昨晩、足にかけてしまった
イモリ(もしくはカナヘビ)は
やっぱりお亡くなりになっていました。
悲鳴のような鳴き声がなければ
踏んだことも気づかなかったかもしれない。
ほじくり返される恐れが少ないであろう
電柱の根本に深めに穴を掘って
埋葬して参りました。
ごめんね、イモリン(もしくはカナちゃん)。
どうか成仏してちょうだい。
手を合わせてお祈りしていたら、
泣けて泣けて仕方がなかったです。
妙ですよねー。
自分でも変だと思う。
たかがイモリ(カナヘビ)。
でも、よくよく見ると、
普段からうちのベランダの壁に
へばりついていたやつに思えてならず、
尚更申し訳ない気持ちになったのと、
今日はジジイ・トノが2004年に彼岸に渡って
6年目を数える二度目の誕生日なのです。
だから、感情が普段以上に波立つのかもしれません。
2004年の今日は、
異様に早く桜が散った年で、
3月中に満開を迎え、
4月に入ったらすでに葉桜という、
印象的な年でした。
何も見逃すことがないように、
トノが天国へ行った瞬間を
見つめあったまま見送りました。
いろいろ語りかけをしたんですが、
唯一心残りだったのが、
最後の最後に「ありがとう」と言えなかったこと。
今までありがとう、
生まれてくれてありがとう、と
なぜ言えなかったのか、と
今でも後悔しています。
だから、と言うわけではないのですが、
次に迎えたにゃんこ、
しいちゃんには、些細なことでも1日1回、
ありがとうを言うようになりました。
お留守番、ありがとう、
元気でありがとう、
いたずら、こんちくしょう、ありがとう…などなど。
人間ですから必ずと言っていいほど
何かをし忘れてしまいます。
でも、感謝の言葉だけは、
感情面ではいろいろあったとしても、
根っこの部分で正しい気持ちで
伝えることだけは忘れたくないですね。
トノが最後に教えてくれた感謝する心。
私に一番かけてるところでもあるので、
生涯かけて学んでいきたいと思っております。
そんでもって、蛇足ながら。
今日は私の誕生日でもあるのです。
いやー、最近じゃ、
誕生日よりは
トノの命日の方がしっくりくるんですよね、
うーん。どうしてでしょうね。
イモリ(もしくはカナヘビ)は
やっぱりお亡くなりになっていました。
悲鳴のような鳴き声がなければ
踏んだことも気づかなかったかもしれない。
ほじくり返される恐れが少ないであろう
電柱の根本に深めに穴を掘って
埋葬して参りました。
ごめんね、イモリン(もしくはカナちゃん)。
どうか成仏してちょうだい。
手を合わせてお祈りしていたら、
泣けて泣けて仕方がなかったです。
妙ですよねー。
自分でも変だと思う。
たかがイモリ(カナヘビ)。
でも、よくよく見ると、
普段からうちのベランダの壁に
へばりついていたやつに思えてならず、
尚更申し訳ない気持ちになったのと、
今日はジジイ・トノが2004年に彼岸に渡って
6年目を数える二度目の誕生日なのです。
だから、感情が普段以上に波立つのかもしれません。
2004年の今日は、
異様に早く桜が散った年で、
3月中に満開を迎え、
4月に入ったらすでに葉桜という、
印象的な年でした。
何も見逃すことがないように、
トノが天国へ行った瞬間を
見つめあったまま見送りました。
いろいろ語りかけをしたんですが、
唯一心残りだったのが、
最後の最後に「ありがとう」と言えなかったこと。
今までありがとう、
生まれてくれてありがとう、と
なぜ言えなかったのか、と
今でも後悔しています。
だから、と言うわけではないのですが、
次に迎えたにゃんこ、
しいちゃんには、些細なことでも1日1回、
ありがとうを言うようになりました。
お留守番、ありがとう、
元気でありがとう、
いたずら、こんちくしょう、ありがとう…などなど。
人間ですから必ずと言っていいほど
何かをし忘れてしまいます。
でも、感謝の言葉だけは、
感情面ではいろいろあったとしても、
根っこの部分で正しい気持ちで
伝えることだけは忘れたくないですね。
トノが最後に教えてくれた感謝する心。
私に一番かけてるところでもあるので、
生涯かけて学んでいきたいと思っております。
そんでもって、蛇足ながら。
今日は私の誕生日でもあるのです。
いやー、最近じゃ、
誕生日よりは
トノの命日の方がしっくりくるんですよね、
うーん。どうしてでしょうね。