しくなり、破綻してしまいやすくなるのです。
意気がって格好を付けても、しょせんは格好でしかありません。
人間関係で大切なのは、「生身の姿」なのです。
こんにちは
今日も皆さん、ありがとうございます。
昨日、寝付いてから1時間して、お腹に鋭い痛みがあって、
トイレに駆け込みました。
うーん、夜になって食べたのは卵とアイスだけだったので、
たまたまお腹がビックリしちゃったのかな、という気がします。
まあ、デトックス効果ってやつもあるんでしょうか、
悪いものは出し切ったと思うので、今日も明るくやっていきますヾ(*^▽^*)o。
今日も皆さん、ありがとうございます。
昨日、寝付いてから1時間して、お腹に鋭い痛みがあって、
トイレに駆け込みました。
うーん、夜になって食べたのは卵とアイスだけだったので、
たまたまお腹がビックリしちゃったのかな、という気がします。
まあ、デトックス効果ってやつもあるんでしょうか、
悪いものは出し切ったと思うので、今日も明るくやっていきますヾ(*^▽^*)o。
こんにちは
今日も皆さん、ありがとうございます。
ある雑貨屋さんで、オーラリングという指輪を買って使っています。
なんでもこれ、感情が変わると、それに合わせて指輪の色も変わるんだとか。
体温で色が変わる樹脂でも使っているのだと思うのですが、
色が七変化してキレイです。
ちなみに写真では緑色がかっていて「恋愛の気分」らしいのですが、
ご飯を食べるためにお店に入ったら青くなっちゃいました。
まあ、「恋愛」とかいうのが本当だったら、
花より団子っていうことになってしまうのですね(笑)
コレは信じるものというより、あざやかな色の変化を楽しむものと思っているのが正解っぽいです、うん。
シャガの花(東京都千代田区)
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
人に対して、なぜか素直になれない人。
優しくできなかったり、不誠実を働いてしまう人。
もちろん、人に対して悪いことをしているわけですが、
こういう人は、自分も低く扱っているものです。
何万円も払ってファーストフードを食べる人はいません。
逆に、数十円でレインボーブリッジを建てるのは絶対に無理です。
…ということは、「それに相応しい代価」を払うのが、私達人間ということがわかりますよね。
これは人間関係でも同じです。
「ひとをたいせつに」というのは素晴らしい理想ではありますが、
現実には、大切に思っている人には大切に接するし、
醜く思っている人や、こちらの神経を逆なでする人には、それなりに悪い態度を取ってしまいがち。
ただ私は、それを悪く言いたいのではないのです。
「自分を低く扱っている人は、人にも誠実になれない」ということも、
これを踏まえればおわかりになると思うんです。
つまり、自分を酷い人間だと思っていればこそ、
自分を酷く扱ってもらえるようにわざと悪い態度で出るのです。
人に悪態をつけば、自分の味方をして、優しくしてくれる人もいなくなります。
逆に、人に対して優しく誠実にしていればこそ、
すぐにとは言いませんが、良くしてくれる人も増え、人も集まってくるようになるのです。
では、なんで自分を低く見るようになってしまったのか。
原因を探れば、いくらでもあります。
すごい罪悪感を抱えている場合もあるし、人から不当な扱いを受けて自分は低い人間なんだと思い込んでしまっている場合もある。
あるいは、堕落してしまったり、自分を見失っている場合だってあるのです。
そして、傷ついたり歪んだりした心でいれば、会う人会う人に対する態度が全て曲がってしまうのです。
つまり、「人間関係に問題がある」という場合、目の前にある見た目だけの関係が問題になっているだけでなく、
ある時からおかしくなった心を、ずーっと反映させていること自体も問題になってしまっているということだって、
本当はいくつもあるのです。
自分を大切にできない時、不幸になるのは自分自身だけではなく、
接している人みんなに迷惑がかかるのです。
とは言え、心がおかしくなっている人が、そう簡単に自分に対する対する態度を変えるのは難しい。
だからこそ、まずは自分を大切にすると、思おうとしてみて下さい。
おかしな話ですが、そういった心掛けが自分や人を救うのです。
「自分、自分…」と、しつこくこだわっていく内容になりました。
しかし、全ての根源は自分なのだとしたら、変えていくに越したことはありません。
その心掛けが、人を変え、周りをじんわりと幸せにしていくのです。
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
人に対して、なぜか素直になれない人。
優しくできなかったり、不誠実を働いてしまう人。
もちろん、人に対して悪いことをしているわけですが、
こういう人は、自分も低く扱っているものです。
何万円も払ってファーストフードを食べる人はいません。
逆に、数十円でレインボーブリッジを建てるのは絶対に無理です。
…ということは、「それに相応しい代価」を払うのが、私達人間ということがわかりますよね。
これは人間関係でも同じです。
「ひとをたいせつに」というのは素晴らしい理想ではありますが、
