世の中、理不尽なことがすごく多いですね。
人様に迷惑をかけないように、お天道様に恥ずかしくないようにと、働いて働いて生きてきたのに、人生の最後の時間が思わぬ結果になることがあります。
いろいろな経過ではあっても、私たちにはどうしようもないことがたくさんあって、その都度私たちは、ただただ悲しい思いを飲み込むしか術がありません。
子供のいない仲の良い老夫婦がいました。
お国のために戦い、終戦後も一生懸命働いて、定年まで勤め上げ、妻と二人の終の棲家と思っていた場所で、穏やかに生きてきました。
妻は、毎日雀に餌をやることと、庭の草花の世話をすること。
夫は、一日一杯の日本酒をちびちび飲みながらテレビを見ることが、なにより楽しみでした。
二人は、不平不満をな何一つ言わず「今が一番幸せ。なんの不安もないよ。いつ死んでも悔いはない。」そう言っていつも高笑いをしていました。
でも、年を重ねるごとに、妻は認知が進み体調の悪い日もあり、周囲も心配してはいました。
ある日、そんなご夫婦を二人だけで過ごさせることを心配したご親戚が、施設の手配をされました。
お二人で入ることができる特養の順番が来たある日、ご親戚が説得に行ったそうです。
夫は激怒しましたが、それでも試しに泊まりに行くことに不承不承納得しました。
本当は、私たちは夫が拒否をしてくれることを、どこかで期待をしていました。
でも、迎えが来たその日、嫌がる妻を夫が説得したそうです。
「一緒にお泊りに行くんだよ。そして、いいところだったらずっとそこで暮らすんだよ。」と。
そうして、二人は寄り添って車に乗っていってしまったのです。
自慢の家、大好きな庭、毎日やってくる雀や鳩のいる木に、お別れを言うこともなく。
しばらく、私たちは二人が帰ってくるのではないかと、少なからず期待していたのですが、1週間が経ち2週間が経ち、もう帰ってこないのだと実感するようになりました。
時々、私のあとに担当してもらったスタッフと、思い出話をしたりしました。
その後、担当だったケアマネさんにあったとき、こんな話をしてくれました。
「入って何日かは、お父さんがお母さんの部屋に迎えに行って、二人でひがなエレベーターの前にいたそうです。どうしたの?と施設の人が聞くと、『迎えが来るのを待っているんだよ。』と言ったそうです。施設の人も、特別にお父さんの大好物のコーヒーシュガーをくれたり、随分と気を使ってくれたようですが、その後すぐに吐血してしまって、救急車で病院に運ばれて入院してしまいました。ストレス性の胃潰瘍からでした。もう切なくて、何のために入所させたのかと思うと、辛いです。でも、お母さんは認知が進んでいるおかげで、今はすっかり慣れたようですよ。」
言葉が見つかりませんでした。
あの仲の良い老夫婦が、毎日どんな思いで来るはずのない迎えを待っていたのかと思うと、胸がいっぱいになりました。
誰も悪くはないのです。
あのまま二人だけで暮らすのは、確かに限界があったっと思います。
思ったより早くきた順番を、やり過ごせるほどの猶予も、介護力も、遠方にお住まいのご親戚の方にはなかったのだと思います。
今でも、私のデスクの隣にあるホワイトボードには、裸で一杯やっている陽気な老人と一緒の写真が飾ってあります。
もうきっと、彼があの家に戻ってくることは二度とないのでしょう。
この前の大雪のあと、あの家の前を車で通ったスタッフが、こんなことを言っていました。
「○○さんの家の前だけ、雪がそのまま残っていたのよ。その前後は綺麗に雪かきされていたけれど、そこだけ雪がそのままだった。なんだか、悲しかったな。」
あの家の時間は、もう止まってしまったのでしょう。
人様に迷惑をかけないように、お天道様に恥ずかしくないようにと、働いて働いて生きてきたのに、人生の最後の時間が思わぬ結果になることがあります。
いろいろな経過ではあっても、私たちにはどうしようもないことがたくさんあって、その都度私たちは、ただただ悲しい思いを飲み込むしか術がありません。
子供のいない仲の良い老夫婦がいました。
お国のために戦い、終戦後も一生懸命働いて、定年まで勤め上げ、妻と二人の終の棲家と思っていた場所で、穏やかに生きてきました。
妻は、毎日雀に餌をやることと、庭の草花の世話をすること。
夫は、一日一杯の日本酒をちびちび飲みながらテレビを見ることが、なにより楽しみでした。
二人は、不平不満をな何一つ言わず「今が一番幸せ。なんの不安もないよ。いつ死んでも悔いはない。」そう言っていつも高笑いをしていました。
でも、年を重ねるごとに、妻は認知が進み体調の悪い日もあり、周囲も心配してはいました。
ある日、そんなご夫婦を二人だけで過ごさせることを心配したご親戚が、施設の手配をされました。
お二人で入ることができる特養の順番が来たある日、ご親戚が説得に行ったそうです。
夫は激怒しましたが、それでも試しに泊まりに行くことに不承不承納得しました。
本当は、私たちは夫が拒否をしてくれることを、どこかで期待をしていました。
でも、迎えが来たその日、嫌がる妻を夫が説得したそうです。
「一緒にお泊りに行くんだよ。そして、いいところだったらずっとそこで暮らすんだよ。」と。
そうして、二人は寄り添って車に乗っていってしまったのです。
自慢の家、大好きな庭、毎日やってくる雀や鳩のいる木に、お別れを言うこともなく。
しばらく、私たちは二人が帰ってくるのではないかと、少なからず期待していたのですが、1週間が経ち2週間が経ち、もう帰ってこないのだと実感するようになりました。
時々、私のあとに担当してもらったスタッフと、思い出話をしたりしました。
その後、担当だったケアマネさんにあったとき、こんな話をしてくれました。
「入って何日かは、お父さんがお母さんの部屋に迎えに行って、二人でひがなエレベーターの前にいたそうです。どうしたの?と施設の人が聞くと、『迎えが来るのを待っているんだよ。』と言ったそうです。施設の人も、特別にお父さんの大好物のコーヒーシュガーをくれたり、随分と気を使ってくれたようですが、その後すぐに吐血してしまって、救急車で病院に運ばれて入院してしまいました。ストレス性の胃潰瘍からでした。もう切なくて、何のために入所させたのかと思うと、辛いです。でも、お母さんは認知が進んでいるおかげで、今はすっかり慣れたようですよ。」
言葉が見つかりませんでした。
あの仲の良い老夫婦が、毎日どんな思いで来るはずのない迎えを待っていたのかと思うと、胸がいっぱいになりました。
誰も悪くはないのです。
あのまま二人だけで暮らすのは、確かに限界があったっと思います。
思ったより早くきた順番を、やり過ごせるほどの猶予も、介護力も、遠方にお住まいのご親戚の方にはなかったのだと思います。
今でも、私のデスクの隣にあるホワイトボードには、裸で一杯やっている陽気な老人と一緒の写真が飾ってあります。
もうきっと、彼があの家に戻ってくることは二度とないのでしょう。
この前の大雪のあと、あの家の前を車で通ったスタッフが、こんなことを言っていました。
「○○さんの家の前だけ、雪がそのまま残っていたのよ。その前後は綺麗に雪かきされていたけれど、そこだけ雪がそのままだった。なんだか、悲しかったな。」
あの家の時間は、もう止まってしまったのでしょう。