こぶた部屋の住人

訪問看護師で、妻で、母で、嫁です。
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47回めぐみ在宅地域緩和ケア研究会

2011-04-19 23:22:29 | めぐみ在宅緩和ケア関連
今日は、めぐみ在宅クリニック在宅緩和ケア研究会が、久々に行われました。
3月は、震災により中止となり、2か月ぶりといことでしょうか。
前回は、めぐみ在宅奥の間での担当者カンファレンスで、緩和ケア研究会にはほとんど出れませんでしたので、私は3か月ぶりの出席となります。

今日は未告知で、最後まで『生きたい』と強く願った患者さんとの対話からの検討でした。
今日は、いつもより参加者も少なめで、10人ぐらい4グループに分かれてのグループワークで、私もファシリテーターを務めました。

今日の事例の患者さんは、うちで担当した方で、今日初めてうちのケアマネも参加しました。

病院入院中の段階で、なぜ告知をしなかったのかは、よくわかりません。
ただ、ご家族がそうするべきと判断したのでしょう。
訪問開始の時には「告知はしていません。開いて閉じただけの手術でしたが、手術で潰瘍を取ったと言ってあります。」とのことでした。

そうはいっても、すでに末期状態でしたし、どんどん病状は悪化していきます。

当然、患者さんは「なぜ?どうして?」「なぜ、治療をしてくれないのか?」という思いに駆られます。
そして「本当は、もう助からないのだろうか?」と考えます。

「自分はいろんなことをやってきた。これからだってやり残したことはいっぱいあるんだ。」と。

訪問診療と訪問看護がほぼ同時に入り、患者さんの疑問は当然医療者に向けられます。
家族は、当たり障りなく会話を避けるし、思うように動かなくなる身体に困惑しながら、なお『そんなはずはない。治ったはずだ。』とおもいつつ。

緩和ケアの手法に反復という方法があります。

もし、患者さんが「私は、がんでもうだめなんじゃないかと思うのです。」と言ったら、「私はもう、癌でダメなんじゃないかとおもうのですね?」
と反復していきます。
一見おうむ返しのようですが、そこから「そうなんです。・・実は・・」と、会話が膨らんでいきます。
ここで、その場限りの否定や励ましをすることは、患者さんの疑問や不安にこたえられないばかりか、「うわべだけで、私の本当の不安を理解してくれない人。」と感じさせてしまいます。

その反復をしながら、主治医と患者さんの会話が進んでいきます。

数十分の会話は、名前を変えて事例として、回収資料のかたちで手渡されます。

今回、終始患者さんのなかには、『生きたい』という強い思いが込められ、しかし、それがどうしてもかなわないのなら、「とにかく楽に穏やかに逝かせてほしい。」というものでした。
しかし、それは最後まで「助けてほしい。助けると言ってくれ!」という思いと表裏一体のものでした。

病状告知もしていない状況でのターミナル。
毎回の訪問で、どんなに先生とはなしても、いい方の肯定はしてくれません。

本当は「大丈夫、私に任せてください。治る方法はありますよ。」と言ってほしかった。

担当した若いナースも、その答えに毎回窮して悩んでいました。

そして、誰も「大丈夫、治ります。」と言ってはくれない日々の中で、あきらめに似た「死」を受け止めざる得なくなっていきます。

彼は、かなり衰弱したある日私に言いました。

「もう、私の病気は、治らいのですね?」
「もう、治らないと思うのですか?」
「もう、治らないのなら、ここで穏やかに、静かに逝きたい・・。」そういって涙を流しました。
「ここで、穏やかに過ごせるように、お手伝いをしますよ。」

目を閉じて涙を流している患者さんの手を、しばらく握っていました。


そういう会話は、もちろん先生とも、もっと長い時間をかけてありました。

やはり、誰も「そんなことはない!大丈夫だから頑張って。」とは言ってくれない絶望感は、如何ばかりなのか。

会場の発言のなかで、あるケアマネが昔言われた言葉を話してくれました。
「ずっと昔、怒られたことがあるんです。人の命は、神にしか決められない。もう死ぬと言われた人間だって、土壇場で奇跡が起こるかもしれないんだ。だから、死ぬこと前提に話をしないでくれ!」と。

彼女は言いました。
「ですから、告知をしないで、もしかしたら生きられる可能性もあるという、希望が支えとなることもあると思います。」

確かに、事例の患者さんは、「先生との会話はとても辛かった。俺に任せろ。大丈夫と一言も言ってはいくれない。」とあとで言っています。

こういう場面はつねに避けられ、医療者も家族もごまかしてしまいがちになります。

それでは、肯定すればいいのか??

それはわかりません。
ドンと肯定してしまう事も有なのかも知れない。
でも、違うかもしれない。

それでも、振り返り、深く掘り下げ、どうしたらよかったのか、考える機会は必要です。

人の心の中は、わかりません。
どうやっても、ダメなことがあるように、どう考えても見つからない答えもあるのだと・・・。

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