こぶた部屋の住人

訪問看護師で、妻で、母で、嫁です。
在宅緩和ケアのお話や、日々のあれこれを書き留めます。
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捉え方の問題?

2013-01-24 21:21:48 | 訪問看護、緩和ケア
がん告知はごく普通に行われるようになった昨今でも、予後告知はなかなか難しくて、医師の中でもはっきりと宣告する人もいれば、予後告知はあえてしない先生もいます。

ある患者さんが、激しい医療不信を持ち、絶望感から人との関わりを極端に避けるようになりました。

その原因を聞いて、考え込んでしまいました。

ガン宣告はもとより、必死に病魔と戦ってきた末に、あるとき主治医がこう告げました。

「残念ながらもう、治療の方法は残されていません。しかし、この抗がん剤を使えば3ヶ月は延命できると思います。使わずに自然に任せるのであれば1ヶ月です。あなたは、どちらを選択しますか?」

選択肢は与えられたのです。
2者択一。
けれど、それはいのちの期限を選ぶものでした。

実際に、こういう説明はよく行われていると思います。

こんな話を聞いて、ショックじゃやない人なんているわけもないし、目の前が真っ暗になるとはこういうことではないかとも思います。
それでも、その絶望のあとに人それぞれ受け止め方が変わってくると思います。

こういう告知を、「本当のことを言ってくれてありがとう。残りの時間を自分なりに有効に使います。」という人もいます。
「しょうがない。ここまで来たら腹を決めます。」と言って、どちらかを選択する人もいれば、民間療法を選ぶ人もいます。

でもその言葉自体に激しく憤る人もいるのです。

「医師が何故、全くの素人にその選択を迫るのか?3ヶ月と1ヶ月どちらがいいかなんて、答えられるはずがない。それを選択するのは専門家の医師のはずじゃないのか?!なぜそんな非道なことを言えるのか?!」

私たち医療者側は、その人の残された時間を大切にして欲しいと思っています。

じゃあ、どう伝えればこんな怒りに転換されないのでしょうか?

伝え方?言葉のソフトさ、語彙の選び方?表情?

どんな言葉に変えても、それは命の終わりを告げる宣告であることは間違いがありません。

でも、それでも残された時間を、自分の選んだ方法で、最後まで自分らしく生きて欲しいと思うのは、綺麗事なのでしょうか。

その凍りついた心が、タイムリミットが来る前に柔らかく、暖かく溶けて、優しい時間を持てるように出来ないものかと、私たちは心底おもうのです。

そんななか、カラを閉ざし頑ななまでに他者を拒否している状況に、医療者が逃げてしまえば、在宅緩和ケアは成り立たなくなってしまいます。

既に経口摂取もできなくなり、緩和のためのオキシコンチンを飲み込めず、泣きながら流し込んでいるという話を聞きました。

消化器の通過障害が進めば、当然飲み込むことは難しく、そうなる前に多くはフェンタニルパッチに切り替えます。

どうしてそれをしてくれないのか?
主治医は、その事実を知らないのかと思い、担当ナースが連携係のナースに確認しました。
「先生は知っていますよ。でも、拒否の強い方で難しい方なので、ご本人からの要望があるまで様子を見ています。」

?????

それこそ、選択肢を提示しなければわからない話ですよね。

難しい人だから、無理強いはしないでつかず離れず・・って、意味が違うと思うのです。

担当ナースは拒否を覚悟で、「もしお嫌なら無理強いはしません。ただこういう方法もあることをお伝えしたいと思いますが、今お話してもいいですか?」と聞くと「わかりました。話してください。」と答えがあり、その上で「それでは、そうしてください。」と、始めてケアを許してくれたそうです。

こちらがきちんと向き合えば、きっと答えてくれるはずです。
難しい人だから、選択肢も提示しないのは、向き合っていないことになるのではないでしょうか。
だいたい、緩和ケアでほかの方法あるかどうかなんて、それこそわかるはず無いじゃないですか。

そこで止まって、待ってればいい話ではないですよね。

捉え方の違い?
じゃなくて、向き合っていないだけ。
拒否されるのが嫌だから?

すごく違和感を感じます。
こういうこと、同じベクトルでケアができないことが、訪問看護では一番のストレスになります。