先週は、もう一つの悲しいお別れがありました。
「帰るのならば今しかない。」医師からはそう言われました。
「このままでは、後悔する。あんなに帰りたがっている家に連れて帰ろう。」
夫はそう思いました。
二人の息子も、同じ思いでした。
そうして、彼女は家に帰ってきたのです。
家に帰ることが決まってからというもの、ほとんど反応のなかった意識は、少しずつ回復したそうです。
そして、帰る頃には目を開け、うなずいたり、首を振って意思表示をしたりするようになったのです。
しかし、それと引き換えのように、彼女の肺はリンパ液があふれ、痰が増えていきました。そして、退院した夜から吸引しても、吸引しても取りきれない痰で呼吸が難しくなってきたのです。
そんな苦しみの中でも、彼女は穏やかな表情をしていました。
家に帰ってきたのが、本当にうれしかったのでしょう。
夫婦二人で、子供を育てた家です。
夫は帰ってからずっと、CDをかけていました。
彼女の大好きな「コブクロ」のCDです。
そのCDをかけたとき、彼女は夫に向けてにっこり笑ったそうです。
翌日には、あふれる痰が詰まって、呼吸ができなくなってきました。
私は、彼女の呼吸を助けるために、胸を押し続けました。
医師も来て、酸素も入りましたが、私が手を離すと呼吸ができなくなります。
何度も吸引しながら、「お願い。取れて。呼吸を楽にして!せっかく帰ってきたんだから。もう少し!もう少しこの家族に時間をあげて!!」心の中で叫んでも、どんなに頑張っても、吸引チューブの届くずっと先に気管を埋める痰があるのです。
何もできないの?これ以上何もしてあげられないの?
悔しくて、悲しくて、ベットの上で胸を押しながら涙がぼたぼたと落ちました。
ごめんね。ごめんね。私には取れない。
(在宅でできることは限られているし、それが在宅緩和ケアなのだと、わかりすぎるほどわかっているのに。)
でも、不思議なことに、彼女はあまりつらい顔をしませでした。それどころか、「コブクロ」のCDが終わると、夫のほうに急に顔を向けたのです。
「ごめん。かけるよ。」CDをまたスタートしたとき、彼女はふっと笑いました。
夫は「今、笑いました!」「笑いましたね!」私も見ました。
夫は言いました。
「実は、今日どうしてもやらなければならない仕事があります。妻と二人で始めた仕事です。彼女のために受けた仕事なのに・・/こんな状況で行くことなんて・・・でも、今から断ることはできないんです。」
仕事は2時間ほどで終わるといいます。
先生と私は、その2時間、妻の命を繋ぐ約束をしました。
とりあえず、呼吸の補助の仕方を夫に教え、一度ステーションに戻り、スタッフに伝えました。
二人の看護師とヘルパーが向かいました。
1時間半ほどで会議を抜けて、先生も戻ると約束してくれました。
そして、その後の連絡で、夫は息子たちと看護師たちに妻を委ねて家を離れ、妻との約束の仕事を2時間かけて終わらせ、家に戻ることができたそうです。
その頃には、薬の作用もあり、弱いながらも自分で呼吸をすることができるようになっていましたので、ご家族に任せてみんな家を後にしました。
彼女が、家族に見守られて息を引き取ったのは翌日の夕方のことでした。
その時、夫も二人の息子も、キスをしてお別れをしたそうです。
ヘルパー責任者が、泣きはらした顔で戻ってきてそう告げました。
それから、先生も来てお別れの言葉を伝えたり、髪を洗ったり、身体をきれいにする間、二人の息子はぴったりと母に寄り添い、声をかけながら手伝ってくれました。
そして、妻が夫に頼んで買ってきてもらった、旅立ちのために用意された、青いやさしいワンピースを着せました。
ベリーショート髪がとても似合っていました。
彼女の化粧道具で、元気なころの二人で寄り添う写真を見ながら、お化粧をしました。口紅の色は、息子さんが選びました。
お姉さんは、自分のファンデーションを少しつけました。
本当にきれいな妻でした。やさしいお顔のお母さんでした。
夫がぽつりと言いました。
「こんなにきれだったんだね。惚れなおしちゃうよ。」と・・・