現実には、大切に思っている人には大切に接するし、
醜く思っている人や、こちらの神経を逆なでする人には、それなりに悪い態度を取ってしまいがち。
ただ私は、それを悪く言いたいのではないのです。
「自分を低く扱っている人は、人にも誠実になれない」ということも、
これを踏まえればおわかりになると思うんです。
つまり、自分を酷い人間だと思っていればこそ、
自分を酷く扱ってもらえるようにわざと悪い態度で出るのです。
人に悪態をつけば、自分の味方をして、優しくしてくれる人もいなくなります。
逆に、人に対して優しく誠実にしていればこそ、
すぐにとは言いませんが、良くしてくれる人も増え、人も集まってくるようになるのです。
では、なんで自分を低く見るようになってしまったのか。
原因を探れば、いくらでもあります。
すごい罪悪感を抱えている場合もあるし、人から不当な扱いを受けて自分は低い人間なんだと思い込んでしまっている場合もある。
あるいは、堕落してしまったり、自分を見失っている場合だってあるのです。
そして、傷ついたり歪んだりした心でいれば、会う人会う人に対する態度が全て曲がってしまうのです。
つまり、「人間関係に問題がある」という場合、目の前にある見た目だけの関係が問題になっているだけでなく、
ある時からおかしくなった心を、ずーっと反映させていること自体も問題になってしまっているということだって、
本当はいくつもあるのです。
自分を大切にできない時、不幸になるのは自分自身だけではなく、
接している人みんなに迷惑がかかるのです。
とは言え、心がおかしくなっている人が、そう簡単に自分に対する対する態度を変えるのは難しい。
だからこそ、まずは自分を大切にすると、思おうとしてみて下さい。
おかしな話ですが、そういった心掛けが自分や人を救うのです。
「自分、自分…」と、しつこくこだわっていく内容になりました。
しかし、全ての根源は自分なのだとしたら、変えていくに越したことはありません。
その心掛けが、人を変え、周りをじんわりと幸せにしていくのです。
亀戸天神社の藤(東京都江東区)
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
「あなたは自分に自信がありますか!?」という質問をする人がいます。
特に、物事が上手く運んでいない時に、
「もっと自信を持ってほしい」という意味で、つまり親切心からこう聞く場合が多い。
しかし、私に言わせれば「自信を持てる理由」と「自信を持てない理由」という2つを戦わせると、
必ず「自信を持てない理由」が勝つんです。
人間、完璧に物事をこなすことはありません。
いくら「私は〇〇な人間です」と本人が言っても、
「じゃあ、あの時はどうだったわけ?」と、どこかでツッコミを入れようと思えばいくらでもツッコめるわけです。
「自分に自信を持てない」という人は、このツッコミを自分に入れているだけのこと。
ゆえに、困っているような人に「自信を持ちましょう」と勧めるより、
こういった心理をを根気強く教えたほうが、ずっと自分を客観視できて、
本人のためになるのです。
言うなれば、「自信」という言葉自体が自信を失わせる言葉にもなってしまうというわけです。
さて。
私がしたいのは、そんなジメジメとした話ではないのです。
「自信」というものなんかにこだわっていても、なんにも生み出さないことがわかった。
ということは、他のことに着眼点を置きませんか?ということを、お話ししてみたいんですね。
暑くなると、流し素麺をやることが多くなるじゃないですか。
で、いざ素麺を流すと、「おいしそう!」とばかりに、無心に手を伸ばしますよね。
いちいち「自分はこの素麺を掴める自信があるだろうか?」なんて考えたりはしません。
もっと言えば、自信がなくたって「おいしそう!」と思っているんですから、
失敗しても、何度も箸を伸ばすわけです。
つまり、やりたいこと、幸せにしたい人があるという場合、
必要とされるのは自信よりも意欲なのです。
自信がなくたって、今すぐは及ばなくたって、
意欲や好奇心があれば、自分を高めて理想を実現できるようになるわけです。
気持ちさえあれば、自信がなくても自然と手が出て、やってしまうのです。
もちろん、明らかに事故が起きるとか、人に迷惑がかかるようなことは、
ある程度は自分を磨く期間が必要なことは事実でしょう。
わかりやすく例えて言うと、
飛行機の操縦には高度の腕や試験、資質が必要ですから、
免許のない人がいくら「自信を持っている」と言おうが、
現実には訓練なしで飛ばすことはできません。
しかし、「飛ばしたい」という気持ち一つさえあれば、
自信があろうがなかろうが、
のめり込むように勉強もするし、訓練もすすんでやるものです。
そして、気持ちを貫けば貫き通すほど、実際に飛行機を飛ばせる確率も上がるのです。
「自信」というのは、いわば引っかけ問題のようなもの。
誰だって、自信はないんです。
しかし、自信のなさは意欲でカバーできます。
カバーできるものがあるのに、「自信」という部分ばかり見ているから、話がややこしくなるのです。
それでもまだ、「自信」というものにこだわりますか!?