「帰るのならば今しかない。」医師からはそう言われました。
「このままでは、後悔する。あんなに帰りたがっている家に連れて帰ろう。」
夫はそう思いました。
二人の息子も、同じ思いでした。
そうして、彼女は家に帰ってきたのです。
家に帰ることが決まってからというもの、ほとんど反応のなかった意識は、少しずつ回復したそうです。
そして、帰る頃には目を開け、うなずいたり、首を振って意思表示をしたりするようになったのです。
しかし、それと引き換えのように、彼女の肺はリンパ液があふれ、痰が増えていきました。そして、退院した夜から吸引しても、吸引しても取りきれない痰で呼吸が難しくなってきたのです。
そんな苦しみの中でも、彼女は穏やかな表情をしていました。
家に帰ってきたのが、本当にうれしかったのでしょう。
夫婦二人で、子供を育てた家です。
夫は帰ってからずっと、CDをかけていました。
彼女の大好きな「コブクロ」のCDです。
そのCDをかけたとき、彼女は夫に向けてにっこり笑ったそうです。
翌日には、あふれる痰が詰まって、呼吸ができなくなってきました。
私は、彼女の呼吸を助けるために、胸を押し続けました。
医師も来て、酸素も入りましたが、私が手を離すと呼吸ができなくなります。
何度も吸引しながら、「お願い。取れて。呼吸を楽にして!せっかく帰ってきたんだから。もう少し!もう少しこの家族に時間をあげて!!」心の中で叫んでも、どんなに頑張っても、吸引チューブの届くずっと先に気管を埋める痰があるのです。
何もできないの?これ以上何もしてあげられないの?
悔しくて、悲しくて、ベットの上で胸を押しながら涙がぼたぼたと落ちました。
ごめんね。ごめんね。私には取れない。
(在宅でできることは限られているし、それが在宅緩和ケアなのだと、わかりすぎるほどわかっているのに。)
でも、不思議なことに、彼女はあまりつらい顔をしませでした。それどころか、「コブクロ」のCDが終わると、夫のほうに急に顔を向けたのです。
「ごめん。かけるよ。」CDをまたスタートしたとき、彼女はふっと笑いました。
夫は「今、笑いました!」「笑いましたね!」私も見ました。
夫は言いました。
「実は、今日どうしてもやらなければならない仕事があります。妻と二人で始めた仕事です。彼女のために受けた仕事なのに・・/こんな状況で行くことなんて・・・でも、今から断ることはできないんです。」
仕事は2時間ほどで終わるといいます。
先生と私は、その2時間、妻の命を繋ぐ約束をしました。
とりあえず、呼吸の補助の仕方を夫に教え、一度ステーションに戻り、スタッフに伝えました。
二人の看護師とヘルパーが向かいました。
1時間半ほどで会議を抜けて、先生も戻ると約束してくれました。
そして、その後の連絡で、夫は息子たちと看護師たちに妻を委ねて家を離れ、妻との約束の仕事を2時間かけて終わらせ、家に戻ることができたそうです。
その頃には、薬の作用もあり、弱いながらも自分で呼吸をすることができるようになっていましたので、ご家族に任せてみんな家を後にしました。
彼女が、家族に見守られて息を引き取ったのは翌日の夕方のことでした。
その時、夫も二人の息子も、キスをしてお別れをしたそうです。
ヘルパー責任者が、泣きはらした顔で戻ってきてそう告げました。
それから、先生も来てお別れの言葉を伝えたり、髪を洗ったり、身体をきれいにする間、二人の息子はぴったりと母に寄り添い、声をかけながら手伝ってくれました。
そして、妻が夫に頼んで買ってきてもらった、旅立ちのために用意された、青いやさしいワンピースを着せました。
ベリーショート髪がとても似合っていました。
彼女の化粧道具で、元気なころの二人で寄り添う写真を見ながら、お化粧をしました。口紅の色は、息子さんが選びました。
お姉さんは、自分のファンデーションを少しつけました。
本当にきれいな妻でした。やさしいお顔のお母さんでした。
夫がぽつりと言いました。
「こんなにきれだったんだね。惚れなおしちゃうよ。」と・・・