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
「あなたは自分に自信がありますか!?」という質問をする人がいます。
特に、物事が上手く運んでいない時に、
「もっと自信を持ってほしい」という意味で、つまり親切心からこう聞く場合が多い。
しかし、私に言わせれば「自信を持てる理由」と「自信を持てない理由」という2つを戦わせると、
必ず「自信を持てない理由」が勝つんです。
人間、完璧に物事をこなすことはありません。
いくら「私は〇〇な人間です」と本人が言っても、
「じゃあ、あの時はどうだったわけ?」と、どこかでツッコミを入れようと思えばいくらでもツッコめるわけです。
「自分に自信を持てない」という人は、このツッコミを自分に入れているだけのこと。
ゆえに、困っているような人に「自信を持ちましょう」と勧めるより、
こういった心理をを根気強く教えたほうが、ずっと自分を客観視できて、
本人のためになるのです。
言うなれば、「自信」という言葉自体が自信を失わせる言葉にもなってしまうというわけです。
さて。
私がしたいのは、そんなジメジメとした話ではないのです。
「自信」というものなんかにこだわっていても、なんにも生み出さないことがわかった。
ということは、他のことに着眼点を置きませんか?ということを、お話ししてみたいんですね。
暑くなると、流し素麺をやることが多くなるじゃないですか。
で、いざ素麺を流すと、「おいしそう!」とばかりに、無心に手を伸ばしますよね。
いちいち「自分はこの素麺を掴める自信があるだろうか?」なんて考えたりはしません。
もっと言えば、自信がなくたって「おいしそう!」と思っているんですから、
失敗しても、何度も箸を伸ばすわけです。
つまり、やりたいこと、幸せにしたい人があるという場合、
必要とされるのは自信よりも意欲なのです。
自信がなくたって、今すぐは及ばなくたって、
意欲や好奇心があれば、自分を高めて理想を実現できるようになるわけです。
気持ちさえあれば、自信がなくても自然と手が出て、やってしまうのです。
もちろん、明らかに事故が起きるとか、人に迷惑がかかるようなことは、
ある程度は自分を磨く期間が必要なことは事実でしょう。
わかりやすく例えて言うと、
飛行機の操縦には高度の腕や試験、資質が必要ですから、
免許のない人がいくら「自信を持っている」と言おうが、
現実には訓練なしで飛ばすことはできません。
しかし、「飛ばしたい」という気持ち一つさえあれば、
自信があろうがなかろうが、
のめり込むように勉強もするし、訓練もすすんでやるものです。
そして、気持ちを貫けば貫き通すほど、実際に飛行機を飛ばせる確率も上がるのです。
「自信」というのは、いわば引っかけ問題のようなもの。
誰だって、自信はないんです。
しかし、自信のなさは意欲でカバーできます。
カバーできるものがあるのに、「自信」という部分ばかり見ているから、話がややこしくなるのです。
それでもまだ、「自信」というものにこだわりますか!?
こんにちは
今日も皆さん、ありがとうございます。
皆さんは素麺を茹でる時、どんな固さで作りますか!?
私は強火でサッと茹でて、歯ごたえ満点の固さで作ります。
こだわりとしては、まず強火で沸騰させたお湯に素麺を入れて、
煮立って泡が溢れたところに差し水をして、
さらにもういっかい泡が溢れそうなところに差し水をして、火を止めてサッと冷やすんです。
こうすれば、結構コシが出るんですよ。
好みが同じ皆さんの参考になればと思います。
今日も皆さん、ありがとうございます。
皆さんは素麺を茹でる時、どんな固さで作りますか!?
私は強火でサッと茹でて、歯ごたえ満点の固さで作ります。
こだわりとしては、まず強火で沸騰させたお湯に素麺を入れて、
煮立って泡が溢れたところに差し水をして、
さらにもういっかい泡が溢れそうなところに差し水をして、火を止めてサッと冷やすんです。
こうすれば、結構コシが出るんですよ。
好みが同じ皆さんの参考になればと思います。